意外にも立派だった眼鏡橋

2022-03-08 00:00:59 | たび
よく、日本三大ガッカリというのに登場するのが、長崎の眼鏡橋。あとの二つは札幌の時計台と高知のはりまや橋。ずっと以前に観光バスの車中から眼鏡橋を見たがほぼ記憶にないし、実際に観た眼鏡橋はイメージよりも立派だった。

一応、眼鏡橋があるべき場所に二連アーチの橋があるのだが、もっと小さな橋が近くにあるのではないかと少し探したが、もちろんあるわけはない。他の二つのガッカリ案件は、おそらくその物体にストーリーとかヒストリーが少ないのではないだろうか。



眼鏡橋は二連アーチなので、水面に反射する逆さ半円象と合わせて眼鏡のように見えるが、石造りの二連アーチとしては群を抜いて古い。竣工は1634年。当時オランダとともに国交のあった中国の人たちは1万人程度長崎に在住していて、かれらの宗教的拠り所となったのが興福寺。その二代目の住職が中国より技術者を招聘して作ったそうだ。400年近い歴史を持つ。

そして、眼鏡橋付近から市街地は山の方に上っていくのだが、そのあたりに坂本竜馬が開いた「亀山社中跡」があり、当時の建物が再建されていると言われる。道は良くわからないが勘を付けて歩いていくと、山の中腹まで伸びているように見える長い坂の入口に、「亀山社中まで200m」と書かれていて、10秒ほど熟考した末、丘登りは断念した。ちょっと体力が・・・

なぜ、こんな斜面地に交易会社を作ったか謎に満ちているが、私なりに考えると、背後に山というのが、逃走を続ける竜馬にとって一つのパターンなのではないだろうか。もともと竜馬は土佐藩士だったが、ある時、山を越えて脱藩している。実は、脱藩したということで、高知県人は冷ややかな目で見ているらしい。

会社が急襲されれば、すぐ逃走できるように考えていただろう。



亀山社中を取りやめたので、長崎市の博物館を覗く。現在改装中ということで、いくつかの展示室がクローズで割引料金になっていた。すべてが秋に開通する新幹線のためだろう。有名な竜馬の写真の脇には30年後の竜馬の顔の想像図が展示されている。ロシアの交渉団のような悪辣な面相だ。

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