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☆時代おくれの映画?

2008年01月25日 20時06分10秒 | 映画
対話 山田洋次〈2〉映画は面白いか図書館で借りた「対話 山田洋次 2 映画は面白いか」(旬報社)を読んだ。
黒澤明の「まあだだよ」、まったく興味もなかったが山田洋次と淀川長治がそんなに言うなら見てみるか。
ラルフ・ネルソンという映画監督(知りません)との対談で、見ていない山田洋次の映画「家族」を日本の「イージー・ライダー」とネルソンは紹介されたということが出てきた。
それを山田洋次が否定していて安心した。
「家族」を僕も見ていないが、どう考えても山田洋次が「イージー・ライダー」を作るとは想像できない。ああいう映画の正反対にあるのが山田洋次の映画だと思う。
山田本人はジョン・フォードの「怒りの葡萄」を意識した、とあった。

居酒屋兆治今日は会社を休んだので、昼間ソファに横になって降旗康男監督の「居酒屋兆治」を見ていた。
大原麗子と伊丹十三がいらないんじゃないかと思った。
伊丹十三についてはなんとなくあんなひともいるのかもしれないなとは思うけれど、大原麗子がどう考えて何が望みなのかまったくわからなかった。
この映画では高倉健にとって不都合な人間がつぎつぎと消えていくのだが、佐藤慶とともに大原麗子と伊丹十三も消えていく。
どうせ消えてしまうならめんどくさいから最初からいなくてもいいんじゃない? と元も子もないことを思った。
「居酒屋兆治」からめんどくさいお客を次から次へと消していくと「かもめ食堂」になるのだろう。
どういう映画が好きか、よくわからないのだが、こういうところは好きじゃないなというのはそういうものを見たときに気づく。
しかし、この映画は高倉健が大原麗子や伊丹十三や、船でカラオケを歌う男の理不尽さに耐える姿を見る映画なのだろうからそれで成功しているのかもしれない。

《分かってほしいのだが、芸術は情念を表現するのではまったくなく、克服された情念を表現するのだ。》(アラン「芸術の体系」76ページ)

高倉健ほど情念を克服する姿を見せてくれる俳優を知らない。
東野英治郎は「用心棒」のころからずっと飲み屋をやっていてやっと高倉健に弟子になってもらえてよかった。たしか「秋刀魚の味」もそうだったし、汚い飲み屋は必ず東野英治郎が経営しているのが可笑しい。
主題歌「時代おくれの酒場」は高倉健が歌っているものよりも加藤登紀子の歌っているもののほうがいいのだが、加藤登紀子版は予告にしか使われてない。
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☆アラン、海音寺、洋次、ジジェク

2008年01月25日 00時22分11秒 | 文学
アランの「芸術の体系」(光文社古典新訳文庫)を読んでいる。
アランの本は「幸福論」(岩波文庫)で衝撃を受けとても救われた気がし、「四季をめぐる51のプロポ」(岩波文庫)はよくわからず、「精神と情熱とに関する八十一章」(新潮社)では小林秀雄の翻訳はわけがわからんと憤慨した。
というわけで、「幸福論」だけがこれまで読んでおもしろかった(とってもおもしろかった)わけだが、「芸術の体系」はおもしろいほうに入ると思う。
もったいなくてちびちびゆっくりと読んでいる。
アランは、デカルトやモンテーニュやルソーやゲーテなど古典が好きでよく話に出てくるが、この本でもカントの「判断力批判」が最初に登場し読みたくなった。この本を読んで「判断力批判」が読みたくならない人はいないんじゃないかとさえ思う。
しかし読みたくはなったが、手軽に読めそうな本がない。岩波文庫で新訳が出るか、光文社古典新訳文庫で出すかしてくれないかなあ。
これまでの経験からすると、結局図書館で全集版のでかくて重い本を借りてきても、でかくて重いな、注が多いな、とは思うが内容についてはほとんど、なにも印象に残らないことが多い。
硬い表紙と高い値段と重量感と膨大な注で緊張感を高めることは本の内容を理解することにとって、プラスにはならないような気がする。
アランはエッセイとして気楽に読める珍しい思想書だと思う。

海音寺潮五郎の「悪人列伝」は南北朝あたりまで来た。
しかし、”このことは「武将列伝」に書いた”というふうな言葉がよく出てくる。「武将列伝」を先に読むべきなんですね。
だから途中はしょられてるような、おいて行かれたような気分になる。

図書館で、映画の本を借りる。
「対話山田洋次2 映画は面白いか」と「ヒッチコック×ジジェク」。
「対話山田洋次2 映画は面白いか」はなかなかおもしろい。黒澤明はえらい(またはえらそうな)んだと思った。淀川長治のしゃべりかたが懐かしい。あのまんま。
「ヒッチコック×ジジェク」は難しそうで読めないかもしれない。
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