岩国学校校舎は1969(昭和44)年12月、大阪万博の前年に山口県有形文化財に指定された。文化財指定の説明は次のようになっている。
岩国学校は、1870(明治3)年岩国藩主が藩中の青少年を教育するため学制の大改革を行い、旧兵学校と文学校を公中学・公小学に組織を改め現在地に新築し翌年2月開校した。校舎は上層を教員詰所、下層を教室にした二階建てであったが、学制発布の1972(明治5)年に3階を増築した。そこは鐘楼となっているがその音はまだ聞いていない。
当初の部分はほぼ和風様式であるが、増築部分は屋根銅版ぶき、アーチ窓、ヨロイ戸付、しっくい大壁造りの洋風である。この和洋を合せとり入れた手法は、明治初年の教育制度の激しい移り変わりと文明開化の気運を象徴するもので、全国に現存する明治初年の学校建築の中でも様式の特異性において他に例を見ない。現在の建物は、1972(昭和47)年に解体修理したものである。
教育制度の激しい変遷を知らなければ理解できない部分もあるが、由緒ある文化財だ。岩国小学校の6年間、ここには養護室や音楽室があり学び舎の1部分だった。その並びには広い給食の調理室があった。かっての校舎は今の校庭の位置にあり、長い渡り廊下でつながっていた。そのころ、建物の歴史など知ることはなかった。
今は「岩国学校教育資料館」として活用されている。日本の電気の父・藤岡市助博士に関する資料、寺小屋・明治以降の教科書類、児童生徒の作品、郷土の民俗・研究資料などが展示されている。入館無料です。郷土の一面を教えてくれる大事な所、館内はまたの日に案内します。
(写真:歴史を語りかける風格のある岩国学校校舎)