人の感覚には「視覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」「聴覚」「嗅覚」があります。これらを総称して「五感」と呼んでいます。
この五感は、仏語から来ている用語で、日本独特の言い回しです。
海外では「感覚」(センス)となります。
人の感覚は「感覚器官」という、外的情報を脳に送り「脳で認知、判断、決定」をすることで「人の感覚」でその情報が何であるのかを判断するのです。あくまでも、感覚器官は、外的情報を集める「アンテナの役割を担っています」。
例えば、人は視覚優位の生き物ですが「見た目を重視」します。
同じ物を見ていても、その人の好みや嗜好といった「感情」によっても違いがあります。
この違いは「個性」とも呼ばれるものであり、多様性でもあります。
一人の人はイチゴのショートケーキを見れば「美味しそう!食べたい」と思うでしょう、一方では、生クリームが嫌いだから、イチゴだけなら食べたいと好みの違いもあります。
また、見るにしても、遠くの物を見た時に、視力が良ければ見えますが、視力が弱いと眼鏡をかけないと見えないなどもあります。これらは一種の能力差とも言えます。
見るだけではなく、人の聴覚や嗅覚などにも人によって鋭さや敏感さに違いがあります。
男女でも「感覚の差異」があります。男性は「視覚と触覚」にぐれています。女性は「嗅覚と味覚」が敏感です。
男性は、女性の裸を見て興奮しますし、痴漢行為も圧倒的に男性の行動です。
一方、女性は、アロマや香水の香りに癒されるなどもあり、香りに敏感です。また、「別腹」と言われるのも、女性特有のものです。甘いスイーツを好んで食べるのがそうです。
音を聴くにしても、育った環境や学んで来た環境などによっても違いがあります。特に、子供の頃から楽器演奏をし、学んで来た人たちには「僅かな音の違いが分かる(絶対音感)というスバ抜けた音の違いを判断できる能力です」。
こうした、感覚以外にも「特殊な感覚の持ち主が居られます」。
例えば、音楽を聴いていて、脳裏に色が見えたり、人によっては、香りを嗅いだ時に色が見えたりする人たちもおられます。これらの人たちのことを「共感覚者」と呼ばれている人たちです。
また、私のように「他の人には見えないもの、感じられないもの(気配)などを感じる。見えることがあります。
また、夢の中で見たことが何日後かに見た夢のままに現実に起きることがあります。「予知夢」とうものですが、この予知夢は科学的な根拠にも欠如しているのは、研究データや実験など出来ない事でもあるのです。
身近なところでは「直感が的中」などもあります。人の感覚が複雑で謎めいている部分も多くあり、巨大化した人の脳が創り出した「人の感覚」が若くして衰え、危機的な状態にあると私は継承を鳴らしています。「現代人の感覚が危ない」と指摘し、テレビ番組等にも出演し、コメント説明もしました。
何故?子供たちや若者たちの感覚が危ないかと言うと、それは、分からない事や遊びも「スマホやパソコンゲーム」など、バーチャルの世界観で遊び、快感を得ているのに関係しています。
「ゲームブレイン(ゲーム脳)と呼ばれているものです」。リアルな世界を体験不足から招く「錯覚の感覚」が危険であると指摘し、警鐘を鳴らしているものです。
また、人の目で見えるもの、聞こえるもの、臭いを感じる、味を感じる、触って感じるだけが全ての感覚ではないのです。
目には見えなくても、見える世界はあります。霊的存在などがそうであるように、分かる人、見える人、感じられる人は極めて希薄です。
この世には「科学では生命の出来ない、解明できないこと、出来事や現象」が沢山あると言うことです。ここに「人の感覚の不思議、神秘性に富んでいる」ところでもあります。
センスプロデュース研究所、葛西行彦