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日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

山椒の実

2010年05月21日 | 生活・ニュース
               

日本料理になくてはならない香辛料、素人の自分にもワサビや生姜や山椒の3つくらいはすぐに答えれる。それを、どう調理するかは答えられない。答えられないがいただくことは人に負けないと思う。

そのうち身近で目にすることが出来るのは「山椒」、我が家にも小さいが葉山椒が1本ある。この若葉は「木の芽」と呼ばれ、独特の香りと辛味がある。冷奴や刺身のつまにしたりお吸い物に香り付けに浮かべたりする。料理に乗せる前、両手でパーンと叩く、するといっそう香りが増す、と聞き覚えている。

この季節、春先に咲いた花が濃い緑の実に育った。その実を佃煮に加工する事は古くから伝わる日本人の食文化のひとつになっている。食欲のないときは増進の友になったり、身体をシャキッとさせたり、と思い方で、味の深みが増す。

その実をいただいた。その量は少々ではない。山椒は雌雄異株でそれだけでは実がつかないことも教わった。家内が佃煮の準備にかかった。山椒は小粒でもぴりりと辛い、というものの例えがある。歳相応の嫌われないピリ辛になれるか、家内の調理にかかっている。

(写真:辛さを忍ばせている緑濃い山椒の実)
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撮りそこない

2010年05月20日 | 生活・ニュース
               

梅雨の走りという雨のなか、家の前で2羽のツバメが飛ぶ。右から降りてきて道すれすれに滑空し、急上昇をする。2羽が同じようなコースを繰り返し繰り返し飛ぶ。雨の中を飛ぶツバメを撮りたい。

1個だけ持っている手のひらサイズのデジカメを持ち出す。ツバメはまだ繰り返し飛んでいる。軒下で、滑空するあたりへレンズを向け構え、液晶モニターを眺める。構図は良いようだ。後はチャンスを待つ。

ツバメがポーズをとりながら液晶モニターに現れては飛び去る。何度もシャッターを押すが、空振りしていることが分かる。そのうち餌を捕りつくしたのか2羽は姿を消した。

静止画のボタンを押す。どの画面にもツバメの姿はない。無理もない、液晶モニターに登場するツバメは1秒ほどもない。シャッターボタンを押したときには急上昇に転じている。頭の中では分かっているつもりだが、何せカメラがと、あきらめる。

それにしてもよく降った梅雨のはしりだった。

(写真:ツバメはこの中央付近を滑空していた)
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貧乏人は麦を食え

2010年05月19日 | 生活・ニュース
               

タイトルの言葉は1950(昭和25)年12月に当時の池田大蔵大臣が国会で答弁した、とされている。当時は小学校4年でその記憶にはないが、以後の様々な場面で読み、話題になりして知っている。

ところが、そうは言っていないという。「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそつたほうへ持つて行きたい」という念願を述べた。

ではタイトルのように何故伝わったのか。「マスコミによって意訳された」という。意訳、原文の一語一語にこだわらず、全体の意味に重点をおいて訳すこと、と広辞苑は説明する。政治家の真意ではないによくにている。

青々とした本当の麦が活けられていた。今はないと思うが、貧乏人は麦を、という遠い昔の話を思い出した。車で遠出すると、安全運手をしながら麦畑を捜すが少なくなったのか見つからない。知人のブログで麦ふみの写真を見たとき、思わず足を踏みしめている自分がいた。

こうして書くつたないブログも、多くの方の訪問を受けている。書き方の拙さから意訳を受けないよう、心して残していこう。

(写真:豪快に活けられた麦が懐かしかった)
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坂道を上る

2010年05月18日 | 陶芸
               

月2回の陶芸教室は海抜500mにある「山口県ふれあいパーク」の創作室。さらに急な坂を上れば山頂の展望広場に到着する。そこは550m。

国道を折れて坂道にかかる。大きな団地を過ぎると民家はポツリポツリ、急な斜面に建っている。休耕田なのか畑なのか見分けがつかないほど雑草に覆われた棚田などが道の両側に続く。そんな中、水を張って田植えの準備が進む田を見るとホットする。

幅の狭い急な坂道が6.5キロ続く。それでも送迎用のバスは慣れた様子で上る。途中の急カーブは50ヵ所以上、その中にはヘヤピンカーブも何ヵ所かある。自家用車で何度か上ったがその難儀さには神経を使った。

暖かくなり送迎バスの窓のくもりが取れると窓外の風景に話題が移る。コスモスに桜、ワラビに竹の子など幅広く話がはずむ。思はぬ知識を得ることも。でも、これが創作への糧になっているようには思えない。

趣味とはいえいい物を作りたい、その坂道は、いつも上るくねくねと曲がった山道に同じだろう。脱輪しないようハンドルならぬ轆轤をこつこつと回そう。今日の小鉢は芯がうまく出せていい形に仕上がった。少しいい気分であと片付けが出来た。いつもこんな気分で終えたいものだ。

(写真:ふれあいパークに咲いているしゃくなげ)
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岩国学校校舎

2010年05月17日 | 町かど
               

岩国学校校舎は1969(昭和44)年12月、大阪万博の前年に山口県有形文化財に指定された。文化財指定の説明は次のようになっている。

岩国学校は、1870(明治3)年岩国藩主が藩中の青少年を教育するため学制の大改革を行い、旧兵学校と文学校を公中学・公小学に組織を改め現在地に新築し翌年2月開校した。校舎は上層を教員詰所、下層を教室にした二階建てであったが、学制発布の1972(明治5)年に3階を増築した。そこは鐘楼となっているがその音はまだ聞いていない。

当初の部分はほぼ和風様式であるが、増築部分は屋根銅版ぶき、アーチ窓、ヨロイ戸付、しっくい大壁造りの洋風である。この和洋を合せとり入れた手法は、明治初年の教育制度の激しい移り変わりと文明開化の気運を象徴するもので、全国に現存する明治初年の学校建築の中でも様式の特異性において他に例を見ない。現在の建物は、1972(昭和47)年に解体修理したものである。

教育制度の激しい変遷を知らなければ理解できない部分もあるが、由緒ある文化財だ。岩国小学校の6年間、ここには養護室や音楽室があり学び舎の1部分だった。その並びには広い給食の調理室があった。かっての校舎は今の校庭の位置にあり、長い渡り廊下でつながっていた。そのころ、建物の歴史など知ることはなかった。

今は「岩国学校教育資料館」として活用されている。日本の電気の父・藤岡市助博士に関する資料、寺小屋・明治以降の教科書類、児童生徒の作品、郷土の民俗・研究資料などが展示されている。入館無料です。郷土の一面を教えてくれる大事な所、館内はまたの日に案内します。

(写真:歴史を語りかける風格のある岩国学校校舎)
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忘れられる文化

2010年05月16日 | 生活・ニュース
               

ずいぶん前から食べ物の旬がなくなった、と言えるくらい食べたいものがいつでも食べれる。旬の物がうまい、という言い方を忘れそうになる。野菜は光合成ならぬLDE合成の時代へ移るという。そこは太陽の陽を浴びる畑でなく自動化された工場となっている。

野菜の栄養素については理科の時間に学んだが、大方は頭外へ抜けている。今は妻の手料理任せで栄養素を考えることは全くない。CMで流され、もすごく効くというサプリメントのお世話にはまだなっていない。畑から直送の新鮮な野菜をよくいただく。これで助かっているのかも知れない。

餅を旬の物といえるかどうか分からない。が、子どものころのは正月にしか食べれなかった。我が家では年末と旧正月の2回、杵で餅つきをした。親戚全部のそれを搗き終えるのは夕方になった。その杵の音がしなくなってもう長い。今は、いつでも食べれるが、弾力のある杵の味にはほど遠い。

軒下に石と木の臼が無造作に並んでいた。ちょっと触ってゆすってみた。石臼を乗せた台はしっかりしている。これならまだ使えると思いながら、こうした日本独特の文化が忘れられていく事に一抹の寂しさを感じた。

(写真:もう使われることはなさそうな石と木の臼)
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錦帯橋の周辺

2010年05月15日 | 地域
                            

すっかり若葉に変わった錦帯橋周辺の桜、散策の日よけになり日傘をたたむ人もある。鵜飼舟は行儀よく並びまもなくの出番を待っている。花見のときの喧騒は遠くへ忘れ去り公園は眠っているように静か。

予告の立て看板で知らされていた錦帯橋の測量が行われた。橋を3次元立体CGとして制作し、世界遺産登録への活用や架け替え技術の伝承、PRを目的に作成されるそうだ。来年度中の完成を目指すという。完成したらぜひ見てみたい、ネットでの公開もされるようだ。

五月晴れにしては暑すぎる日、赤い帽子をかむり腰にすくいあげ様の網を挿して場所を変えながら釣竿をかざす人を見た。先日も同じスタイルで同じ場所で似た姿の釣り人を見た。同じ人だろうか。錦川のアユ解禁は来月1日から、何を狙っての釣竿だろうか。

楽しませてくれたお堀周りのボタンやツツジ、藤は終わったが14万株といわれる菖蒲が元気に育っている。バラも花をつけ始めた。大型の噴水周りから眺める新緑はその濃淡の不思議な組み合わせが足を止めさせる。

山麓駅広場に展示されている木炭自動車、これが西岩国地区の遊覧に使われるという。レトロ満載の木炭自動車、さてどんな高価な効果が現れるのだろう。乗り心地はどんなだろか試してみたい。

(写真:木炭自動車、もう1台ある 07年5月写す)
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裏通りにも

2010年05月14日 | 回想
               

TVのアナログ放送はあと1年余、そこからは地デジに変わる。盛んに受像機の切り替えを呼びかけている。供応するようにエコポイントもつくなど電気店の販売は好調のようだ。こんな大きな波の中で思い出す。我が家に初めての受像機が届いたのは丁度50年前の初夏だった。

すこし高台にある我が家ならTV電波が受信できるという電気店の説明。半日掛かりで準備が終り、SWを入れた。ほぼ四角な画面に映ったのはモノクロのNHKの「バス通り裏」だった。それは瀬戸内海を越えてきた四国からの電波だったが、身ぶるいするような感動だった。あの主題歌「小さな庭を真ん中に・・・」は今も口ずさめる。

それは「バス通り裏」の細い路地を挟んだ美容院と高校教師の家族を舞台にした青春ホームドラマだった。ごく身近な日常の泣き笑いや戯言など共感を覚えた記憶がある。その後、このドラマからは名優が続出したという。

あのような裏通り、今もどこかにあるのだろうか。あれはドラマだからといいながら、高い人気を維持したということは、多くの視聴者はそのどこかに憧れや願いがあったからだろう。

我が家はバス通り裏にあるがあのドラマのような風景には出会えない。あのころとまるで変わった家並みがそうなったのかもしれない。それでも綺麗に手入れされた生垣や花畑などを見かけると、どこか心かようものを感じる。我が家もそう心掛けていきたい。

(写真:裏通りにあるいつも手入れの行き届いている植え込み)
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睡蓮は眠る

2010年05月13日 | 自然 季節
               

五月晴れの空を映す池に睡蓮が咲いていた。花言葉は純潔、清浄、甘美、純粋な心、など花の姿に相応しい。誕生花としては4月27日、5月8日、7月24日、10月30日と載っている。贈ってみてはどうだろう。

睡蓮は池のなかで植栽される。花も葉も水面に浮かんだままジッとしているようだが、不思議な生き方をしている。日が昇ると開き始め午後2時ころからしぼみ始め夕方には睡眠に入るそうだ。こんなところから睡蓮の名がついという。ひとつ物知りになった。

遠足に来ていた園児が花の数を数え始めた。30くらいまで進んだが「わからん」と言いながら数えなおしている。いくつあったのだろうか。

花の命は3日くらいという。花は次々に咲くのでそのことに気づかないのだろう。いつ見ても鮮やかな精にあふれた勢いを感じるのは、短い命を輝かしているのだろう。惰性に生きるな、睡蓮はそんなことを教えてくれる。

(写真:五月の陽射しを受ける睡蓮)
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遊び時間

2010年05月12日 | 地域
              

小学校の校庭から賑やかな声が聞こえる。覗いてみた。広いそこでは児童らが思い思いに動き回っている。走っていた児童に「何の時間」と聞く「遊び時間」と大声で教えてくれた。

60年くらい前も遊び時間があった、授業と授業の間に校庭で遊んだことを思い出した。そのころの言葉での蹴球、野球の三角ベース、縄跳びなどとにかく体を動かした。同じような光景が目の前に繰り広げられている。

飛んだり投げたり走ったり、ジャングルジムを通り抜けたり、思いっきりブランコを振らしたり、どれも、見ているこちらも楽しくなる。あちこちで上がる大声がひとつになって青空へ吸い込まれていく。

突然、「あと3分です」とアナウンス。あれだけ動き回っていた児童が一斉に校舎へ向って走り始めた。本当に「あっ」というまに校庭は静寂な空間に変わった。短い時間だったが、感動したドラマが終わった時のような満ちた気分を味わった。60年前はチリンチリンとかねが鳴らされていた。

この小学校の児童は700余名、月並みだが健やかに成長して欲しい、そう思いながら校庭を横切ってみた。

(写真:遊び時間をすごす児童ら、こんな姿が校庭いっぱいに広がっている)
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