以下は6/30朝に作られたものです。
------- ここから ---------
2018/06/29 記
--------------
8年前、今回と同じいたずらがあった。その写真に書き込まれた未熟なマークが描かれており、それは私が専門学校への復学を担当した方が所持品につけていたものだった。再び彼は専門学校をやめたため、連絡が途絶えていた。その2回目の専門学校をやめた直後、スナップの投函があった。私は近所の彼のお宅にお邪魔したが、彼はおらず、その後、彼の投函は危うい傾向を帯びて行った。親御さんも彼との争いで負傷しており、ポストが彼との唯一連絡方法となって、対話によって、私への暴力的傾向は治まって行ったが、親御さんとの関係は悪化、つまり私は関係から押し出されたわけだが、結局親御さんが警察沙汰にしており、以降私からの彼へのアクセスは空回りし対話は途絶えていった。
その際、親御さんと話し合ったが、いくつかのエスカレートの契機を知ることが出来た。筋立てた説明に彼はこだわるので、その経験から警察通報を早期にいれることにしていた。家出後、荒れて暴力沙汰の危険な場面があったので、その予防対策だった。しかし8年経っており、接点の取り方に悩んでいる。
もうひとつ衝撃だったのは、バス停から母を送り出しているスナップはかなり近くから撮られていることだった。私の眼の見えない側、そちらからの撮影だったのだ。彼が見えていなかった…。彼は黙ってその場を去っていったのだが、それも気付いていなかった。
彼の家を久々に訪ねたが、若夫婦が住んでおり、親御さんはホームに入所しているという。ということは、彼の居場所はここではなかった。
ポスト連絡を再開しよう。可能なら会おう。このブログを読んでいるなら顔合わせしたほうがいい。
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)
------- ここまで ---------
以下は7/1朝に書かれたものです。
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2018/06/30 記
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平塚に食材の買い物に出かけた。帰り道、駅ビルのエスカレーターを上がって、駅の通路に出ようとしたとき、突然意識が無くなり、すぐに気づいたが、床にうつ伏せに倒れていた。左腕の手首が折れていた。足に力が入らず、水を浴びたように、全身から汗が吹き出し、急に便意を感じた。這って駅通路まで抜け出し、波打つ意識に自我を保ちつつ、なんとか座り込んで119番通報して意識が切れた。
目が覚めた時、救急車の車内で、私は呼びかけられていた。平塚共済病院に運びこまれた。18時過ぎのことだ。初め低血糖かと検査を受けたが、糖尿病血は高血糖であり、急激に血圧が下がったようだと言われた。主治医が薬を追加したスーグラ50mg錠には、副作用にめまいがあった。事故の前日29日夕方、私は歩行時にうねるような妙なふらつきを感じ、今日は前兆なく歩行中突然倒れた。
故父が甲状腺機能亢進症で、私のように突然倒れ、異様な汗をかいたことを思い出した。私は、普段腎臓・肝臓は異常がないという毎月の検査結果が出ているのに、ERの血液検査では腎臓に異常と出た。この数日間の急変は、スーグラ服薬以外考えられなかった。
X線画像で左手首の骨折が確認され、月曜日から整形外科のご厄介となった。
ただここで、湘南医療圏域の実情も垣間見ることになった。
それは地域の週末救急外来の状況のことだ。
私が失神したのが6/29の18時過ぎ。救急車で平塚共済病院に送り込まれ、血液検査が始まったのと同時に、担当医師から転倒状況の質問があった。これから同じ質問が看護師ふたりと責任者と思われる医師と合計5回の同じ質問が続いた。全員若い。情報共有ができていないのは、負傷した左手に採血とルートを取ろうとした看護師さんの行動にも見て取れた。「区切カーテンとベッド位置に隙間を作って、右手側に入ってほしいこと。これから左手の救急処置が始まる、その側にルートを取るのは不適当ではないか」と提案し、改善したところで、次の医師が別人の名前で私を呼び、
訂正させたら無言で隣の高齢男性に移り、今度は30分バイタルチェックと酸素量チェックのクリップを「両手の」指に装着。再び転倒状況を説明させられるという「作業連携の粗さ」が出てしまった。チーム以前に慣れていないのだ。問題は情報共有ができていないこと。即生命の危機にさらされている方は受け取っていないのかとも思わされた。
このあと平塚共済病院ERには、その日整形外科の医師がおらず、皮膚科の医師がx線撮影とソフトシーネの処置を指示したが、胸部の触診に鎖骨肋骨の触診に異常がないとしながら胸部撮影を指示。説明を求めたが無視されるという教科書通りの指示となった。
このxレイ画像をもらいたいという私の要望を最後の段階までいわなければ、受け取ることも出来なかった。最後に料金支払い請求があったので、ポケットの財布を指示し、料金を支払ったにもかかわらず、次の病院移動を指示されて40分以上廊下で待たされた。事務の人間がくるので待っていて下さいというのだ。遅いので質問すると料金支払いで、すでに済んでいるのでお帰りになって結構ですと言われる状態で、全く情報共有ができていないことがはっきりしたのだった。
今夜平塚共済病院には整形外科の医師がおらず、紹介状を書くので、これから平塚市民病院に行ってギブスを巻いてもらうようにとの指示があった。移動手段はと問うと、タクシーといわれた。私が茅ケ崎の人間であり、茅ケ崎の救急病院に紹介状の宛名を直してくれと要求した。紹介状は茅ケ崎徳洲会病院に変更となり、22時半過ぎ病院を出た。4時間が過ぎていた。母が遠方の弟に救援を訴え、幸い明日が日曜ということで、弟が遠方から共済病院を出るころに、車で滑り込んだ。これは助かった。感謝している。
ところが茅ケ崎徳洲会病院に着くと、平塚共済病院から連絡を受けていないこと。第一、骨折後これから腫れてくるときにギブスを巻くのですかとあきれられた。担当者が、これからの念のために藤沢徳洲会病院に問い合わせてくれたが、そういう疑問を返されたという。平塚共済病院に、「茅ケ崎徳洲会病院に連絡は来なかったと徳洲会側が言っている。病院間調整してください」と抗議してからまた30分。一向に応答がないので、私から平塚共済病院に連絡。茅ケ崎徳洲会病院では受け付けられないというが、今、ギブスをするのは考え物という意見ももらっている。まもなく0時になろうとしているが、判断を示して欲しいというと、ここから先は救急車で茅ケ崎市内の救急病院に行って下さい、病院名は…と茅ケ崎のすべての拠点病院が羅列された。藤沢徳洲会病院をと希望を述べ、共済病院から藤沢徳洲会病院に連絡をしておくということで、電話が切れた。
湘南藤沢徳洲会病院にたどりつくと、共済病院からの連絡はないという。共済病院に尋ねると、代表番号に電話したが応答がないという。救急機関相互の連絡番号があるでしょうというと、連絡しておきますというが、その後も連絡は来なかった。
湘南藤沢徳洲会病院では、今夜は整形外科の医師がいないという。他の茅ケ崎側の病院にまわるのでと整形外科医師のいる病院はと問うと、調べたのち、明日救急車を呼んで欲しいと断られた。茅ケ崎徳洲会病院では、そちらの整形外科の医師の意見で、今ギブスを巻くのは早いという意見があったと聞いた。せめて痛み止めの頓服だけでもだしてもらえないかと懇願し、それならと時間外外来にと受け付けてくれた。
受付の廊下には4組の家族が待っており、私の順は3時間待ちと告げられ、2時半すぎに受診となった。転倒後8時間以上経っていた。受診時、整形外科の医師はと問うと、今日はいないという。ギブスの件も巻けないという。ただ問題の多いロキソニンと保護剤3日分が処方され、ここでも共済病院の回答と同じ、スーグラ錠の服薬中止は自己責任でといわれた。帰宅は4時をまわっていた。
考えてみると背筋が寒くなる。週末拠点病院に整形外科医がいないのだ。交通事故のたらいまわしは勿論、被災時、ERに外科対応の医師がいないのだ。恐ろしい状況が浮かび上がってきた。
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2018/07/01 記
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左手首が痛みはじめ、片手の一日が始まっている。
ポスト交信の**君、事故があって君の満足が行く対応は遅れることは堪忍しってほしい。ただ、しっかり受け止めるつもりだから、どうぞ。
思わぬ身体障碍の方の困難を体験している。
右手カフスボタンがはめられない・空中で食器の洗浄・清拭が出来ない。輪ゴムは仇等々。ベッドではないので、布団を敷いたり、たたんだりがうまくいかない。母の靴の補助が難しくなった。障碍の学習中である。明日受診後から平常業務を再開する。
夜間傾聴:ひとり(交通事故入院の体験話が出る。)
(校正2回目済み)
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2018/06/29 記
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8年前、今回と同じいたずらがあった。その写真に書き込まれた未熟なマークが描かれており、それは私が専門学校への復学を担当した方が所持品につけていたものだった。再び彼は専門学校をやめたため、連絡が途絶えていた。その2回目の専門学校をやめた直後、スナップの投函があった。私は近所の彼のお宅にお邪魔したが、彼はおらず、その後、彼の投函は危うい傾向を帯びて行った。親御さんも彼との争いで負傷しており、ポストが彼との唯一連絡方法となって、対話によって、私への暴力的傾向は治まって行ったが、親御さんとの関係は悪化、つまり私は関係から押し出されたわけだが、結局親御さんが警察沙汰にしており、以降私からの彼へのアクセスは空回りし対話は途絶えていった。
その際、親御さんと話し合ったが、いくつかのエスカレートの契機を知ることが出来た。筋立てた説明に彼はこだわるので、その経験から警察通報を早期にいれることにしていた。家出後、荒れて暴力沙汰の危険な場面があったので、その予防対策だった。しかし8年経っており、接点の取り方に悩んでいる。
もうひとつ衝撃だったのは、バス停から母を送り出しているスナップはかなり近くから撮られていることだった。私の眼の見えない側、そちらからの撮影だったのだ。彼が見えていなかった…。彼は黙ってその場を去っていったのだが、それも気付いていなかった。
彼の家を久々に訪ねたが、若夫婦が住んでおり、親御さんはホームに入所しているという。ということは、彼の居場所はここではなかった。
ポスト連絡を再開しよう。可能なら会おう。このブログを読んでいるなら顔合わせしたほうがいい。
夜間傾聴:ひとり
(校正1回目済み)
------- ここまで ---------
以下は7/1朝に書かれたものです。
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2018/06/30 記
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平塚に食材の買い物に出かけた。帰り道、駅ビルのエスカレーターを上がって、駅の通路に出ようとしたとき、突然意識が無くなり、すぐに気づいたが、床にうつ伏せに倒れていた。左腕の手首が折れていた。足に力が入らず、水を浴びたように、全身から汗が吹き出し、急に便意を感じた。這って駅通路まで抜け出し、波打つ意識に自我を保ちつつ、なんとか座り込んで119番通報して意識が切れた。
目が覚めた時、救急車の車内で、私は呼びかけられていた。平塚共済病院に運びこまれた。18時過ぎのことだ。初め低血糖かと検査を受けたが、糖尿病血は高血糖であり、急激に血圧が下がったようだと言われた。主治医が薬を追加したスーグラ50mg錠には、副作用にめまいがあった。事故の前日29日夕方、私は歩行時にうねるような妙なふらつきを感じ、今日は前兆なく歩行中突然倒れた。
故父が甲状腺機能亢進症で、私のように突然倒れ、異様な汗をかいたことを思い出した。私は、普段腎臓・肝臓は異常がないという毎月の検査結果が出ているのに、ERの血液検査では腎臓に異常と出た。この数日間の急変は、スーグラ服薬以外考えられなかった。
X線画像で左手首の骨折が確認され、月曜日から整形外科のご厄介となった。
ただここで、湘南医療圏域の実情も垣間見ることになった。
それは地域の週末救急外来の状況のことだ。
私が失神したのが6/29の18時過ぎ。救急車で平塚共済病院に送り込まれ、血液検査が始まったのと同時に、担当医師から転倒状況の質問があった。これから同じ質問が看護師ふたりと責任者と思われる医師と合計5回の同じ質問が続いた。全員若い。情報共有ができていないのは、負傷した左手に採血とルートを取ろうとした看護師さんの行動にも見て取れた。「区切カーテンとベッド位置に隙間を作って、右手側に入ってほしいこと。これから左手の救急処置が始まる、その側にルートを取るのは不適当ではないか」と提案し、改善したところで、次の医師が別人の名前で私を呼び、
訂正させたら無言で隣の高齢男性に移り、今度は30分バイタルチェックと酸素量チェックのクリップを「両手の」指に装着。再び転倒状況を説明させられるという「作業連携の粗さ」が出てしまった。チーム以前に慣れていないのだ。問題は情報共有ができていないこと。即生命の危機にさらされている方は受け取っていないのかとも思わされた。
このあと平塚共済病院ERには、その日整形外科の医師がおらず、皮膚科の医師がx線撮影とソフトシーネの処置を指示したが、胸部の触診に鎖骨肋骨の触診に異常がないとしながら胸部撮影を指示。説明を求めたが無視されるという教科書通りの指示となった。
このxレイ画像をもらいたいという私の要望を最後の段階までいわなければ、受け取ることも出来なかった。最後に料金支払い請求があったので、ポケットの財布を指示し、料金を支払ったにもかかわらず、次の病院移動を指示されて40分以上廊下で待たされた。事務の人間がくるので待っていて下さいというのだ。遅いので質問すると料金支払いで、すでに済んでいるのでお帰りになって結構ですと言われる状態で、全く情報共有ができていないことがはっきりしたのだった。
今夜平塚共済病院には整形外科の医師がおらず、紹介状を書くので、これから平塚市民病院に行ってギブスを巻いてもらうようにとの指示があった。移動手段はと問うと、タクシーといわれた。私が茅ケ崎の人間であり、茅ケ崎の救急病院に紹介状の宛名を直してくれと要求した。紹介状は茅ケ崎徳洲会病院に変更となり、22時半過ぎ病院を出た。4時間が過ぎていた。母が遠方の弟に救援を訴え、幸い明日が日曜ということで、弟が遠方から共済病院を出るころに、車で滑り込んだ。これは助かった。感謝している。
ところが茅ケ崎徳洲会病院に着くと、平塚共済病院から連絡を受けていないこと。第一、骨折後これから腫れてくるときにギブスを巻くのですかとあきれられた。担当者が、これからの念のために藤沢徳洲会病院に問い合わせてくれたが、そういう疑問を返されたという。平塚共済病院に、「茅ケ崎徳洲会病院に連絡は来なかったと徳洲会側が言っている。病院間調整してください」と抗議してからまた30分。一向に応答がないので、私から平塚共済病院に連絡。茅ケ崎徳洲会病院では受け付けられないというが、今、ギブスをするのは考え物という意見ももらっている。まもなく0時になろうとしているが、判断を示して欲しいというと、ここから先は救急車で茅ケ崎市内の救急病院に行って下さい、病院名は…と茅ケ崎のすべての拠点病院が羅列された。藤沢徳洲会病院をと希望を述べ、共済病院から藤沢徳洲会病院に連絡をしておくということで、電話が切れた。
湘南藤沢徳洲会病院にたどりつくと、共済病院からの連絡はないという。共済病院に尋ねると、代表番号に電話したが応答がないという。救急機関相互の連絡番号があるでしょうというと、連絡しておきますというが、その後も連絡は来なかった。
湘南藤沢徳洲会病院では、今夜は整形外科の医師がいないという。他の茅ケ崎側の病院にまわるのでと整形外科医師のいる病院はと問うと、調べたのち、明日救急車を呼んで欲しいと断られた。茅ケ崎徳洲会病院では、そちらの整形外科の医師の意見で、今ギブスを巻くのは早いという意見があったと聞いた。せめて痛み止めの頓服だけでもだしてもらえないかと懇願し、それならと時間外外来にと受け付けてくれた。
受付の廊下には4組の家族が待っており、私の順は3時間待ちと告げられ、2時半すぎに受診となった。転倒後8時間以上経っていた。受診時、整形外科の医師はと問うと、今日はいないという。ギブスの件も巻けないという。ただ問題の多いロキソニンと保護剤3日分が処方され、ここでも共済病院の回答と同じ、スーグラ錠の服薬中止は自己責任でといわれた。帰宅は4時をまわっていた。
考えてみると背筋が寒くなる。週末拠点病院に整形外科医がいないのだ。交通事故のたらいまわしは勿論、被災時、ERに外科対応の医師がいないのだ。恐ろしい状況が浮かび上がってきた。
--------------
2018/07/01 記
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左手首が痛みはじめ、片手の一日が始まっている。
ポスト交信の**君、事故があって君の満足が行く対応は遅れることは堪忍しってほしい。ただ、しっかり受け止めるつもりだから、どうぞ。
思わぬ身体障碍の方の困難を体験している。
右手カフスボタンがはめられない・空中で食器の洗浄・清拭が出来ない。輪ゴムは仇等々。ベッドではないので、布団を敷いたり、たたんだりがうまくいかない。母の靴の補助が難しくなった。障碍の学習中である。明日受診後から平常業務を再開する。
夜間傾聴:ひとり(交通事故入院の体験話が出る。)
(校正2回目済み)