日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

血液の型

2009年04月19日 | 生活・ニュース
                           

先日ある勉強会で、私の手作り品を見て血液型をズバリ正解された。作品だけで血液型をが当てるということは、作品に血液型の特徴が現れているということか。それにしても各型の特徴をインプット済とはすごい。とうてい真似できない技だ。

そこでネット検索した。長所・短所・対人・恋愛・職業・お金について30項目ほどの説明がある。首を縦に振る、少し疑問、それは無いなど思いながら読んで見た。高い確立で似ているかもしれない、と面白かった。

「コツコツとお金を貯めるほう」、これは大外れだ。これが当たっていれば血液型は変えられないが他の条件によい兆候が現れたはずだ。

ころっと変わって、「いつも大事に持っていてください」と言われて赤い表紙の献血手帳を受け取ったのは40数年も前のことだ。おそらく白かっただろう記入面はセピア色に変わったが、「ABO式判定の血液型と表検査によるRh+」の文字は今もはっきりと読める。

血液型といえば反射的に輸血が思い浮かぶ。献血制度以前は、手術に必要な血液はあらかじめ預血しておく時代があった。親戚で預血が必要になったとき広島まで出向き200CCを採血された。血を抜く初めての経験だった。

幼稚園年中組の姪が野良犬に追われ崖から転落した。そのときの頭蓋骨陥没の手術では鮮血を輸血するため、手術の終わるまで入口のドア前で長時間待機したことがある。事前に厳しい検査を受けたことを覚えている。

人命を救い性格をも創り上げる血液、体内を循環する体液の一種という説明ではその不思議さは解けない。

(写真:色あせた血液型の証明)
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交 替

2009年04月18日 | 自然 季節
               

           今年はいつになくチューリップがうまく育っている

           花の大きさ、背丈、色、色合いみんないい

           夜が明けると開きはじめ カーテンを閉めるころ閉じる 
           
           花びらがひとひらひとひら散り始める 促されるように次が咲き始める

           何かに書いてあるように うまく交替をしている

           孫の好きな花のひとつ 今月の新聞には大きく載せる

           政界もこんな風にうまく変ってくれるといいのに

           人の営み 自然の匠には所詮およばないのか 

           (写真:次の開花を促すつとめ終えた花びら)     
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切磋琢磨

2009年04月17日 | エッセイサロン
               

「それでは始めます。例会がもう38回になります」と代表Oさんの切り出しで始まる。えっ、回数に何か意味があるのかな、と思ったとき「欠席なし、全回出席です」とSさんのひと言に全員が拍手。いつも以上に和やかなスタートになる。

自分が初めて出席したのは入会した06年9月の第7回だった。今日で32回目の出席、欠席なしで出席出来た。例会の日は何を置いても出席、ということにしている。

恒例の「はがき随筆」優秀作品読み合わせ、会員の創作エッセイ合評などに意見や感想がこれまでになく多い、そう感じた。それには次のような事実が背景にある。

先月の、はがき随筆山口県大会でYさんが準大賞を受賞、2月度「はがき随筆」でNさんが1位受賞という喜びと強い刺激がそうさせているように思える。仲間どうしが互いに励ましあいながら技能を磨くことを切磋琢磨という。まさに、今月の例会にそれをみた。

6月は第40回記念例会、この日は会主催の「第3回エッセイ教室」が予定されている。過去2回の教室には会員以外の方も多数参加され創作への高い意欲に刺激を受けた。

今年の会員の新聞掲載作品は昨年を大きく上回っている。どこまで上昇するのだろう。切磋琢磨の船に乗り遅れないよう、書かせる力をくれる「素材」を見つけに出かけよう。

(写真:第38回例会資料の1部)
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終りだそうです

2009年04月16日 | 自然 季節
               

夕方、県内向けの天気予報で「花粉の飛散は終わりそう」そんな意味合いのことが観測データと一緒に流れた。杉が終わったら檜と続いた花粉情報も終りが近い。花粉の飛散量を示す苦しそうなあの顔文字も画面から消えることになる。

幸いと言っては悪いが、花粉症と乗り物酔い、見たり・聞いたり、そして読んだりとその苦しさと大変さは知っているつもりだが、実体験がないのでその度合いは理解できていない。

子どものころ、その時期には杉の実を弾にした杉鉄砲で遊んだ。花粉も浴びながら時を忘れていた。その頃に花粉症が知られていなかったのか、今ころ見かける症状の遊び仲間はいたかなあ~、思い出せない。

環境省の愛称「はなこさん」という花粉観測情報がある。各地域の花粉飛散数と風向きを地図上に表示、毎時1回更新されているそうだ。この情報からも県内の飛散数は少なくなっている。花粉症で長く苦しまれた人に朗報となればいいのだが。

(写真:花粉症の人は見るも嫌という杉木立)
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脇 役

2009年04月15日 | 陶芸
               

陶芸教室で作った高さ10数センチあまりの花瓶、といえば大そうに見えるが、「花を入れる」器にはなるだろうと、出来上がった物を見て思っていた。持ち帰ってひと晩水を入れて放置し、水漏れしないことを確認した。

庭に咲いた椿が活けてあった。見ると水漏れテストしたあの器に挿してある。形も色もそれほど気にいったというものではなかったが、花を支えている様子はなんとなくいいかな、とこっそりと自賛。

生花は活花とも書き、鑑賞のために切り取った草・木の枝や花を花器にさす(国語辞典)とある。別の説明では、草木の枝・葉・花を水を入れた花器に挿し、席上の飾りとすること、とある。

難しい理屈など知らないで挿されている椿は花を誇っているようで「私が主役」と言っている。ならば器は脇役ということになる。脇役は主役を助けることが役目だ。ならば器でなく花器と呼ぼう。

今は小さな器や皿のような形をした物しか完成していないが、いずれ脇役から主役へ、食器棚の見えるところへ並び、やがて食卓にものる「陶芸作品」を、気持ちだけは進んでいる。

(写真:脇役を努める花器のような器と椿)

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静御前「静」

2009年04月14日 | 生活・ニュース
               

ある道の駅、駐車場の奥まったところに、遠くへ思いをはせるような立ち姿の像が見えた。よってみると和風庭園の中の大きな石の上には右手に扇をかざした舞姿の像だった。静御前「静」とある。

美貌と才芸、優雅と勇気といった諸美徳を兼ね備えた、日本の理想的女性「静御前」の話は、歴史教科書「吾妻鏡」・「平家物語」や「義経記」などにある、の書き出しで大きな説明版が立っている。それによると、

静は源義経・源頼朝の対立後、義経が京都で頼朝の刺客に襲われた時は、いち早く襲撃を察知し、沈着・機敏に義経を助けた。また義経が吉野に潜行したときも、女でただ1人これに従い最も義経を信じ愛した女性と書かれている。

文治2(1186)年頼朝方に捕まり、頼朝・政子夫婦や鎌倉諸将の居並ぶ鶴岡八幡宮で舞を命ぜらた時に「吉野山 峰の白雪 踏みわけて 入りにし人の あとぞ恋しき」と義経への愛を切々と歌い、頼朝を怒らせたが政子のとりなしで事なきを得た。

説明版はさらに続く。まもなく生んだ義経の息男は、頼朝方によって殺され、失意の中、母と共に京都に帰り、その後、義経を恋い慕い、侍女を従え、平泉に、義経の後を追おうとしたが、義経の死を聞き、精魂尽き、生きる希望さえなくし、剃髪し尼となった。

ここからが説明版の本筋と悪読みする。やがて、浮世から身を隠すように京都をさり諸国を流浪し、言い伝えのある、当地(徳佐)そうけ(笊笥)庵にて、母子・侍女と共々ひっそりと、その悲恋の幕を閉じた、と結ばれている。

人目をひくこれだけのものが作り据えられているからには、幾ばくかの言い伝えが残されているのだろう。西日を浴びながら東の方を見つめる静の優雅な像を眺めながら、一途に生きた強くも悲しい女性の姿に哀れを感じた。

(写真:静御前の舞姿の像)
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朝刊太郎

2009年04月13日 | 生活・ニュース
               

京都に住む孫とのコミニケーションを図ろうと3歳の誕生前から新聞を作り始めた。ワードで作成する新聞、名前は新聞としていたがどちらかといえば「チラシ」や「お知らせ」的だった。また、絵本のようにカラフルな紙面も楽しんだりしていた。

孫も成長し小学校4年になった昨年4月、成長に合わせ新聞らしくしたら、という家内の意見もいれ、紙面刷新を図ることにした。

新聞友から聞いていた「フリーソフト」の朝刊太郎を使用することにした。取説を印刷すると150頁近くあった。何とか使い始めて1年。朝刊太郎を使うと一般紙に似た「新聞らしい」形ちの新聞になる。見出しに写真、記事にレイアウトと1人新聞社を楽しむようになった。

朝刊太郎を使い始めて1年、昨年までとは違った新聞作りの面白さを見つけたようで、しばらくは続くだろう。印刷して送る。学校生活が忙しくなったが孫は読んでくれている。5分あまりで読める小さな小さな新聞だが、爺にしてみれば大きな楽しみになっている。

「フリーソフト」は耳ざわりの良い言葉だ。開発者に感謝すれば、商業ベースのソフトと違い「無料」で使用させてもらえる。おかげで新しいPCの楽しみが増えた。PC素人にはありがたい。

(写真:朝刊太郎編集用紙面の1部)
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ドクターカー

2009年04月12日 | 生活・ニュース
              

12日の午後、西岩国駅に珍しい列車が停まる。興味があればぜひお出かけを、と2、3日前に知人からメール。列車の愛称は「ドクターカー」とある。というからには何かを診断する列車ということだろう、夏日の中を出かけた。

メールに書いてあった時刻どおり、ドクターカーは上り線のホームに入った。2両連結のその車体は客車と違い、窓も少なく乗降口に窓もない。車体の中央は黄色、別名イエローカーという所以もここからついたのだろう。

友人は博識の一端を聞かせてくれる。軌道および架線など、諸設備に不具合がないかどうか、走行しながら検査する車輌で、その性能は「走行するだけでレールの継ぎ目の異常も発見する」優れものという。軌道検査車ともいうそうだ。

西岩国駅のあるJR岩徳線は単線。下りのジーゼル列車とすれ違いで終点岩国駅へ向った。上下線のホームにはアマチュアカメラマンが10名あまり、長いレンズでドクターカーを追う。トンネルに入って見えなくなった。

折り返して今度は下り線のホームへ停まる。上りのジーゼル列車とすれ違いに静かに発車した。安全を確保するためダイヤにはない列車が走っていることを知った。それにしてもイエローカーの運行情報はどこから入手するのか聞いてみたが、内緒だった。

(写真:下り線ホームに入るドクターカー)
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540メートルでの花見

2009年04月11日 | 陶芸
               

九十九折の桜の咲く急な坂道を登るバスのエンジン音、だんだん苦しそうになる。歩いて登るには難儀そうなメンバーを見て「会長さんこの会の平均年齢は幾つ」、「あんたは若い方」の答え、窓外の風になびくサクラの花びらが笑っているように見える。

幾組かの花見客が宴を楽しんでいる広場にバスが進入し驚かせる。海抜540㍍の山頂にはそれほど広くはないが拓けた場所がある。展望は麓の家から海の向こう四国連山まで、反対に向くと新芽が鮮やかな山々が連なる。

風に揺られて散り始めた桜の花びらが特製の花見弁当に舞い降りる。料理は年齢見合いに上手く考えて作ってありみんな喜ぶ。下りは三々五々、ワラビを採るもの、桜の写真を撮るものと気の向くままに集合場所まで歩く。

集合場所でアイスクリームを求める人が多い。それもそのはず日ざしは初夏、久しぶり汗をかいた。運転があり花見で飲まなかったビールをは晩酌で、暑さの残る身体から思わず「美味い」とひと声が出た。今年の花見はこれで終わった。

(写真:さくら越しに見える波静かな瀬戸内海)
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懐かしい碍子

2009年04月10日 | 生活・ニュース
               

県境に近い国道そば、いつ建てられたのか確かめるものは見当たらないが、場所的に不釣合いと思える素晴らしいバス待合所が建っている。日に数便くらいの時刻表は少し汚れている。

四方吹き抜けの待合所だが杉や檜を使いその作りは立派、由緒ある建てやを移築したのかと思わせるほど贅沢な構えだ。感じのいい照明、日暮になるとどんな灯り方をするのだろうか。

昔、電気料金は定額制だった。そのうちメーターを取り付けると使用電気量見合いの電気料金に変わった。くるくる回る円板に興味があった。

そのころは天井裏に配線などというシャレはなかった。メーターの取り付けで増灯用の屋内配線は、天井や梁りに取り付けられた真白な碍子つたいに伸びていった。

バス停にそれと同じ碍子が使われている。隔世の感じがしないでもないが、大切にしまっておいた懐かしい物を見つけたようでしばらく眺めていた。こんな設備が残されいることにも驚きながら。

平行して張られた2本の電線や碍子にレンズを向け、出かけた時いつもこんな出会いがあるといいな、そう思いながらシャッターを押した。

(写真:2本の電線と碍子と灯り)
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