藩政時代の古い町名で「塩町」という通りがある。その由来は、もと塩座があったことから名が付けられたと説明されている。子どものころには塩屋町と呼んでいた記憶がする。位置は岩国病院の裏側にあたる。鍛冶屋町、柳井町、玖珂町と上っていくと錦帯橋のすぐ下手の土手に通じる。
この塩町に古い屋敷がある。歴史的にも建築様式も価値ある建物と聞いている。何度かそれを示す掲示などは見当たらないかと探したが無駄に終わった。白壁ははがれ土色の壁がむき出しで、屋根瓦の一部は落下防止のブルーシートで覆われていた。母屋の屋根は崩れ複数個所で抜け落ちていた。
随分と前になるが「補修の予算がつかないので」と聞いたことがある。そういえば錦帯橋近くの古い建築物が崩れ落ち桜の咲く前に解体された。それは県文化財の香川家長屋門の隣だった。新聞でも報道され惜しむ人も多かった。
塩町の古い屋敷に解体業者の重機と運搬車が並んでいる。見かけた時は屋根瓦を取り除いていた。一般的には重機で屋根もろともに解体されるだろうが、瓦を手作業で取り除いているということは、何か意味がありそうだ。家の中は崩れ落ち外観もその体をなしていない。どう処理されるのだろうか。
城下町の維持、時代性のあるそれを所有する人とそうでない人の思いに違いが出る。直接の生活の場になっていると一層隔たりが出るだろう。歴史的価値観と日々の生活、結論はそう簡単ではないだろう。
(写真:解体中の塩町にある古い建物)