日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

堪忍してと日頃履き

2021年09月10日 | 生活・ニュース

 車を運転するときは絶対に靴を履いている。これは安全運転のために足回りの安全を図ることになる。突っかけ草履やスリッパなどは、とっさの操作の時に脱げたり引っ掛かったりすることで事故の原因となりやすい。運転中の足元に不安定となる原因を置かないことが万一の時の役に立つ。

 60年くらい前になるが、原付自転車に乗っていて検問中の警察官に止められた。免許を確認後、私が突っかけを履いていることに気づき、安全のためには靴を履くよう促された。道交法ではハンドル、ブレーキなどを確実に操作できるものを求めている。サンダル、ゴム草履、下駄、スリッパなど県条例で禁止されているところもある。安全運転のためにも確認して見るといい。

 定年後は改まった席に出ることは激減した。ついつい履きなれた散歩用のスニーカーがいつの頃からか日ごろ履きになり長い年月が経つ。先日来、何足目かのスニーカー、歩くと足裏に靴底を通して何か違う感覚が伝わって来る。未舗装道を歩いてるとき突起物を踏んだ感じがした。脱いで確認すると靴底が薄れて、もう堪忍してと言っている。どのくらい歩いたか知れないが、バーゲンの日、後任を求め、元気に付き合ってくれたことに感謝しながら暇を出した。

 子どものころは通学用の靴を「ズック」と呼んでいた。これは「麻または綿の大撚糸で平織した織地を使って作った靴」と広辞苑にある。白いズックは親指の位置が最初にほころび始めたような記憶がある。スニーカーのコーナーはビジネスシューズより品揃えが充実しているのは今風なのだろうか。 
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アサガオの会話

2021年09月09日 | 社会 政治

 「すっかり秋の空ネ」、「気持ちいい朝ネ」、「最上段に上がってきましたネ」、「今日は暑くなりそうですネ」。4つのアサガオが澄んだ朝の気持ちよい風をうけながら空を見上げて会話しているように見える。とうとう、最上段で咲き始めた。1番咲から2カ月余、下方には黒茶色に変わった種が今年の成果を残している。花数はすっかり減った。

 自然界の生き物すべては自らの力でこうして後世に繋げる実を残して生涯を全うする。ある時は進化した形で、またある時は突然変異で、まれに頼みはしないが神の力なのか交雑で、とにかくDNAを後世に伝えていく。

 今、伝え残してほしくないのは新型コロナウイルス。日本では、これとの戦いで成果が上がらずトップが辞任に至る事案が発生し、その後継を担わんとする争いが起きている。どちらにくっつくか、誰の応援をすることが自分の得になるか、選挙の顔とするには誰がいいか、そんな駆け引きが起きている。

 アサガオ、咲かせてくれる人は選べない。だが、選んで、蒔いて、水をくれる人にはひと夏の暑さに耐えて、毎朝、さわやかな笑顔を見せる。秋の気配が進むと種を残して静かに去っていく。これは自然界のしきたり通りではあるが、人は万物の霊長と驕るからにはこれらから嘲笑されない公正な政を進めて欲しい。
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自己肯定感

2021年09月08日 | 生活・ニュース

 近くの小学校、それは卒業してもうすぐ70年にもなる母校にあたる。登校日には毎朝、児童らの声を聞きながら元気をもらっている。この小学校の「学校だより」(月刊)が公民館に置かれていて誰でも持ち帰れる。私は毎月「いいことが書いてあるなあ」と思いながら楽しみに読んでいる。今月は、長い文章が書かれている、そう思いながら読み始めた。

 そして読み返した。タイトルはついていないが勝手につけると「生徒指導の柱 自己肯定感」。自己肯定感とは「ありのままの自分自身でも素晴らしい存在なのだという認識」と述べてある。そして、「自己肯定感の高い子は、自分自身を大切にする。そして同様に他人も大切な存在という認識を持てるので、人にも優しく接することが出来る」。

 さらに説明の後に「どうすれば自己肯定感が高い子供が育つのだろうか。答えは良好な人間関係や、大人の言葉かけにその鍵がります」とされている。「ありがとう」と伝えるだけで、子どもは自分の存在が認められたことによる嬉しさがこみあげて来る。教師も親も上から目線の指示ばかりしていては自己肯定感は育たない。自分自身に価値を見出させることで肯定感が高まる」と続く。

 「子どもたちが心豊かに未来を生き抜くことができるよう、大人がちょっと視点を変えて子どもと関わる、そんな2学期にしたい」。楽しい行事すべてがコロナ禍で中止となった夏休み、家族との遠出も叶わなかった、でも、こうして子どもを思い考えてもらえる環境で学習できることを子どもたちは理解し「ありがとう」と思うだろう。
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バック駐車を見ていて

2021年09月07日 | 生活・ニュース

 7台分の駐車区画がある駐車場に着いた。運よく1台分空いているところへバックで止めた。すぐに5台が出場しがらんとなった。そこへ女性運転の高級車が入ってきた。私の左隣へバックを試みるがうまくいかないらしい。向い側の3台分のスペースにも同じことを試みるが気に入らないようだ。結局、私の右側へ前進て駐車し建物へ入っていった。外見からは高齢者講習が必要に思える。

 この駐車場の出入り口は同じで、奥側が少し高くなる緩やかな勾配がついている。駐車区分へ止めると若干の傾きには気づくがそれが、バック駐車の難しさにはならないと思う。しかし、空いている4区分にバック駐車を試みて駐車しなかったのは、この傾きぐらいしか思い当たらない。思いもしないことが目のまえで起きた。

 見ているだけでは「なぜ出来ないのだろう」と感じながら、先日の運転免許更新の高齢者講習での話を思い出した。「自分では出来ると思っていたことが、歳を重ねると次第に難しくなってくることを十分認識してください」。今、目の前で見たことは、やがて自分の通る道かもと肝に銘じる。

 免許更新は10月末にやって来る。その次の更新は84歳になる。高齢者講習が通過できれば、更新をしたい。と思うが自分の状況がどうなっているかはわからない。免許返納や車を手放した先輩の日常を知ると、安全も大切だが、免許は元気のために欠かせない必要な一つと思っている。続いているゴールドを汚さない安全運転で次の更新を目指したい。
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秋の空

2021年09月06日 | 自然 季節

 歩いて15分ほどのところに出かける。陽ざしはあるが、真夏のような暑さは感じないほどほどの日和だと思いながら歩く。開けた交差点で見上げると、雲の切れ間に見える青空はすっかり秋色に変わっている。さあっと通り過ぎる風が心地よい。道沿いの雑草の中に曼殊沙華が1本だけ咲きかけている。どこからやって来たのだろうか、でも秋を忘れないでいる。

 続けてのいい日和。あるアパートのベランダには子どもの洗濯物がずらりと並び、同じように揺れている。広場で遊ぶ子どもを見かけないが、どこかで遊んだ跡が洗濯になったのだろう。

 そんなさわやかな日だが、月曜日ということもあってTVのワイドショーや情報番組は先週末の菅総理の総裁選不出馬からより関心の高くなった総裁選の話題ばかり。政治評論家、ジャーナリスト、与党担当記者、コメンテーターなど等の情報や分析、派閥親分の言動などを聞いていると、個利個略、所属派閥とわが身がどうなるかそんなことばかりで、国民生活に目を向けた中身がない。
 
 総裁選は総理を選ぶ選挙だが、その投票権を有している者の利害が大きなファクターを占める予測が多い。秋の空のようにすっきりと澄んだ総裁選で、コロナ禍で起きた様々な問題を解決して欲しい。そうでないと、すぐ後に控えている総選挙で大きなヤイトを据えられることになるだろう。
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オリ・パラ終わり秋に

2021年09月05日 | 生活・ニュース

 1年延期で開催されたオリンピック・パラリンピックは今夜のパラ閉会式で幕を閉じる。選手の皆さんが残された素晴らしい感動と多くの思い出に残る記録の数々は、パリに引き継がれるでしょう。日本では「スポーツの秋」といわれるが、その時期を外れた酷暑の中での競技、苦労されたことでしょう。次回からは最高のコンディションの中で、選手本来のために開催されることを願っている。

 処理水の「アンダーコントロール」で開催は決まったが、それは言葉だけで海洋放棄が本格化に向けて動き出した。なにか、五輪の終了を待っていたかのようなそのタイミングに違和感を感じる。何十年も前になるが、東海村の旧動燃を見学した。瀬戸内の工場勤務者として関心のある「廃水はどうなっているか」質問した。敷地からみえる太平洋の沖合を指さし、あのあたりに放出しているとの答えだった。海洋への放棄は以前からで突然ではないようだ。

 梅雨の雨が不足だったかのように秋雨前線が必要以上の雨を降らせた。錦川上流のダム放流もやっと止まり、穏やかなながれになることを願う。稲刈りもこれから本格化するだろうが、コロナで息子が応援帰省できず悩んでいるという投書を読んだ。自家用米作りの農家も大変なの思いをされているようだ。

 SNSにアップされる彼岸花の写真を見かけることが増えた。散歩の道沿いにある柿の木にもびっしり実がつき始めている。今は豊作に見えるがさて収穫の頃にはどうなるだろう。猛暑の朝、一息つかせてくれた我が家の朝顔もまもなく終わりそうだ。静かな秋を迎えたい。 
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一夜明けて

2021年09月04日 | 社会 政治

 菅総理の退任に連なる総裁選不出馬、報道はてんてこ舞いではなかったろうか。役員会の総裁席には事務方の用意した「役員改選について一任を」というメモが置かれていたが、それには目もくれず不出馬を告げられた、見て来たような記事が載っているが取材の結果だろう。その他にも袖にされたような記事もある。権力から去るときの一つの姿だろうか。

 そんな政界の荒れを受けてか夜半は荒れた天気だった。午前1時ころ雨音に目覚めると雷も光っている。まもなく、錦川上流の雨量水位局で60分雨量が「注意値」を超過したと県の防災情報が届く。雨雲レーダーを見るとザーザーと降らせる色濃い雨雲が接近している。雨足を確認に玄関を出る。雨足以上にすごいのは途切れない稲光だった。

 一夜明ける。夜半の嵐は静まり、雨のせいか昨日より気温が2度くらい低くしのぎよい。虫の声も聞こえる。秋を感じながら新聞をポストから取り出し、見上げると曇ってはいるが雲は途切れている。新聞の見出しは「菅首相 退陣」と「菅首相辞任へ」、サブタイトルは2紙とも「総裁選不出馬」とマスコミの感覚に差はない。

 誰が総裁の席を射止めるか。出馬表明は一人、ほかに予想のかぶれ数名の顔写真、いづれも見慣れていて新鮮味は特に感じない。願いは「国民の声を聞きそれを実行、隠し事をしない、嘘をつかない正直でオープンな政治」を実行する人を総裁に選んで欲しい。今はそう願うしかない。
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一寸先は

2021年09月03日 | 生活・ニュース

 父の55回目の祥月命日。これまでにない頭痛を訴え出勤できないので往診を依頼した。様子を見ましょう、ということで診察は終わった。頭痛は治まらず、親戚の車を借り当時の国病へ向かった。すぐに診断が下され入院。1カ月後、経過は良く主治医から退院の相談を受けていた。ところが虫の知らせで夕方病室に駆け付けた私の目のまえで再発、およそ2時間後に亡くなった。

 父の発病も、再発も、そして還らぬ人となることなど家族の誰も予知していないことだった。落ち着いて思い返せば「一寸先は闇」ということだろうか。一寸先は、ほんの少し先の未来を表す。未来は闇の中にあって、ほんの少し先でも何が起こるか前もって知ることはできない、未来のことは予測できないということになる。

 外に目を向ける。正午前に「菅総理、総裁選不出馬」がTV画面で速報された。今日は総裁選に備えての自民党役員改選についての打ち合わせということで、誰が幹事長を引き受けるか注目されていた。不出馬は「総裁選に使うエネルギーをコロナ対策に専任(?)」とコメントされた。昨日、不出馬か、といううわさが流れたが、すぐに否定されてはいた。前兆はあったのか。

 政治の世界でも「一寸先は闇」と例えられることはよくある。今回の総裁選は前回と違い、若手議員からの不協和音が多く報道されていたことを思えば、これがボディーブローとなったかもしれない。総裁選も蓋を開けてみないと何が起きるかわからない、まさに一寸先は闇、しかし、政治でそれは許されない。
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きぼう新聞

2021年09月02日 | 生活・ニュース

 今春、学業を終え今は親元を離れ就業した地で生活している可愛い孫娘がいる。「じいちゃん、ばあちゃん元気」とライン電話をしてくれる。私ら老夫婦にはこれまでに経験のない長電話になっている。時には顔を写しながら話す。自炊生活は早くも半年になる。新型コロナで同期との交流はもとより、帰省も出来ないでいる。仕事はリモートワークで、コロナ感染には勤務先も配慮されている。

 先日、そんな孫から大きな封書が届いた。開くと「きぼう新聞」が入っている。発行の動機についてこう記している。「いつも気にかけてくださり有難うございます。何か御礼がしたいと考えていたところ、新聞のことを思い出し『これだ!』と思いました。やっぱりおじいちゃん・おばあちゃんと私を繋ぐのはこれかなと思い作成しました」。

 孫の「これだ!」と思った新聞。それは孫が3歳になる少し前から20歳の誕生までの17年3カ月間、月間で作っていた新聞のことで、届いた新聞タイトルは孫新聞を踏襲してくれている。新聞は3年前に211号で一応休刊としている。新聞の終りに「コロナが終息したらお会いしましょう」と結んでいる。早くそうなりたい。

 初めての新聞作りにしては記事の構成はいい。新居整備の苦労、仕事、同期や友達、休日の過ごし方など短い文章によくまとめている。妻は「爺ちゃんのDNAを継いでいる」と繰り返し読んでいる。送り続けた孫新聞の返信が新聞で返って来るとは思いもしていなかったことで、孫の成長をひしひしと感じる。
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2学期だが

2021年09月01日 | 陶芸

 今日から9月(長月 ながつき)、長月は日本における旧暦9月の異称。今日では新暦9月の異称としても用いられる場合も多いとある。異常気象が続くこのところの日本、秋らしいさわやかな気候を恵んでくれるだろうか。そんな年よりじみた思いを跳ねのける2学期初日に登校する児童らの声に元気をもらう。

 そんな一コマ。家の前の辻で一人の男児が立ち止まり、向こうからやって来る友達を待っている。肩を並べて歩き出したとき「元気じゃった」と待っていた児童が声を掛けた。その話ぶりに仲のいい二人だろうと思いながら、「元気じゃった」の言いぐさに苦笑した。長い休み中に顔をあわせることがなかったのだろう。

 学校は2学期の始まりだが、新型コロナ感染の影響で地域、学校でそれぞれの対応に違いがあり、始業式の方法が異なる。それでもみんなに会えて嬉しい、という声にほっとする。所属している陶芸同好会も9月から2学期の予定が、コロナ感染拡大防止のため施設が臨時休館となり今月の教室は中止と決まった。昨年から何度目の休館・休講だろうか。

 同好会メンバーは大方が後期高齢者、それでも顔を合わせ歓談するのは、作品制作に負けないくらい面白さや楽しさがある。子どもらが教室で友達に会えるのが嬉しいという、そんな気持ちに似ているのかもしれない。緊急事態宣言に延長の声もある。最近の解散、総選挙、総裁選など聞くと、政治家特権だけに気が向いている、政治は国民のためにあるんだと為政者は知って欲しい。
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