ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

☆チャン・イーモウ監督「HERO」感想

2008年01月20日 00時26分13秒 | 映画
英雄 ~HERO~ 通常版チャン・イーモウ監督の「HERO(英雄)」をテレビで放送していたので見た。
「単騎、千里を走る。」はたいへんおもしろかったが、これは眠くて仕方がなかった。
これと同質の睡魔が黒澤明の「影武者」にかつて潜んでいた。
どうしても馬に乗った大量の武士を見ると眠くなってしまう。前世で何かあったのだと思う。
「HERO(英雄)」はこれまでなんどかテレビで見ようとしたが最後まで見ることができていなかった。どうもこういう映画は性に合わないのだろう。
これからは性に合う映画だけ見ることにしたい。
手始めに、高倉健と山田洋次と黒澤明(白黒)しか見ないつもりでいる。
「幸福の黄色いハンカチ」と「遙かなる山の呼び声」と「居酒屋兆治」はぜひ見たいと思っているのだが、いつも行っている近所のレンタルビデオ屋に置いていない。だいたい日本映画が少なすぎる。
アニメと過去のテレビドラマに席巻されつつある。
過去のテレビドラマなどはYouTubeですべて見られるようにしてしまってレンタルビデオ屋では誰も借りないからもう置かないという状況になればいいのに、と思っている。

話は戻るが、チャン・イーモウの映画は、「単騎、千里を走る。」が三国志、「HERO(英雄)」は秦の始皇帝、と歴史を扱っていてそこはいいと思った。
やはり歴史を感じられる映画を見たいものだ。
コメント

☆チャン・イーモウ監督「単騎、千里を走る。」

2008年01月19日 01時30分53秒 | 映画
単騎、千里を走る。今朝、会社に行く途中で杖をついた老婆が、
「そこのひと」
と市原悦子のような声で話しかけてきて、なんですか、と答えると、
「これからは高倉健をしっかりと見なさい」
と言い残しその場からふっと消えたので(ここまで嘘)、何かあると思い高倉健を見ることにした。
高倉健の映画はこれまで「南極物語」「ブラック・レイン」「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」を見たことがあるはずだが、そのほとんどは記憶に残っておらず、一番最後に見た「鉄道員(ぽっぽや)」は新聞販売所に映画観賞券をもらってまったく期待せずに出かけたはずだ。
高倉健がかっこいいと思った。
それ以外は全く記憶に残っていない。

チャン・イーモウ監督の「単騎、千里を走る。」を見た。
最初、こりゃだめかもしれんな、とがっかりしかけるがどんどん引き込まれる。
当たり前のことだが中国は日本でもアメリカでもないんだということを実感した。物語の作りがぜんぜんちがう。
これまで見た映画のなかではアッバス・キアロスタミ監督(イラン)の「桜桃の味」や「友だちのうちはどこ?」に雰囲気が似ている。
しかしキアロスタミ映画では理不尽に思えた子供への厳しさだったが、中国の子供への厳しさは理解しやすい。
司馬遼太郎の講演の本では中国の儒教のことがよく出てくるのだが、儒教のいやな面もチャン・イーモウには冷静に見れているのだなと思った。
涙を思いっきり見せることや、排泄行為を見せること(注・こどもです)、その臭さを共有すること、などが人間と人間の距離が縮まるためには有効なんだな。
そんなことはもう、ラテンアメリカ文学にしか存在しないのかと思っていたが中国映画にも存在していた。
すごい映画だと思う。

それとやっぱり高倉健はすごい。
ひとりでも中国のパワーに決して負けてない。きちんと高倉健をやっていた。
コメント

☆海音寺潮五郎「悪人列伝 古代篇」

2008年01月16日 21時11分04秒 | 文学
録画していたNHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」の、坂東玉三郎を見る。
番組自体はとりたててたいしたことはない。坂東玉三郎が出演する番組はどうしても見てしまう。
先ほど気がついたが今年の「プロフェッショナル 仕事の流儀」のゲストは、イチロー、小野二郎(すし職人)、そして坂東玉三郎となっている。
一郎、次郎、三郎だ。
次回は岸部シローか。しかし残念なことに岸部シローはプロフェッショナルではない。
つぶやきシローも亀田史郎(亀田パパ)もNHK出演はないだろうし。
ということは士郎正宗か。

悪人列伝 古代篇 (文春文庫)海音寺潮五郎の「悪人列伝 古代篇」を読んだ。(なんと五郎!)
「蘇我入鹿」、「弓削道鏡」、「藤原薬子」、「伴大納言」、「平将門」、「藤原純友」の六つの話になっているが、全体を通してみると天皇家の歴史が読めるようになっている。
もともと天皇家は数ある氏族の一つで、宗教行事を担当する氏族だった、特別に上位にあったわけではない、というのはこの本で海音寺潮五郎が言っていたのか司馬遼太郎が言っていたか同時に読んでいるのではっきりしないが、このファミリーが蘇我氏や藤原氏と争う歴史がこの国の歴史なんだということがよくわかる。
もともとほかの氏族と上下関係がなかったのであれば天皇家にももともと何々氏という呼び方があったのだろうか。そこが気になった。

海音寺にとって、登場する人物中もっとも悪人なのはタイトルになっている六人ではなく、「弓削道鏡」に登場した藤原仲麻呂なのだろう。名前をすぐに変えるやつにろくなやつはいない、とか散々な言われようだった。
まったく中立な、または中立を目指した語りよりもある程度偏見のある語りのほうがおもしろい。

「司馬遼太郎全講演」はあいかわらずおもしろい。
《二十二、三ぐらいまでは、自殺だって何だってできます。だいたい、命があまり惜しくないんですもの。命がだんだん惜しくなるのは三十すぎてからです。》(「薩摩人の日露戦争」)
こんなこと、言うんだなと驚いた。
コメント

☆松陰の優しさ

2008年01月14日 23時08分46秒 | 文学
図書館で借りた「司馬遼太郎全講演 第1巻」(朝日新聞社)を少しずつ読んでいる。
これまで読んだ司馬遼太郎の本の中でもっともおもしろいんじゃないかと思う。
困るのは、講演で話に出てくる司馬遼太郎の小説を読みたくなってしまうこと。
しばらく幕末の小説から距離を置こうと思っていたのに、
「峠」
「花神」
「世に棲む日日」
が読みたくなってしまう。
「峠」の、河井継之助の最期を読みたい。司馬遼太郎の小説は終りごろはあまり印象に残ってないことが多いので、最後が読みたいことはあまりないのだけれど読みたい。
しかし何よりも「世に棲む日日」の吉田松陰に強烈に惹かれてしまう。(「松陰の優しさ」という講演による)。
優しくて他人の良い所を褒めてしまうという松陰の人柄を読みたい。

幕末といえばNHK大河ドラマの「篤姫」の2回目も見た。
調所さまが死んだ。調所さまは無名塾のおじさんだな、と特に意識していたわけではないが心のどこかで思っていた気がする。それは仲代達矢で調所さまは平幹二朗。たぶん僕の中で2人の区別があまりついていない。シェイクスピアが大好きなのはどっちだっけ。
3回目も見ようと思っている。
コメント

☆歴史

2008年01月14日 19時28分26秒 | 文学
司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んだので、ずいぶん前に読んだ鯨統一郎の短編集「邪馬台国はどこですか?」の信長について書いてある部分を読み直す。
おもしろい。
やはりよくわかった上でないと面白くない小説というものはある。
浅井か朝倉か、たぶん浅井だったと思うけど、信長がその家の人間の頭蓋骨で茶碗を作る話も、嘘かと思っていたけど実際に伝わっている話なんだな。あまりにもすごすぎて作家の創作かと思えるようなことが歴史にはいろいろとあっておもしろい。
「ときは今」の明智光秀の歌など、へえと思えることがたいへんおおい。

いまは海音寺潮五郎の「悪人列伝 古代篇」を読んでいる。
史伝と呼ばれているらしく、史伝というとこの間読んだ森鴎外の「渋江抽斎」のようなものを想像し、相当に躊躇していたんだけれど、鴎外のような読みづらさ、退屈さはまったくなく、歴史エッセイと呼んだほうがいいと思えるくらい、軽めで読みやすい。
ふむふむと「蘇我入鹿」「弓削道鏡」を読み進め、「藤原薬子」を読んでいる。薬子が女性であることを再認識する。以前も同じようなことを言っているのだが、どうしても藤原薬子が女性であることが憶えられない。
タイトルになっている人物の生涯のみに触れているわけではなく、順番に読んでいくとある程度通史として読めるようになっている。
この古代篇で最も興味があるのは「平将門」だ。
コメント

☆司馬遼太郎「国盗り物語」読了

2008年01月13日 17時14分29秒 | 文学
国盗り物語〈第4巻〉織田信長〈後編〉 (新潮文庫)司馬遼太郎の「国盗り物語」を読み終えた。
僕はもともと織田信長はヒーローという気がして、よく知らないのになんとなく好意を持っていたのだけれど、死んでほっとした。部下に対する締め付けが厳しすぎる。
明智光秀の印象はよくなった。しかし僕も信長と同じで、相手の話が長いといらいらするほうなので仲良くはなれないだろう。
登場人物のなかでは足利義昭がもっとも興味深かった。忘れられたひとというのは面白い存在だ。
コメント

☆火事と喧嘩は江戸の華

2008年01月13日 01時54分03秒 | 文学
図書館で、
「黒沢清の映画術」(新潮社)、
「大岡昇平全集」(筑摩書房)の15と16、
「司馬遼太郎全講演」(朝日新聞社)の第1巻、
を借りる。「大岡昇平全集」はそれにしても分厚すぎる。借りて帰るのが恥ずかしいくらいだ。しかも2冊。

黒沢清の映画術「黒沢清の映画術」は蓮實重彦に関するところと伊丹十三に関するところを読む。
蓮實重彦が意外にもいい先生であるようなのに驚く。
黒沢清は伊丹十三とは喧嘩別れしているのであまり肯定的な意見は聞かれない。説明的なカットをどうしても入れたくなるところと場面の転換前に落ちをつけたくなるところがいけないらしい。
素直な気持ちを語っているように思った。監督がふたりいて映画を撮ることの大変さもよく伝わった。
一度ひとから恨みを買うとなかなか赦してもらえない。
「伊丹十三の映画」では黒沢清および映画「スウィートホーム」について一切触れられていなかったのだが伊丹側からの話も聞きたかった。伊丹側から、と言えるかどうかわからないが、大江健三郎が「取り替え子(チェンジリング)」でこのことについて少しだけ触れていたように思う。黒沢側を悪く描いていたように思う。
黒沢清作品に関しては「CURE」を見ただけで、見たときはたいへん面白いとさんざん周りにも言いまくったように思うがそのほかの作品は見ていない。アニメ「一休さん」の”どちて坊や”のような萩原聖人が印象に残っている。

「大岡昇平全集」は大岡昇平の歴史小説に関するエッセイを拾い読みする。
井上靖の小説「蒼き狼」にたいする非難も読む。しかし結局そんなに文句を言うほどのことかいなという印象。
海音寺潮五郎とも少し論争になっていた。
大岡「大衆文学再批判」
海音寺「汁粉屋の異議」
大岡「慢心を去れ」
海音寺「エリート意識による妄想」
と続いたようだが、「大岡昇平全集」なので大岡側のものしか読めなかった。これも大岡の江戸っ子「てやんでえ」ぶりがおもしろいがそれ以外に特に感心するほどのものもない。
歴史小説のおもしろい本リストのようなものを期待していたのだが、ルカーチの「歴史小説論」の話と森鴎外の話ばかりで退屈する。
島崎藤村の「夜明け前」は読もう。
コメント

☆「プラダを着た悪魔」感想

2008年01月12日 01時06分27秒 | 映画
プラダを着た悪魔 (特別編)映画「プラダを着た悪魔」を見る。
メリル・ストリープの演じるミランダは司馬遼太郎の描く織田信長そのもの。命令は一度しか言わない。すぐにいらいらする。
アン・ハサウェイは地獄の果てまで行くのかと思っていたら途中で引き返してきた。そのまま行ってもよかったと思うけれど。むしろ行くべきだと思うけれど。
音楽と忙しい映像で何をしゃべっているのかもよくわからぬまま、がーっと最後まで見せるが結局何なのかよくわからない。

が、しかし、おもしろかった。
期待以上でも期待以下でもなく期待したそのものの映画だった。
コメント

☆司馬漬け

2008年01月10日 23時24分00秒 | 文学
伊丹十三の本「伊丹十三の本」(新潮社)を読んだら伊丹十三のエッセイ集が必ず読みたくなるに違いないと覚悟していたのに不思議なことに読みたくはならなかった。
あ、こんな感じか。たぶん途中で読まなくなってしまいそうだ。内田樹を読んでいればいいか。古本屋に行ったときにたまたまあったら買うか、と思った。
「伊丹十三の映画」のほうはそうでもなかったのに、こっちはほんとうに伊丹十三を褒めたたえている。白洲正子みたいにすごい人になっちゃったな。(いや、白洲正子がほんとうにすごいかどうかはよく知らないのですが、白洲正子に関するこういう本を一時期よく見たような気がして、なんとなくそこでは白洲正子をさんざん褒めちぎっているような気がしたもので、つい。)
あまりすごいすごいと言われると興味を失ってしまうこともある。

国盗り物語〈第3巻〉織田信長〈前編〉 (新潮文庫)司馬遼太郎の「国盗り物語」の第三巻も読み終える。
織田信長編ではあるが半分くらいまでまだ斎藤道三が生きていた。
明智光秀も目立っているし、なにより当時の足利将軍家についての話が興味深く、織田信長が主人公という感じではない。
最後までおもしろく読み終えることができそう。
司馬遼太郎の対談集も図書館で借りてちらほら読んでいたのだが(「司馬遼太郎対話選集2 歴史を動かす力」)、海音寺潮五郎との対談がおもしろかった。歴史を題材にした対談は初めて読んで、お互いに知っていることを「ああそうですか」「こんな話もありますね」と言い合うだけなのだが、おもしろい。「日本歴史を点検する」というタイトルで、同名の文庫本と同じ内容かと思っていたのだが、割愛しているらしい。これは全部通して読みたいと思った。海音寺潮五郎にも興味を持った。
この本の関川夏央の解説に、
《司馬遼太郎は「小説の概念の奴隷」になるまいという強い意志を当初から持っていた。》
とあり(どの本の何ページに書いてあるんだと聞きたい)、そういえば司馬史観とはよく聞くが司馬の文学観って全く知らんし興味を持ったこともないな、そもそもそんなものが存在するのだろうか、と思った。
司馬遼太郎の本はもともと純粋に歴史を知りたくて読んでいるし、思いついたことを忘れないうちに書き込んでいっているだけのような文章なので、彼が《「小説の概念の奴隷」になるまい》と思っているなんて考えもしなかった。
しかし考えてみればたくさんの本を書いているわけだし、なにかしら考えはあるんだろうな、迂闊だったな。
コメント (2)

☆「伊丹十三の映画」

2008年01月09日 23時42分53秒 | 文学
伊丹十三の映画図書館で「伊丹十三の映画」というのと「伊丹十三の本」というのを借りる。(どちらも新潮社、「考える人」編集部編)
「伊丹十三の映画」を読んだ。
もともと書店で「伊丹十三の本」を見つけて面白いのかな、と調べていると同じような本で「伊丹十三の映画」があるのを知り、最近伊丹映画をいくつか見直したのでこっちのほうに興味をもち、しかし買うほどではないのではないかと図書館で借りてくる。
最初の山崎努のインタビューと最後の伊丹十三のインタビュー(「お葬式」のころのもの)がおもしろかった。
山崎努が「マルサの女2」以降の伊丹映画に「静かな生活」を除いて出演しなかったのは監督の細かな演出方法と山崎努の演技のやり方が合わなくなったからだそうだ。山崎努は役者さんだなと感じるインタビューだった。
津川雅彦は自分の監督した映画の宣伝をしていた。
大滝秀治は監督に厳しく言われてかわいそうになった。
伊丹十三にインタビューしているのは誰だか知らないがすごいインテリだ。伊丹十三自身が問も答もどっちもやっているのではないかと疑ってしまう。

答 スーザン・ソンタグの――あれは何だったかな――映画論が入ってるやつで――。
問 「反解釈」でしょうか?

こんな会話が地球上のどこかでこれまで行われたことがあるなんて信じがたい。
ほかにも時代を感じさせる浅田彰的な会話がありすごいなと思った。
この本もなかなかおもしろかったが、このインタビューがもともと載っていたという「「お葬式」日記」のほうが読んでみたい。
文庫化されたら必ず買う。
コメント