2018/07/03 記
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「火曜災害ミニカフェ」が100回を迎えた。しかし、とんでもない会となった。とにかく片手がギブスで固められているので、家を出るのが思い通りにいかない。結局タクシーを使うことになったが、それ以上にギブスが目立ってしまったということが無念でならない。
「カフェ」自身は、被災後の健常者の影に隠されている人々の現状と支援の手がかりを考える事が焦点だった。ところが東日本大震災とそれ以降の災害についても、報道は減り、再び影に沈んでしまったかにみえる。近未来の大震災の予兆が起きているにもかかわらず、同じ轍を踏むのかとくやしくもある。このままでいいわけがない。その思いを提案しているひとつの場が「ミニカフェ」だった。その問いかけが、100回の一区切りを迎えたのだ。
ギブス姿はその問いかけをぶち壊してしまったように感じる。今後のミニカフェは、インターネット画像を取り上げることを時々入れて行くつもりだ。
次回(101回)は、左手首手術と入院のため、7/31に日程を変更し、退院後に再開することにした。懇話会も秋口まで延期。無念がつのる。
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懇話会ゲストにプッシュしていた方には、静岡面会は延期させてもらったが、私は諦めていないこと、どうか対話を閉じないでほしいとメールした。手術後も片手は使える。スマホでラブレターは出し続ける。医療ケアの必要な方の被災と支援について、語ることは必要だと信じる。
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私が負傷したことで、母が家事や私の介助に異様な頑張りを始めて、それは次の姿が見えるがゆえに不安でならない。母の見守りを私が入院中誰が支えるのだろう。私の転倒のように、薬の副作用によるものではない。原因不明だから、近所の主治医がながめてもらっているのも視角が部分だ。トータルな観察調整屋がいなくなるのだ。加えて母には握力がないハンデを抱えて、洗濯・ゴミ出しなど無理な家事がある。介護度が低いので、自費家政婦を増やす以外ないだろう。地域包括支援センターのケアマネさんが最近、以前の方にもどったが、母の困難が常識判断から抜け出せず、原因不明が理解できなかったりして、応対に困っていた方が戻ってきていたのだ。どうしたものか相談を明日行うが、私の入院時世話通院に熱を上げる母の危うさを理解してくれるだろうか不安の種は尽きない。相談相手が常識判断から抜け出す柔軟さがない方なのだ。
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夜間傾聴のレギュラーに、事情を語った。非常用携帯の連絡にチャンネルを移すことと、夜間の対応は出来ないこと。最悪の時は塾長の奥さんに連絡せよとした。問題は新しい利用者さんたちだった。面会可能な子ふたりには会うことにした。他は無念だがサポート休止を告げた。
ビッグイシューの次号7/15号は、退院後配布とさせてほしい旨の連絡をとった。
教材屋は、この時期、仕事はないが、高検添削については**氏に助けてもらうこととなった。
サポセンからの帰り道、母が買い物できない小物を事前に買い込み、顔の汗が拭けない状態で路線バスで帰宅したが、周囲の何とも異様なまなざしが痛かった。バスを降りると、「大丈夫か」と40代の民生委員さんに声をかけられ、大丈夫と応答したが、相当目立ったようだ。
母は留守。普段しない買い物と直感した。携帯に電話するもドライブモード。メールも気付いていない。時計は20時となり、どうしたものかと思っていたら、白髪染めしてもらっていたという。この頑張りがこわいのだ。明日、ケアマネさん相談、嫌な連想しか浮かんでこない。
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夜間傾聴:三人(事情説明をする)
(校正1回目済み)
p.s. 私は演歌が嫌い。「そんなことないわよ、感動するわよ、聞いてごらんなさいよ…。」私は描かれる人物観が嫌いなのだが、強制されるのはもっといや。「変わっているのね。」とまあ、ありがちなずれ。このような対話はひたすらしんどい。(他の人の好みまで否定はしない。)そういう空転対話となりそうだ。「がんばれ日本」だって変、サッカーがどうでもいい人間。便乗が嫌だ。勝手にやればいい。私を「日本」で囲い込まないで欲しいと思う。常識という異様さは伝わらないのか。
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「火曜災害ミニカフェ」が100回を迎えた。しかし、とんでもない会となった。とにかく片手がギブスで固められているので、家を出るのが思い通りにいかない。結局タクシーを使うことになったが、それ以上にギブスが目立ってしまったということが無念でならない。
「カフェ」自身は、被災後の健常者の影に隠されている人々の現状と支援の手がかりを考える事が焦点だった。ところが東日本大震災とそれ以降の災害についても、報道は減り、再び影に沈んでしまったかにみえる。近未来の大震災の予兆が起きているにもかかわらず、同じ轍を踏むのかとくやしくもある。このままでいいわけがない。その思いを提案しているひとつの場が「ミニカフェ」だった。その問いかけが、100回の一区切りを迎えたのだ。
ギブス姿はその問いかけをぶち壊してしまったように感じる。今後のミニカフェは、インターネット画像を取り上げることを時々入れて行くつもりだ。
次回(101回)は、左手首手術と入院のため、7/31に日程を変更し、退院後に再開することにした。懇話会も秋口まで延期。無念がつのる。
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懇話会ゲストにプッシュしていた方には、静岡面会は延期させてもらったが、私は諦めていないこと、どうか対話を閉じないでほしいとメールした。手術後も片手は使える。スマホでラブレターは出し続ける。医療ケアの必要な方の被災と支援について、語ることは必要だと信じる。
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私が負傷したことで、母が家事や私の介助に異様な頑張りを始めて、それは次の姿が見えるがゆえに不安でならない。母の見守りを私が入院中誰が支えるのだろう。私の転倒のように、薬の副作用によるものではない。原因不明だから、近所の主治医がながめてもらっているのも視角が部分だ。トータルな観察調整屋がいなくなるのだ。加えて母には握力がないハンデを抱えて、洗濯・ゴミ出しなど無理な家事がある。介護度が低いので、自費家政婦を増やす以外ないだろう。地域包括支援センターのケアマネさんが最近、以前の方にもどったが、母の困難が常識判断から抜け出せず、原因不明が理解できなかったりして、応対に困っていた方が戻ってきていたのだ。どうしたものか相談を明日行うが、私の入院時世話通院に熱を上げる母の危うさを理解してくれるだろうか不安の種は尽きない。相談相手が常識判断から抜け出す柔軟さがない方なのだ。
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夜間傾聴のレギュラーに、事情を語った。非常用携帯の連絡にチャンネルを移すことと、夜間の対応は出来ないこと。最悪の時は塾長の奥さんに連絡せよとした。問題は新しい利用者さんたちだった。面会可能な子ふたりには会うことにした。他は無念だがサポート休止を告げた。
ビッグイシューの次号7/15号は、退院後配布とさせてほしい旨の連絡をとった。
教材屋は、この時期、仕事はないが、高検添削については**氏に助けてもらうこととなった。
サポセンからの帰り道、母が買い物できない小物を事前に買い込み、顔の汗が拭けない状態で路線バスで帰宅したが、周囲の何とも異様なまなざしが痛かった。バスを降りると、「大丈夫か」と40代の民生委員さんに声をかけられ、大丈夫と応答したが、相当目立ったようだ。
母は留守。普段しない買い物と直感した。携帯に電話するもドライブモード。メールも気付いていない。時計は20時となり、どうしたものかと思っていたら、白髪染めしてもらっていたという。この頑張りがこわいのだ。明日、ケアマネさん相談、嫌な連想しか浮かんでこない。
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夜間傾聴:三人(事情説明をする)
(校正1回目済み)
p.s. 私は演歌が嫌い。「そんなことないわよ、感動するわよ、聞いてごらんなさいよ…。」私は描かれる人物観が嫌いなのだが、強制されるのはもっといや。「変わっているのね。」とまあ、ありがちなずれ。このような対話はひたすらしんどい。(他の人の好みまで否定はしない。)そういう空転対話となりそうだ。「がんばれ日本」だって変、サッカーがどうでもいい人間。便乗が嫌だ。勝手にやればいい。私を「日本」で囲い込まないで欲しいと思う。常識という異様さは伝わらないのか。