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☆内田樹「死と身体」感想

2006年07月09日 02時13分26秒 | 文学
死と身体―コミュニケーションの磁場内田樹の「死と身体―コミュニケーションの磁場」を読み終わった。
どうしても今日読み終えたかったのは、明日(といっても日付が変わってしまったので今日)図書館に返しに行きたかったから。
図書館の返却期限制度はすばらしいと思う。返却期限がなければいつまでも読まずにだらだらしてしまうが、それがあるばっかりにどうしても読んでしまう。しかも図書館に行けばどうしても本を借りてしまう。自転車操業だ。
もしも図書館の返却期限制度反対運動が起きて、本は読み終わるまで永遠に返す必要はない、という市民運動が全国で起きても、僕はそんな運動には参加しないし、署名もしない。断固反対だ。

アホなこと書きました。
やはり内田樹の本は読み終わると何の感想もない。
それがいけないと言っているわけじゃないんだけど、何も残らないなあ。それとも深いところで何かが残っていっているのかなあ。そんな気も少しする。
今ではなく未来に自分を置いて考える、それが大事。トラウマというのは過去に囚われていてずっとその地点でしか物事を判断できない状態。埋葬というのは彼岸に死者を追いやるのではなくそれを先延ばしにして生と死の間に留まらせておくこと。
そんなことが記憶に幽かに残っています。
オルテガの「大衆の反逆」を読もうかと思った。

甥や友達の子供を見ていて気付いて驚いているのは、喋りはじめの子供というのは「昨日」と「明日」の区別がついていない、ということです。しかも一週間前であろうと「昨日」と言っていることがある、ということです。
「昨日」も「明日」も現在の自分から離れた地点、その方向がすこし違うだけ、という認識なんだろうか、と思い感心しています。
時間の感覚というのは頭の中にあるだけなんだなあ。
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