昨夕の18時03分、東京駅10番ホームから「富士・はやぶさ」が九州への「最後の寝台特急列車」として、カメラを手にした3千人の人に見送られて出発した。そこには「ありがとう」や「ウォー」という歓声とともに手を振る人や涙ぐむ姿もあったそうだ。東京駅在来線のホームで九州の駅名はこれで見れなくなった。
出張ではいつも「あさかぜ」を利用していた。行きは19時と21時の時間帯の何れかで出発、朝7時と9時の時間帯の何れかで帰着していた。当時は時間を有効に利用するという意味では実に便利な寝台特急列車だった、と今でも思う。
そのうち帰りは東京から名古屋まで新幹線、ホームできし麺を食べて寝台特急「金星」に乗り継いだが、その金星もやがて時代の波に流され役目を終えた。やがて東京出張は新幹線日帰りの時代へと変わる。
寝台特急列車を利用し始めのころは上・中・下の呼称で3段ベッド、上段は冗談でなくきつかった。いつからか2段に変わり窮屈感が薄らぎ少しゆとりを感じた。ドラマでは個室が舞台になるが、B寝台族なので残念ながら目にしたことはない。
1960年代、冷暖房完備の新造車両「あさかぜ」は「東洋一の動く豪華ホテル」と呼ばれた。しかし、時代の趨勢には逆らえず2005年にその豪華なホテルも博物館行きとなり見られなくなった。
寝台のカーテンを開いたらそこに思わぬ出会いがあった、など思い出しながら「富士・はやぶさ」の最後の出発風景を見ながら、濃紺の車体が普段より輝いて見えたのは思い込みだろうか。
(写真:東京駅を出発する九州行き最後の寝台特急列車)