日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

水の諺から

2018年06月14日 | 社会 政治

 米朝首脳会談、大統領も委員長も、これから見守るべき過程はあるが両者ともに成果を大きくPRしている。これまでの両者の間にあった核を中心とするいざこざ、気まずさ、争いなど一切無かったことにして新しい関係を作っていく、「水に流す」という諺通りのめでたしめでたしである。

 これまでを水に流し、新しい体制の関係が形になれば「水は方円の器に随う」ことになる。「方」は四角、「円」は丸を表す。この諺は、水は入れ物の形によって丸くも四角にもなる。これは人民の善悪は為政者によるものという例えという。このことから、国民は国の指導者しだいで幸・不幸どちらにでもなる。米朝関係、世界の安定がどうなるのだろう。

 米朝覚書発表の中継時には「水を打ったよう」に世界中が静まり主役の登場を待った。主役は「水を得た魚のように」右手を振り会談の成果を誇らしげに語った。それは歌舞伎役者の振る舞いだった。しかし、会談に望む前の姿勢とその成果に開きがある。「水を差す」わけではないが、疑問や修正の指摘には真摯に対応して欲しい。

 ここまできた完全非核化の願いを「水泡に帰す」ことは許されない。時間がかかってもこれまでの努力や苦労が報われる途を作って欲しい。「水清ければ魚棲まず」というが、この途には忖度や思惑が混じり込まない清き水が流れて欲しい。融和ムードに「水を掛ける」振る舞いだけは慎もう。
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