日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

入学式の挨拶

2009年04月09日 | 回想
               

近くの小学校の入学式。そこは50数年前に卒業した母校でもある。そのころの木造校舎時代の面影は校庭の片隅に残る教育資料館だけ。でも校章だけは同じ形ち、講堂の入口で元気な児童を見守っている。

6年生になった日の始業前。運動場で遊んでいたら同じクラスの1人が「先生が職員室に来いといや」と私を呼びに来た。「何をしたんか」と心配そうに聞くがそんな覚えは無い。職員室へ呼ばれるということは、先生にしかられる、ということになっている。

「今日は入学式、上級生代表で新1年生に挨拶をしろ」こんな説明を担任から受け、メモを渡され「式までに覚えるように」、そんな会話だったと思う。

小さな男のこが壇上に上がるのを見て「うちの子によく似ているが」、妹の入学式に参列していた母は後方の保護者席で思ったという。自分の息子が壇上に上るなど思ってもいなかったので、しゃべり始めた声を聞いて驚いたという。

いまなら写真の1枚くらい残っているだろうが、そのときの様子や内容は何も残っていない。

その頃の児童数は1学年300人を越えていた。今はその半数をも下回る、回覧板に挟んであった小学校便りで知った。でも、入学式へ向う新1年生、さわやかで生き生きとしている。ちょっと大き目の服が可愛らしい。平凡だが、この子らの夢がかなう世の中になるよう見守ってやろう。

(写真:学校の姿は変わったが変わらぬのは校章だけ)
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「私の親鸞本」楽しむ

2009年04月08日 | エッセイサロン
               

2009年4月8日 中国新聞「広場」掲載

 「毎日楽しみにしている」「読みやすい」ー。昨年暮れ、親鸞聖人報恩講へお参りした時、中国新聞に連載中の小説「親鸞」が話題になった。
 
 その「親鸞」の切抜きが200回を越えた。切り抜きは我流で製本している。1冊目は96回、2冊目は198回をそれぞれ最終回にした。表紙は小説の「親鸞」をスキャンして印刷し、目次もつけた。製本した物をめくりながら「これは世界で唯一無二の親鸞本」と1人悦に入っている。

 「親鸞」は、その日紙面に出る名前や地名、言葉にルビがついている。これがうれしい。読みやすさと親しみやすさを感じさせる。古い時代の言葉や名前は読みづらい。特に仏教用語などは難解さも加わり、その先へなかなか進めないという経験をしている。

 以前の文化面で作者は「200回で念仏法難までたどり着き、400回で完結したい」と語っていた。これから、どんな展開になるのか楽しみだ。連載が終わった時、「私の親鸞本」は本棚の大切な蔵書となり、慌しく過ぎる日々の潤いになるだろう。

      ------------------------------------

これは3月30日のブログ「親鸞 その2」を手直しして投稿したもです。
今日は花祭り、この日に掲載されたことに感謝です。

(写真:今日の「親鸞」の挿絵)
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桜のころ

2009年04月07日 | 自然 季節
               

木によっては桜の花びらが風に舞いはじめ、その盛りとはちがった趣のある風情が観られ始めた。

桜もいろいろある。ヤマザクラ、オオシマザクラ、エドヒガン、マメザクラ、カンヒザクラなどのように山野に自生する野生種と染井吉野、普賢象、関山、一葉、草月などのように観賞を目的に作られた園芸品種の2つの種類に大別されるそうだ。

染井吉野は日本の桜の代名詞、というほど広く知られている。錦帯橋周辺の桜はその「染井吉野3千本」と紹介されている。開花は早かったものの花冷えが続き先週末に満開といつもの年と同じに楽しめた。

桜は樹上から眺めるとその華麗な美しさがひときは栄える。錦帯橋からは錦川の流れに沿ってのパノラマで、上流の橋のたもとでは手に触りながらの桜の海が、どちらもお薦めです。

もう一つ、岩国城が構える城山山頂から観た桜は襖絵のように見える。麓は日本庭園風、その中の桜並木は錦帯橋の裾模様のような風雅な装いを見せる。一度ご覧ください。

豪華に咲きほこる桜もいいが、ぽつんと1本庭に立つ桜もいい。垣根の燃えるような赤芽の色と桜の淡いピンクのコントラストが美しかった。

(写真:赤芽と桜の色のコントラスト)

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新聞をヨム日

2009年04月06日 | 生活・ニュース
               

4月6日は日本新聞協会が特に若い人に呼び掛けている「新聞をヨム日」、初めて目にしたゴロ合わせ。若者が新聞を読まなくなっているという社会傾向に多少の不安を感じていただけに、趣旨は大変よろしいと賛成する。

IT化の波の中で新聞の存在が多岐に渡って論じられている。過ってラジオが報道の主役になろうとしたとき「ラジオで弁当箱が包めるか」と言った新聞関係の人があったとか。今の新聞業界は放送メディア対し、弁当箱に勝る名言を発して欲しい。

IT関係の人は「新聞を読んでいるのだろうか」、日ごろから気になっていた。新聞をヨム日の特集で3人のIT社長の新聞読み込み術が紹介された。皆さんの共通した点は数紙を読まれていることだ。

「前日のTVで見たニュースでも、翌日の新聞でじっくり読むと、背景や実情が浮びあがる」、「ネットと新聞のニュースは別だ。ネットでは価値判断や意義付けされる前の情報で、新聞はそこらがしっかり整理されている」という。これが新聞の武器なのだろう。ただ、教科書ではいけない参考書の力が必要という。

新聞の特集記事ではあるがネット情報に頼りすぎてはいけないという。曰くネット利用者は「関心のないニュースにはアクセスしない。その結果、自分の興味の分野に片寄る。関心の幅が広がらない。そして大事な情報が抜け落ちている危険があるのに、当人は気づいていない」とし、その様な人とはビジネスの話をするのをやめたくなる、と若い社長が言われている。

紙面を開けば政治、経済、社会という世の中を俯瞰して見ることが出来る、自分が仕事をしていく上では新聞がなくなっては困る、と共存の必要性を話されている。

「やはり新聞に自社の記事が掲載されるとうれしい。ネットとの違いは限られたスペースに載ること。だからこそ価値がある」とデーター保存するという。内容は違っても投稿したエッセイが掲載されるとうれしい。似ているのだろうか。

(写真:日本新聞協会のHP)
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花づくし

2009年04月05日 | 自然 季節
               

桜、菜の花、チューリップ、水仙、雪柳、芝桜、れんぎょう等など走った道沿いは花盛り。

やはり目につくのはいたるところに咲いている今が盛りの桜。見事な並木の桜もいい、畑の中の1本桜もいい、山の中腹の1本桜もまたいい、桜はどこに咲いていても愛でられる。

桜の咲くこの季節には「節句の山のぼり」といって、近所誘い合わせ弁当を持って楽しんだ。弁当はいわゆる「ご馳走」で重箱に詰める。蓄音機を担ぎくる人もあり、子どもも大人も終日愉快に過ごした。車を連ねて遠くの桜を見るなどは思いもよらない昔のことだ。

形は変わっても桜を楽しむ人は多い。いたるところで桜の下の車座を通りすがりに見かけた。

ひな祭りが過ぎ、今度は端午、といえば鯉のぼり。こちらも数多く見かけた。青空に泳ぐ鯉のぼり、平凡だけど気持ちよさそうに見える。

瀬戸内海に注ぐ川の支流の支流に数十匹の鯉のぼりが風に揺られている。近くの野菜売り場の婦人に「ええでしょうが、今年は1週間早よう泳がしました」と教えられた。

そばの花数の少なくなった桜の小枝が風に揺れる様子は、季節をバトンタッチしたよ、と鯉のぼりに手を振っているようだ。

(写真:川巾一杯に泳ぐ鯉のぼり)
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白菊の駒

2009年04月04日 | 生活・ニュース
               

社会人になって半世紀。10数年前から年に何度か酒を酌み交わす高校時代のクラスメートが10数人いた。寂しいことにここ数年は毎年その数が減る。

先日そんな仲間のひとりが他界した。喪主を務められた奥様から、49日の法要を終えました、というご挨拶と心のこもったお返しが届いた。彼は、小さくとも経営者として従業員とその家族を大切にしていることが自慢だった。

そんな彼のお通夜の日、式場に入った瞬間これまで見慣れていた祭壇とは違うそれ、あるものが描かれていて一瞬驚いた。がそこには、残された家族の故人への深い感謝がこめられていることが伝わってきた。

緑を背景に将棋の「王将」と「成金」の2枚の駒が白菊で描かれていて、今にもパチンという駒音が静かな式場に響きそうな見事な作りだった。将棋と碁を仕事の合間に楽しんでいた彼、これからも楽しんでくださいという残された家族の愛情を知った。

映画界最大の祭典、第81回米アカデミー賞で滝田洋二郎監督の「おくりびと」が外国語映画賞を受賞した頃の葬儀だった。どのようなおくりびとの手によって納棺されたのだろう、棺におさまった穏やかな顔にふと思った。

導師は無上ということへの感謝について分かり易く話された。

彼は、祭壇に白菊の駒を思いつかれた家族を「無上の家族」と思い感謝しながら得意の将棋を指しているかも知れない。好きだったたばこはもう指には挟んでいないだろう。

(写真:どんな盤で指しているだろうか)
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桜の下で

2009年04月03日 | エッセイサロン
                    


今年の開花はずいぶんと早く、見ごろもそれにあわせて早いといわれたが、自然は花冷えをさそい、いつもの見ごろに落ち着かせた。桜の開花と入学式がかけ離れ季節感が無くなるとその寂しさをあんじた人を安心させた。

錦帯橋錦川沿いの桜は概ね7分咲き。そんな桜の下で、エッセイサロン初めての花見を青天井の下で開いた。

開いたとは名ばかり、会員世話方の方におんぶに抱っこ、会場へ着いたらブルーシートで設営は終わっていた。三々五々集まる会員の足取りは軽そう。

ゲストが席につかれたところで乾杯、由緒ある仕出し屋の花見弁当が嬉しい。

余興の詩吟も披露されたが、会話はもっぱらエッセイ1本、さすが同好の士と感心する。アルコールがが進むにつれ、例会以上に会員のポルテージ上がる。同じ思いという硬い絆が嬉しかった。

宴のあと桜づくしの公園を散策。バラ園では手入れの苦労を聞き、猿廻しに時を忘れ、文人そろいの花見の落ちはアイスクリーム。

桜は日本人の心情の中に息づいて「国花」になたっという。桜の下でのいち日、さてどんな傑作がはがきにしたためられるのだろう。

(写真:同好会花見の一コマ)
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ほのぼのカレンダー4月(卯月)

2009年04月01日 | 生活・ニュース
               

   作 東井義雄

        お医者さんの薬だけが薬だと思っていたら
        ちがった
        便所へ行くのにも どこへ行くのにも
        点滴台をひきずっていく
        1日中の点滴がやっと終り
        後の始末をしにきてくれたかわいい看護婦さんが
        「ご苦労さまでした」
        といってくれた
        沈んでいる心に
        灯りが灯ったようにうれしかった
        どんな高価な薬にも優った
        いにち全体を甦らせる薬だと思った
        そう気がついてみたら
        青い空も
        月も
        星も
        花も
        秋風も
        しごとも
        みんな みんな
        人間のいのちを養う
        仏さまお恵みの
        薬だったんだなと
        気がつかせてもらった
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