日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

水はあるのに

2018年06月30日 | 自然 季節

 NHKのローカル放送は朝から「大雨情報」で画面の一部に避難、河川の氾濫、交通など生活に密着した情報が続く。隣の九州でも大雨への注意や対応の必要性がニュースになる。関東方面では梅雨明けで夏の様子が映し出されるが、西日本はまだ鬱陶しい日が続きそうだ。
 
 追い打ちをかけるわけでもなかろうが、週明けには台風7号が東シナ海を北上、九州西部をかすめ朝鮮半島西部への進路予想になっている。勢力は今のところ驚くほどではないが、梅雨前線を刺激するだろうから、雨への心づもりは欠かせない。午前9時ころに通知のあった大雨警報は夜遅くまで続くとある。梅雨末期の状況なら、なおさら警戒が必要になる。

 昨日の朝、当市にも竜巻注意報がでた。何処のどなたか知らないが、たまたま隣の席の人はその経験を話してくれた。子どものころ、アッと思ったらわが家がなくなっていたという。その瞬間のことは目が開けられなくて何も記憶していないそうだ。映像を見てもその凄さは恐ろしい。

 水は十分あるのに6月は「水無月(みなづき)」という。辞書では「水の月」で水を田に注ぎ入れる月という意味になっている。ならば水は無でなく有ではと疑問になる。ある説では、「無」の意味は、連体助詞で名詞と名詞をつなぐ助詞で無は「の」という意味。別の説では、田んぼに水を張ることから、水張月がこうじてなった。さらに、大仕事の田植えを皆が協力して終えたことから「皆尽月」と言ったとか。ほかにもあるようだが、どれも稲作にまつわる説、日本人の心が表現されていて興味が湧く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする