笑えるようなそうでないような親子の会話。長男にあることで言い聞かせる時に「お父さんはお前より長く生きていろいろ経験している」と語ると「そんなことはない、僕が生まれたからお父さんになったのだから親子の期間は同じだ」。この噺を読んで「親の意見となすびの花は千にひとつも仇はない」あるいは「冷や酒と親の意見は後できく」を教えてやりたくなった。
一方で「親の心子知らず」という。子が勝手にふるまうと親は愚痴るが「子の心親知らず」といっそうむくれる。やがて成長すると「子を持って知る親の恩」となってくる。しかし、「親の因果が子に報う」というのは親の悪行の報いが子に及び罪のない子が苦しむこともある。親は心して生き「親の因果が子に報う」ことの無いように生きねばならい。
一方、才能や実力がなくても、親の威光や名声によって、子が世間からさまざまな恩恵を受けることを「親のひかりは七光り」とか「親の七光り」という。それは本人の実力によるものではないことを意味している。なので、そこには公正や公平は存在しない。七光が途絶えたら、その先は言わぬが花だろう。
追越禁止区間でバスの後ろを走る。ラジオは衆院予算委員会の中継。総務省官僚のトップが、同省の利害関係者として疑義がある人との会食について質している。官僚らは口を濁しているが、関係者とは首相の子息と分かっている。中継を聞きながら、バスに貼られた広告、これは親である市営のまずさの果て民営に変わって苦労している姿の一つ、親の因果を背負って走っているのだとわかる。後をついていく間に乗降客無く4カ所かのバス停を通過、経営は苦しそうだ。