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☆司馬漬け

2008年01月10日 23時24分00秒 | 文学
伊丹十三の本「伊丹十三の本」(新潮社)を読んだら伊丹十三のエッセイ集が必ず読みたくなるに違いないと覚悟していたのに不思議なことに読みたくはならなかった。
あ、こんな感じか。たぶん途中で読まなくなってしまいそうだ。内田樹を読んでいればいいか。古本屋に行ったときにたまたまあったら買うか、と思った。
「伊丹十三の映画」のほうはそうでもなかったのに、こっちはほんとうに伊丹十三を褒めたたえている。白洲正子みたいにすごい人になっちゃったな。(いや、白洲正子がほんとうにすごいかどうかはよく知らないのですが、白洲正子に関するこういう本を一時期よく見たような気がして、なんとなくそこでは白洲正子をさんざん褒めちぎっているような気がしたもので、つい。)
あまりすごいすごいと言われると興味を失ってしまうこともある。

国盗り物語〈第3巻〉織田信長〈前編〉 (新潮文庫)司馬遼太郎の「国盗り物語」の第三巻も読み終える。
織田信長編ではあるが半分くらいまでまだ斎藤道三が生きていた。
明智光秀も目立っているし、なにより当時の足利将軍家についての話が興味深く、織田信長が主人公という感じではない。
最後までおもしろく読み終えることができそう。
司馬遼太郎の対談集も図書館で借りてちらほら読んでいたのだが(「司馬遼太郎対話選集2 歴史を動かす力」)、海音寺潮五郎との対談がおもしろかった。歴史を題材にした対談は初めて読んで、お互いに知っていることを「ああそうですか」「こんな話もありますね」と言い合うだけなのだが、おもしろい。「日本歴史を点検する」というタイトルで、同名の文庫本と同じ内容かと思っていたのだが、割愛しているらしい。これは全部通して読みたいと思った。海音寺潮五郎にも興味を持った。
この本の関川夏央の解説に、
《司馬遼太郎は「小説の概念の奴隷」になるまいという強い意志を当初から持っていた。》
とあり(どの本の何ページに書いてあるんだと聞きたい)、そういえば司馬史観とはよく聞くが司馬の文学観って全く知らんし興味を持ったこともないな、そもそもそんなものが存在するのだろうか、と思った。
司馬遼太郎の本はもともと純粋に歴史を知りたくて読んでいるし、思いついたことを忘れないうちに書き込んでいっているだけのような文章なので、彼が《「小説の概念の奴隷」になるまい》と思っているなんて考えもしなかった。
しかし考えてみればたくさんの本を書いているわけだし、なにかしら考えはあるんだろうな、迂闊だったな。
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2 コメント

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こんにちは (モモタ)
2008-01-12 11:54:55
tomoさんからトラックバックいただいてので、こちらを訪問させていただきました。
対談集を読んでいただくと分かると思いますが、海音寺潮五郎さんと司馬遼太郎さんは師弟とも言うべき関係です。
海音寺さんは戦前から活動していますが、当時から大衆文学の行き詰まりを危惧されており、
「対象分野の拡大と、定型化の打破が必要だ」
と主張していたそうです。
こうしてみると、司馬さんの「強い意志」と、その司馬さんが登場したときに海音寺さんが激賞したということの間に、何となき関係がありそうな気がしますね。
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こんにちは (☆tomo)
2008-01-12 19:30:04
定型化の打破、なるほどー。
貴重なご意見ありがとうございます。
今後ともよろしく。
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