日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

山里の厳しさ

2011年04月14日 | 地域
           

何度も沢を渡り尾根を越えて山里の集落をいくつか回った。段畑に田んぼに小川沿いにと、そここに菜の花が咲き春をつげている。廃校と教えられた小学校、その周囲にも桜が咲き始めていた。子どもらのいない運動場が白く見える。

どの集落でもいたるところで畑や田んぼに立ち木や雑草が茂っている。そんな景色の中にもうひとつ共通するのは廃屋だった。初めて目にするその多さに驚いた。その傷み、傾き、崩落などの状況は個々に違うが、そこに人の住まいのなさの哀れさをひしひしと感じさせる。

高齢化に過疎化、さらに限界集落へと移り変わる姿を目のあたりにした。保水に大きな役割を果たしていた棚田、その役目を終えたかのように眠っている。山林は倒木が重なりあって朽ちている。映像で見て知っているつもりの荒廃、車窓から実際に見ると言葉を失う。

「若い者はおりません」とほとりの枯れた雑草を刈る手を休め、被っていた手ぬぐいを外した高齢の女性から話しかけられた。どう言葉を返すものかと戸惑った。「間もなくヨモギがつめます」という言葉に、長く積んでこられ身についた収穫の暦のようなものを感じた。

幹線道路から目にした山里のあたりは西日をうけて霞んで見える。獣害のひどさも教えられたが、今夜だけでも畑に出るな、猿やイノシシに願いながら、山里に住む人たちへエールを送る。

(写真:いくつも目にした廃屋のひとつ)
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