4月6日は日本新聞協会が特に若い人に呼び掛けている「新聞をヨム日」、初めて目にしたゴロ合わせ。若者が新聞を読まなくなっているという社会傾向に多少の不安を感じていただけに、趣旨は大変よろしいと賛成する。
IT化の波の中で新聞の存在が多岐に渡って論じられている。過ってラジオが報道の主役になろうとしたとき「ラジオで弁当箱が包めるか」と言った新聞関係の人があったとか。今の新聞業界は放送メディア対し、弁当箱に勝る名言を発して欲しい。
IT関係の人は「新聞を読んでいるのだろうか」、日ごろから気になっていた。新聞をヨム日の特集で3人のIT社長の新聞読み込み術が紹介された。皆さんの共通した点は数紙を読まれていることだ。
「前日のTVで見たニュースでも、翌日の新聞でじっくり読むと、背景や実情が浮びあがる」、「ネットと新聞のニュースは別だ。ネットでは価値判断や意義付けされる前の情報で、新聞はそこらがしっかり整理されている」という。これが新聞の武器なのだろう。ただ、教科書ではいけない参考書の力が必要という。
新聞の特集記事ではあるがネット情報に頼りすぎてはいけないという。曰くネット利用者は「関心のないニュースにはアクセスしない。その結果、自分の興味の分野に片寄る。関心の幅が広がらない。そして大事な情報が抜け落ちている危険があるのに、当人は気づいていない」とし、その様な人とはビジネスの話をするのをやめたくなる、と若い社長が言われている。
紙面を開けば政治、経済、社会という世の中を俯瞰して見ることが出来る、自分が仕事をしていく上では新聞がなくなっては困る、と共存の必要性を話されている。
「やはり新聞に自社の記事が掲載されるとうれしい。ネットとの違いは限られたスペースに載ること。だからこそ価値がある」とデーター保存するという。内容は違っても投稿したエッセイが掲載されるとうれしい。似ているのだろうか。
(写真:日本新聞協会のHP)
重い言葉ですね。ついつい差し当たっての情報をNETから受けたりしながらでも、やはり活字の新聞は今のところ手放せませんね。
特に政治経済記事は タイトル・サブタイトルなどの
見出しを見て 興味あるところを読む程度だ。
昔から見ると「新聞を読まなくなった」を実感しいる。
紙数を減した分だけ情報は減りました。
新聞は自分の養分になる考え出来るだけ丁寧に目を通しています。時に自分の価値判断と大きくちがう論調などは何度か読み直しています。