日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

支援のしかた

2011年04月20日 | 生活・ニュース
           

東日本大地震の被害は言葉では言い表せない、言い尽くせない大きさとして世界の人に伝えられ続けている。50日余り過ぎても新たな被災が見つかっている。非常に深刻な状況にあることは間違いない。

地震発生と同時に支援が始まり、阪神大震災以降のいくつかの経験からその速さ広がり力強さはこれまで例をみないといわれる。その輪は国内だけでなく世界から寄せられている。

「義援金のお願い」という募金活動があちこちで行われている。レジのそばにも置かれている。出来ることがあれば被災地で何かしたいがかなわない。自分に直接出来る支援は募金へ協力することくらいしかない、出来る範囲でしようと思っている。

市民活動支援センターの事務所にも募金箱が置かれ、そう広くない事務所の片隅には震災被害者への支援品が積まれていた。そのそばにはそれを整理しまとめられた段ボール箱が幾つも積まれている。センター職員の方がされたという。

こうした支援の活動、ひと目につかない多くの所で静かに行われているのだろう。ひとりひとりが支え合う大切さをしっかり思っていることの連鎖さだろう。それがひとつになたっ時の力強さを感じ、頭が下がる。

募金へ協力しながら、いつまで、どのくらいすればいいのか、答えのない問答を気持ちの中で繰り返していた。そんな答えがある方のブログに載っていた。「そばにいる人に優しくしてあげるといいんですよ。すると、優しさがつながっていきますから」という一節に続いて、その先が示されていた。参考にさせてもらいます。

(写真:市民活動支援センターへ届いた暖かい支援の品々)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

育てもったいない

2011年04月19日 | 生活・ニュース
           

農産地域の国道べりで戸板の台に野菜を並べ、それをお年寄りが売っているのを初めて見た時は何だろうと思った。今にして思えば朝市の始まりだった。その朝市が賑わいを見せ始めて相当長い年が過ぎている。

当時はその野菜についていろいろ言われたが、今ではその賑わいに目を見張る。地域おこしの大切な役目も担っている。野菜の高騰時にはひときわ賑わうというのは、消費者のニーズにとけ込んでいる。

今ではスーパーの野菜売り場には「わけあり」とか表示された農産物が正規品のそばに堂々と並んでいる。曲がったキュウリやナスビ、不揃いな芋類など幾種類もある。結構買われているように思う。最近コンニャクの切りくずの袋入り、それも大袋に入ったのを見た。なんでもありになってきた。

東日本大震災による被害のうち農産物についても尋常ではない。原発事故はその収束の見通しが立たず農産物収穫の時期は未定という。スーパーの規格に合わない、大きさが不揃い、色合いがあっていない、そんな十分はいえない。もったいない、を育てなければいけない。

(写真:朝市で見たおどけた大根、100円也)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また花

2011年04月18日 | 地域
                     

三日続けて花の話題。シバサクラ祭りの会場から隣町へ通じる峠に向かって車を走らせる。カーブを曲がるたびに道幅は狭くなるが、上の方に花影が見え始める。教えられた花畑は集落の奥まったところにあった。

咲いているところは個人の畑のようだ。シバサクラとは違った色鮮やかな景色。色違いのももにレンギョウや水仙、菜の花が思い思いに咲いている。そんななかで桜も咲き具合も樹木の大きさも存在感を示している。競演をしている。

ここにいたる道筋の家々の石垣のハナミズキは5分咲き。水仙やももの花も庭に見える。車でなく歩いて愛でるとほかの植栽も見られるだろう。花で集落がひとつになっている、そんな感じを持ちながら坂を下った。いい1日だった。

  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も花

2011年04月17日 | 地域
           

その集落は我が家から錦川沿いにR187 をおおよそ1時間ほどの上流にある。国道を外れると3キロほどの急坂で狭い道は緊張して運転する。登りきると集落一面に咲いた菜の花が迎えてくれる。

府谷というこの集落の人口は100名余。大きなイベントは春のシバサクラまつり、夏のホタル狩りが知られている。今日はシバサクラまつりの最終日、集落総出で盛り上げると聞いている。

「高齢者が多くイベントは大変だけど、大勢の人に喜んでもらえるので続けている」というのは農機具メーカーの帽子をかむった地元男性の話し。そのキャッチフレーズは「府谷きてみんさい!きっとなにかみつかるよ!」。お昼ころには車々々で住民の人の数倍くらいの人出に思えた。

スタッフの方が「今年は咲き始めが遅く、次の週末にまたおいで下さい」と遠慮そうに教えてくれた。たしかにシバサクラはもう一息というところだろどうか。ともに咲いている菜の花は満開。子どもらはその中を走りまわったり、かくれんぼをしたりと楽しそう。

会場周辺は吉野桜とシバサクラ、菜の花に水仙など色とりどりで春そのもの。弁当を広げる人も多い。山あいの澄んだ空気を満喫しながらゆっくりを写真を撮った。その後、教えられた桜やももの花の咲く山あいへ向かった。

(写真:のどかな景色のなかで弁当は一段と美味さをます)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぬけがけ

2011年04月16日 | エッセイサロン
           

枝垂桜は、枝がやわらかく枝垂れる桜の総称でいくつかの品種があるそうだ。
その枝垂れ桜をエッセイの仲間と見に出かけた。冬の寒さの名残か、例年なら開花しているのに、訪れた時は残念だがまだつぼみ。開花するまで待つ事ことはならず、次の目的地へ向かった。残念、の思いを残しながら。

その残念を晴らそうと、山口市からの帰り少し遠回りしR315を南下した。少し高地の国道沿いの桜はまだまだ鑑賞に堪える。ならばと望みを持ちながら国道をひた走り、桜所在の場所に向けて左折した。

メンバーを出し抜いて事をなすこと、それを抜け駆けという。そんな気もしたが出向いた甲斐があった。言い訳はこれくらいにしよう。初めての掲載方法ですが写真をクリックしてください。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひとまたぎ

2011年04月15日 | 地域
           

斜面が地滑りを起こしそうなほど急な山の斜面の中腹を縫うように車を走らせる。反対側はかなり深い谷のようだが、雑草が茂りその底は見えない。車中の会話も途切れがち。対向車が来ないことを願いながら上っていく。

急な角を曲がる。突然、下から眺めると天空に架かるような高架橋があらわれた。それは麓からここまでの景色を一変させる近代構築物だ。橋脚は高くて目測できない。橋上の様子をうかがう術はないが、どこからどこへ通じる道だろう。

村や町をひとまたぎしてしまう高架橋、見上げながらこうした施設も里山の集落を過疎化に走らせているのでは、そんなことを思いながら橋脚を回り込むようなヘアピンを曲がった。

山の急斜面に通された道、離合もままならぬ道巾だが、アスファルト舗装は麓から途切れず続いている。途中で見かけた畑や田のそばに停まっていた軽トラの運転には助かるだろう。が、歩く人には出会うことはなかった。

あの高架橋からこの集落を見下ろす、思っただけでも足がすくむ。この集落の人が自分の住む集落をひとまたぎする高さからそこを見下ろしたとしたら、どんな感じを持たれるだろう。集落への愛着が増す、それはよく整った集落の佇まいがそう思わせる。

(写真:いろいろ思わせてくれた高架橋)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山里の厳しさ

2011年04月14日 | 地域
           

何度も沢を渡り尾根を越えて山里の集落をいくつか回った。段畑に田んぼに小川沿いにと、そここに菜の花が咲き春をつげている。廃校と教えられた小学校、その周囲にも桜が咲き始めていた。子どもらのいない運動場が白く見える。

どの集落でもいたるところで畑や田んぼに立ち木や雑草が茂っている。そんな景色の中にもうひとつ共通するのは廃屋だった。初めて目にするその多さに驚いた。その傷み、傾き、崩落などの状況は個々に違うが、そこに人の住まいのなさの哀れさをひしひしと感じさせる。

高齢化に過疎化、さらに限界集落へと移り変わる姿を目のあたりにした。保水に大きな役割を果たしていた棚田、その役目を終えたかのように眠っている。山林は倒木が重なりあって朽ちている。映像で見て知っているつもりの荒廃、車窓から実際に見ると言葉を失う。

「若い者はおりません」とほとりの枯れた雑草を刈る手を休め、被っていた手ぬぐいを外した高齢の女性から話しかけられた。どう言葉を返すものかと戸惑った。「間もなくヨモギがつめます」という言葉に、長く積んでこられ身についた収穫の暦のようなものを感じた。

幹線道路から目にした山里のあたりは西日をうけて霞んで見える。獣害のひどさも教えられたが、今夜だけでも畑に出るな、猿やイノシシに願いながら、山里に住む人たちへエールを送る。

(写真:いくつも目にした廃屋のひとつ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4分の1でも

2011年04月13日 | 自然 季節
           

春雨は静かに降る。草木の芽ぶきをうながしその芽を伸ばす。やがて花を開かせる恵みの力を持っている。菜の花の咲くころにはわりあい長く降る。これを菜種梅雨と呼ぶ。俳句の季語にもなっている。

桜の見ごろの頃がこの菜種梅雨と重なる。花見の宴を世話する時はこの雨にイライラしたことを覚えている。それだけに晴れ上がり澄んだ青空のもとでの乾杯は格別だった。しかし、このところ乾燥注意報が何日も続いている。今年はから菜種梅雨で終わるようだ。

先月の降水量は平年の4分の1という。先日車を走らせたた山あいでいくつかのダムを見た。どれもが水位が下がり貯水域の山肌を大きくあらわにし、上流では干上がって乾いた底が白く光っている。雨がほしい、ダムの声が聞こえるようだった。

この少ない雨にもめげず何もなかったように菜の花も桜も咲きそろっている。これを自然力というのだろうか。いつもの年より気張って咲いているのかもしれない。何でもない花の咲き方も、見方を変えると何か見える。

(写真:何の気配も見せず今年もいつものように咲いてる)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古家の解体

2011年04月12日 | 町かど
           

藩政時代の古い町名で「塩町」という通りがある。その由来は、もと塩座があったことから名が付けられたと説明されている。子どものころには塩屋町と呼んでいた記憶がする。位置は岩国病院の裏側にあたる。鍛冶屋町、柳井町、玖珂町と上っていくと錦帯橋のすぐ下手の土手に通じる。

この塩町に古い屋敷がある。歴史的にも建築様式も価値ある建物と聞いている。何度かそれを示す掲示などは見当たらないかと探したが無駄に終わった。白壁ははがれ土色の壁がむき出しで、屋根瓦の一部は落下防止のブルーシートで覆われていた。母屋の屋根は崩れ複数個所で抜け落ちていた。

随分と前になるが「補修の予算がつかないので」と聞いたことがある。そういえば錦帯橋近くの古い建築物が崩れ落ち桜の咲く前に解体された。それは県文化財の香川家長屋門の隣だった。新聞でも報道され惜しむ人も多かった。

塩町の古い屋敷に解体業者の重機と運搬車が並んでいる。見かけた時は屋根瓦を取り除いていた。一般的には重機で屋根もろともに解体されるだろうが、瓦を手作業で取り除いているということは、何か意味がありそうだ。家の中は崩れ落ち外観もその体をなしていない。どう処理されるのだろうか。

城下町の維持、時代性のあるそれを所有する人とそうでない人の思いに違いが出る。直接の生活の場になっていると一層隔たりが出るだろう。歴史的価値観と日々の生活、結論はそう簡単ではないだろう。

(写真:解体中の塩町にある古い建物)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予測を超えたとき

2011年04月11日 | 地域
           

東日本大地震の大きな揺れの後に襲ってきた山のような津波。その被害の甚大さ凄惨さはあらゆるメディアを通して国内はもとより世界に向けて発信されている。発信を受けて被災への支援も同じく世界から寄せられている。「支え合う」という心の思いが形に育っているように思える。

津波は「予測を超えた高さだった」と被害各地の検証が進むにつれ発表される。予測を超えると発表されるが、その予測の根拠とは何か、見逃しているのかまだ理解できていない。異常な高さだった、と、ひと口に始末していいのか迷っている。

数年前の大洪水でこの地域にも避難勧告が出された。その時の河川の水位は住宅1階の高さ近くになることを自治会で検証した。堤防の決壊が発生していたら大きな被害は免れなかった。襲い来る津波の映像を見て、水位の測定をしながら恐怖を語りあったことを思い出す。

事故や自然災害の怖は日が経つにつれ薄れる。それを補うのは訓練。現役のころは定期的に、また突発で災害の防除や鎮圧の訓練を形を変えて行われ参加していた。プラント運転のころは身を守るすべとしてそれは真剣だった。

今回の地震災害から検証された多くの防災心得が作られるだろう。それを、ただ情報として読むだけでなく、心得としてとどめ知っておくことが大切だろう。予測されている東南海地震などの規模が、予測を大きく外れるということもあるから。

(写真:数年前の洪水の残さが残っている鉄橋の橋脚)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする