日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

歳のせい

2009年03月04日 | 生活・ニュース
               

ある施設を訪れたとき、餅つきの杵が行儀良く並んで乾かされていた。冬の晴間の日ざしが眩しい日で、杵の白さが印象に残った。

ここでは以前にも、雨の日に行なわれた行事の後始末でナン張ものテントを日干ししている職員さんを目にした。「ご苦労さんでねすね」と声をかけたら「次の方に気持ちよく使ってもらうためです」と返ってきた。当然といえばそれまでだが、話し方に単なる仕事という域を超えている、そのとき感じた。

地産地消、街の活性化、地域間交流、物産展など目的や内容は違っても休日と名のつく日はどこかでイベントが開かれている。事前にそれらの面白さや嬉しい当選品、特売品などが紹介され「とにかくきてみんさいや」とチラシが配られる。

退職直後はあちこちと、時にはチラシを掴んでラリー風にイベントを回った。餅や善哉、焼芋の振る舞いなどで昼食代を節約出来たこともある。雪の中で食べた豚汁は野菜ばかりだったこと、試食以上に美味しかったリンゴの叩き売り、シクラメンの大きな鉢を値引き交渉したら半額になったなどいろいろある。

世話される人の苦労は分かるが、こうした催しも何年かすると同じ内容の繰り返しに、また、呼称は違うものの各地で催される内容に大きな違いが無いない、そんなことを感じて最近は出かけてみようという意欲が少なくなった。

これまで、幾つもの行事で準備から後始末までお世話をさせてもらった。時には忙しくて参加者の様子すら分からないままに終わった催しもあった。準備や世話方の苦労を分かるつもりでいるのに、出不精になっているのは歳のせいかも知れない、時々そんな感じがする。

(写真:気持ちよさそうな杵、次の出番はいつ)
コメント (2)
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