日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

枯れたススキ

2021年02月08日 | 生活・ニュース

 ススキは辞書では「薄」と「芒」で載っている。芒とも書くという辞書もあるが意味はほぼ同じ記述。秋の七草、野山に映える多年草。毎年、主根から新芽を生じ秋には大きな株になり白い尾のような花穂は風に吹かれて光り、詩歌の好題材となる。屋根ふきにも使う。

 遊歩道沿いの中州に群生していた芒も、草が亡くなるという字のごとく枯れて倒れ、一面が枯れたススキの姿はなく薄い褐色の絨毯のようになっている。川風に吹かれ白く光っていた姿からは想像もできない。やっと春からの長い営みを終え、次へ伝え残す仕度をし終わって横たわっているように思える。また、そこには一つの営みを終えたという安心感が伝わる。

 ススキといえば、森繁久彌があの独特の声と節回しでもの悲しそうに歌う野口雨情作詞、中山晋平作曲の「船頭小唄」が耳の奥に残っている。この歌は1921(大正11)年1月に、民謡「枯れすすき」として世に出た。その後、船頭小唄にかわり多くの歌手に歌われ映画にもなった。今年は歌われ始めて100年、心に残る歌のひとつだ。

 船頭小唄では1番で枯れすすき、3番ではススキに似ているが水辺の生きる真菰が歌われている。これも芒と同じく群生するイネ科の多年草。船頭小唄は二つの植物に人生の哀を共感するところがあってヒットした曲という。演歌や民謡に込められた哀調を帯びる、哀愁が漂う、そんな心情は日本人の遺伝子に刷り込まれているのかもしれない。
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無観客キャンプから

2021年02月07日 | 地域
 

 広島東洋カープは沖縄市と宮崎県日南市で予定している秋季キャンプを3月1日までの全期間を無観客で行うことにした。これはコロナ対策の緊急事態宣言が延長されたため、沖縄・宮崎両県からの要請によるという。3月2日以降の対応は決まっていない様だが、オープン戦はどうなるのだろう。

 「無観客」といえば延期された東京2020オリパラ、開催1年延長の期限がそこまで来た。世界的なコロナ禍でオリパラの中止か延期か、はたまた2032年への延期など揺らいでいる。無観客でも開催する声があるがどうだろう。国内報道機関の世論調査で8割がたの声は今夏行うべきではないと一致している。これを無視して開催したい関係者に聞きたい。「心のこもった『お・も・て・な・し』が本当に出来るとお考えだろうかと。

 無観客、昨年は多くの公式試合や文芸文化活動が無観客や厳しい制約下で開催された。あの様子を見ていてオリパラを無観客で行う、選手いやアスリートの皆さんはどう思うだろう。海外のアスリートはそれでも構わないのだろうか。国民は感染防止で自粛し外国からの人は入国制限、そんな中で開催の手立てがあるなら早く公開して欲しい。

 カープのキャンプは無観客でも仕方ない。しかし、そうであっても実のある質の高い訓練を積み実力をアップし、3月26日の開幕でそれを見せて欲しい。そのことがコロナで沈滞する地元の活力を呼び起こすことになる。今期はゼロからの発進、コロナに感染せず一戦一戦をこなし、終えてみればお山の天辺にいた、そんな夢を見ている。
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馴染みの客

2021年02月06日 | エッセイサロン

 地紋入りでちょっと意味深そうな赤い色の表紙、タイトルもちょっと意味ありそうな「馴染みの客」というエッセイ集が届いた。今は解散となったエッセイサロンで、共に楽しく同人として書くことを学んでいた元会員のKさんが還暦記念として年明けに自費出版される、昨秋の終わるころに聞いていた。

 届いた100頁ほどには、これまで各紙に投稿され掲載された60数編が載っている。Kさんは県西部に住まいされていて酒造会社に勤務されている。毎年、たっぷり酒分のある酒の粕を頂いていた。そんな忙しい中でも年数回は新幹線で県の東端での月例会に出席されていた。そのことだけでもエッセイに対する思い入れの深さが伺える。

 エッセイサロン元代表は「出版に寄せて」の中で「家族・孫・遠くに住むご両親のことを中心に、趣味や仕事にまつわるなどを、何気ない日常の中で感性鋭くとらえてエッセイにしておられます」と書かれている。例会でちょっと笑みながらも、的を得た指摘と、働いているからこその見方やとらえ方が披露され参考になっていた。

 艶っぽい本のタイトルはエッセイ集の巻頭を飾る初掲載のタイトルという。生まれた時から浮気もせずに参拝している神社との関係、時にはずうずうしく、時には駆け込み祈願の様子などが面白い。おわりに「私は私が主人公の物語を、不器用でもまだ精一杯生きてステキな物語を作っていきたい。私の人生の中では私が主人公」と結んである。第2集の出版を待っています。
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疱瘡の感染対策学ぶ

2021年02月05日 | エッセイサロン
2021年2月5日 中国新聞「広場」掲載
 
 新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が10都府県で1カ延長されることになった。厳しいけれど改めて外出を控える重要性に心するとともに、1月4日付 「天風録」を思い出す。
 その中に「庖癒が流行した江戸時代、岩国藩は患者の生活費も負担して隔離政策を採ったという」との1節があった。庖癒とは天然痘のこと。私はこのことをおよそ10年前に知り書き留めていた。
 岩国藩は庖癒を恐れ、藩主を守るためさまざまな方策を取った。発病した本人はもちろん、家族や患者と接した者は、定められた地域に隔離された。隔離後は家族といえども接近すらさせなかった。また、患者の家に対しては隔離療養の費用を支給したという。
 江戸時代、はやり病についてどれほどの情報と知識あったのだろうか。そうした中で、感染症である庖庸との闘いの基本が隔離であり患者との非接触であった。現代医学の下でのコロナ対策と類似していることに驚いている。
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アマビエに託す

2021年02月04日 | 社会 政治

 「アマビエ」、コロナ感染が広まり「おおごとになる」につれ見聞きしてはいたが詳しいことは知らなかった。それがコロナ封じの妖怪だと聞き、いろいろ考える人がいるもんだくらいに軽く思っていた。ある家を訪問したとき、日本茶に添えて出された饅頭の飾りを眺めていると「娘が買って来たんですがアマビエです」と教えられた。ここまではびこっているのか、私の情報音痴にあきれた。

 ネットにはいろいろと載っている。アマエビは日本に伝わる妖怪。海中から光を輝かせるなどの現象を起こし、豊作や疫病などに関する予言をしたと伝えられる。その妖怪の話とその姿を描いたのは肥後の国の役人で、弘化3(1846)年4月に刊行された木版画が「『肥後国海中の怪(アマビエの図)』(京都大学附属図書館所蔵)」として残されている、とある。

 その図を見ると長い髪、とがった口ばし、うろこのような体、3本の足のような羽のような、不思議な姿をしている。「病気が流行するので私の姿を写して人々に見せよ」と言ったとかもあってか、国の薦める新型コロナウイルス接触確認アプリのココア(COCOA)にもこの姿が使われている。木版画の顔は左向きだがアプリでは右を向いている違いはある。

 コロナ感染が始まって1年、遅れに遅れてようやく知ったアマビエ、肥後の役人が見てからこれまでにどのくらい登場して人々救ったのだろうか。しかし、感染拡大を防ぐ切り札のCOCOA、アンドロイド版が昨年9月末から今日まで4カ月以上、機能していないことが分かった。私はアンドロイド、こんなことでデジタル庁は大丈夫だろうか。
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如月と立春

2021年02月03日 | 自然 季節

 2月は陰暦で「如月(きさらぎ)」と思い込んでいた。ところが、辞書によって解釈が違っているという書き込み、手持ちの辞書で比べてみた。広辞苑「(『生更ぎ』の意。草木の更生することをいう。着物をさらに重ね着るとするは誤り)2月の異称 きぬさらぎ」。

 明鏡国語辞典「陰暦二月の別称。転用して太陽暦の二月にもいう。生更着(きさらぎ)すなわち『寒いので衣を更に重ねて着る』意という。新明解国語辞典「(陰暦)二月の異称、〔衣更着、すなわち寒さがきびしく、重ね着をする意から〕。2月の異称は共通するが、重ね着については異なる。私には判断できる力はないが、今まさに入試シーズン、受験生は困らぬか。

 124年ぶりの節分の日が過ぎ今日から春に。公園の梅の花、緊急事態宣言の影響ではなかろうが、花開いている木もあるが、梅が綺麗という見ごろにはまだ時間が要りそうだ。公園はがらんとしていて梅観る人、観光に来た人、散策する人、写真を撮る人は見えない。店も閉まっている。

 暦では立春、何か春はないだろうか、そんなことを思いながら歩く。堀で数十羽のカモが群れているほかは静かな公園。あきらめかけたころ、若木で背の低い桜の木にしっかりした芽がついているのに気づいた。開花までにはまだ6、7週間はかかるだろう。その開花には昼と夜の温度差も必要という。昼前に低温注意報が発表され開花へはいい環境のようだ。今年は花見ができるのだろうか、気になる。
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開花に向けて

2021年02月02日 | 自然 季節

 今日昼間は桜の咲く頃の気温と気象予報士。墓参りに行ってきたが、南向きということもあったか 日のさすところは確かにポカポカする感じで、ジャージを脱いで掃除をした。車の中も寒中だということを忘れそうだ。そういえば今日は節分で季節の分かれ目の日、明日は立春で春に向かう。しかし日暮れと共に気温は急に低下するので要注意とのことだった。

 年代を感じさせる大きな桜の木、よく晴れた空に向かって無数の枝を伸ばしている。一年に一度しか見れない桜の花、そのためにこうして開花の準備をしているのだろう、気持ち良さそうに見える。桜の咲く頃の気温ということが分かっているようでもある。開花には冬の低温にさらされる時期が必要だが今冬は十分だろう。

 桜の開花予報、瀬戸内のこの辺りでは3月24日と1回目の予想で報じられた。いつ桜は咲くか、説はいろいろあるようだ。2月1日からの毎日の最高気温の累計が600度に達した頃、いやいや、2月1日は同じだが毎日の平均気温の累計が400度に達した頃というが、政府の好きなエビデンスは見当たらない。今日からなら積算して裏付けを取るのも面白い。

 昨年は1月24日にホテルでの同好会解散会の宴席だけで、花見をはじめとする定例会のすべてが見送りとなった。秋に数年ぶりに来岩予定だった在京の知人を迎えての宴も来れなくなり中止に。これらすべてが新型ウイルスによって阻まれた。同好会OB・OG会のビヤガーデンを忘年会に、これも伸びてこの春の花見に持ち越している。さてどうなるか、コロナのみぞ知るのだろうか。
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1月はいぬる

2021年02月01日 | 自然 季節

 「1月はいぬる」、ことば遊びだろうがよく聞くし使ってもきた。1月は正月などがありやることが思うように出来ない、そんな言い訳のように聞こえる。勤め上げて退職、そして高齢層に仲間入りした一人として、工夫すれば時間は捻出できることから、ことば遊びは本当の言い訳に思える。

 ところが今年の1月は、昨年末親戚の不幸があり平年とは違った忙しさを感じた。家族葬といえども一連の儀式は「コロナ対策を講じた方式」で進む。マスク着用は厳守、密集・密接回避、換気など等これまで経験のない方式だった。県や市のコロナ感染状況にことのほか神経を使っていたように思うが事なきを得たようだ。

 コロナ感染は全体では高止まり横ばいの感じだが、県内の発生数はクラスターの発生も多く気の抜けない状況で、第3ステージとされている。次の段階は宣言対象に進むことになる。SNSなどでは各種報道を煽りという投稿も目にするが、医療関係者の声を聞くとそうは思えない。1月に続いて「2月は逃げる、3月は去る」というが、コロナがこうなってくれることを願っている。

 「1月はいぬる」といっていた。しかし、漢字を当てはめてみたことはないので引いてみると「往ぬる」「去ぬる」「行く」の3つが浮かんだ。難しい解説はあるようだが時は待たず2月になったのでその解説は又にしよう。いぬる、子どものころに遊んでいて途中で帰るとき「いぬるけえ」と断っていたことをふと思い出した。方言だろうが懐かしい。
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