肥満体の目立たない町

2006-05-06 07:02:27 | 美術館・博物館・工芸品
5c940238.jpgとある件で両国に行ったので、国技館へ寄ってみる。5月7日からの五月場所の準備で、肥満体人間達が行きかっている。見たような外国人力士も歩いている。近づくと、やはり怖い。3メートル以内に近づかないよう注意しながら、国技館に併設されている「相撲博物館」へ行く。入場無料。6月16日までの予定で「館蔵屏風絵展」開催中。

屏風は中国人の発明らしいが、襖絵とか天井画といった固定的な調度ではなく、折りたたみ式のキャンバスのようなものである。ここに相撲の絵柄が描かれるのが相撲屏風。相撲の歴史を辿るのには絶好の資料である。展示された屏風の中で、一つの目玉は、「四角土俵相撲の図」。なんと土俵が四角である。年二場所の他は、地方巡業していたそうで、諸国の大名たちの招待であちこち回ったそうだ。大名の趣好で妙な土俵が出現したらしい。相撲取りはプロだが、四角の土俵を見ては、さぞ驚いただろう。

(ところで、丸い土俵が四角であれば驚きだが、逆にプロレスではリングといっているにも係わらず、四角い土俵を使っている。逆に円筒形の建物でもマディソン・スクエア・ガーデンという。四角なのに丸ビルとか・・)


5c940238.jpg現在、この相撲博物館の館長だが、第48代横綱、大鵬が座っている。彼の父親は当時はロシア人と言われていたが、実際にはウクライナ人である。そしてウクライナには大鵬を記念して、相撲博物館ができるそうである。モンゴル(南側は中国に占領され自治区と呼ばれる。そのうち某半島の北側も自治区となるかもしれない)・ブルガリアの次は、ウクライナからもドッと力士が誕生するのだろうか。

ところで、相撲博物館には初代横綱から68代朝青龍まで全員の肖像画あるいは写真が掲示されている。江戸時代の横綱は名誉職だったわけで、史上最強といわれる雷電はリストに入っていない。なかには、横綱昇進後一番も取っていない力士すらいる。リストをながめると、「西ノ海」という名の横綱が三人もいる。井筒部屋である。そして、それに並ぶのが「若乃花」である。こちらも三代の横綱がいる。

5c940238.jpgその若乃花だが、以前、彼(スッチーの旦那)の手形を見たことがある。ある上場会社の役員が、本来は株主配当にまわすべきおカネを力士につぎこんだ見返りとして、「若貴手形色紙セット」を入手し、高級な皮のビジネスバッグに入れて持ち歩き、ところかまわず見せびらかせていたのを拝見。朱色の手形にそっと自分の手をあてがって見ると・・・

貴乃花の手形よりはずっと小さいが、若乃花の手形よりも自分の掌の方が大きかったのである。もっとも手が大きくて得をしたことは、ほとんどない。自分の手に合ったゴルフグローブが存在しないため、夏のゴルフで左手が焼け残ることがないことぐらいだ。

枕草子は随筆か日記か、あるいは・・

2006-05-05 00:00:58 | 書評
f31f10b8.jpg拘置所で読書三昧の日々を過ごした人もいるらしい。「人生で、読んだ本より書いた本の方が多い」というギネス記録を自ら破ったわけだ。

一方、一冊の本をダラダラと読んでいて疲れ果ててしまった話だ。その本は「枕草子(岩波文庫)」。この岩波文庫版は、392ページもあり、難行苦行である。電子辞書という文明の利器は、子供のいる家庭なら、何台か転がっているのだろうが、残念ながら古語辞典が含まれているものは最高級品となる。日本文学の古典はブルジョア文学だったのだが、現代でもそうなのだろうか。いずれにしても通勤電車で読むには、辞書を使うのは難しい。

有名なハイライトはもちろん読んだこともあり、知っているのだが、全部読むのは大変だし、「およそ、わかればいい」と正確性を捨てることにした。別に清少納言研究家ではないし、勝手に楽しめばいい。

そして読み出してすぐ気が付いたのだが、ブログにそっくりである。短い段もあれば超長い段もある。分析的だったり、即興的だったり。「春はあけぼの」、という有名な冒頭の段のように、「なぜ、春はあけぼので、夏は夜で、秋が夕暮れで、冬は早朝がいいのか」懇切丁寧に解説が書かれている場合もあれば、「鏡は八寸五分」とかそれで終わりで、後世の研究家を困らせるものもある。ストレートに叙情を書き綴る日もあれば、ヒネリを入れる日もある。

特に、この最初の方にある段は、愉快だ。原文(句読点と「」は文庫版による)と、拙意訳を記してみる。

 思はん子を法師になしたらんこそ心ぐるしけれ。ただ木のはしなどのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物のいとあしきをうちくひ、寝ぬるをも、わかきは物もゆかしからん、女などのある所をも、などか、忌みたるやうにさしのぞかずもあらん、それをもやすからずいふ。まいて、験者などはいとくるしげなめり。困じてうちねぷれば、「ねぶりをのみして」などもどかるいと所せく、いかにおぼゆらん。
 これはむかしのことなめり。いまはいとやすげなり。

 かわいいと思う子があって、その子を坊主にしたら、まことに気の毒である。世間では、坊主を、木の端くれのように 思っているのは、実に気の毒だ。坊主は精進物でたいそう粗末なものを食べ、生活しているのにだ。坊主でも若い者は、色々と知りたいこともあるだろう。女性などのいるところをも、忌みごとのようにして、のぞかないでいられようか。しかし、それはダメだ、といわれる。
 まして、修験者などはいっそう苦しそうである。物の怪が落ちず、つかれてちょっと眠ると「眠ってばかりいて」などと非難されるのは、まことに窮屈で、どんなにつらく思われるだろう。

 だが、こんなことは昔のことのようだ。今の坊主の生活は、まことに気楽だ。

ちょっと文体マネすると、

すさまじきもの。
もみじマークでのたりくたりと蛇行運転する翁。
公園で大声で電話する取立屋。
保釈中の被告人を追跡する記者。
すべて、いとみにくし。

さらに、ちょっとだけ調べると、このブログ風な大著を、清少納言は、僅か1ヶ月強で書いたそうである。
いとおそろしなんめり。  

もみじマーク、なんと日本的な・・

2006-05-04 07:15:53 | 市民A
e119d7be.bmp両親の病気で、首都圏の田舎に何度も行っている。そして、そういうシチュエーションの場所は、おおむね「老人天国」になっている。老人天国については、もっと分析的に語る日がくると思うが、もっと即物的な話をすると、妙なマークをつけたクルマが町中を多く走っている。


高齢運転者マーク

70歳以上になると、このマークをつけていいことになっている。一見、免許取立て1年間の義務である若葉マークのようであるが、似て非なるものである。

そして、妙な愛称がついている。「もみじマーク」という。

おかしなことだらけなのだが、まずこの名称。もみじとは似ていない。もみじの葉は五本指だ。このマークはどうみても、「枯葉マーク」。あるいは「落ち葉マーク」。無理に「もみじ」に結びつけるなら「紅葉の別読み」ということだろう。そして、それらのいずれの解釈でもいいのだが、「老人に対して無神経」というのは間違いない。

要するに、嫌な気持ちを植え付けて、早くドライブをやめさせようということなのだろう。日本的思いやりの精神だろうか。70歳以上で免許更新するときは、実地教習が義務になっている。ただし、下手だからと言って、更新しないわけにはいかない。教習は、単に行政の思いやりサービスに過ぎない。

そして、これから老人がどっと増えるのにもかかわらず、このように性格のはっきりしないルール(つけてもつけなくてもいいマーク)で対応していけば、いずれ大事故の犠牲者が出る。

この2週間で、老人天国の場所で見た「枯葉マーク」の珍プレーを列挙してみる。

1.左に寄り過ぎ
 歩道のない畑の中の道路。片側1車線なので、車線の中央を走ればいいのに、左の路肩から10センチのところをゆっくり(40キロ)走行。誰も歩いていないからいいが、人や自転車や犬がいたら、死亡事故になるだろう。自分が路肩から落ちて死ぬと、天国に行けるが、柔らかいものを跳ね飛ばすと、地獄へ行かねばならない。

2.反対車線侵入
 片側2車線の広めの道で、私の前のクルマ(枯葉)が、赤信号の交差点で右折しようと意図する。当然、片側2車線なので、左から二番目の車線の停止線で右ウィンカーを点滅させ、待機しなければならないが、左から3番目の車線で待機する。おっと、そこは対向車線でしょ、ってこと。当然、交差点は大混乱。これも、被害者が出ればどうするの。

3.高速道路蛇行運転
 片側2車線の高速道路でのこと。左側走行車線を走っていたら、枯葉カーが70キロ程度の遅い速度で走っている。追い越し車線に出て追い越そうと思うが、そう簡単にはいかない。なにしろ、蛇行運転するわけだ。左側の路肩に入り、左壁に激突寸前に、戻ってくる。そして、こんどは右に流れてきて右車線に侵入したあと、また左に蛇行する。そして、左のあと、右ではなく、また左になったりする。つまり、右側を追い越そうと思っても右に蛇行されたらぶつかる。結局、誰も老人を追い越すことができず、長蛇の列ができてしまった。

その他、私は見ていないのだが、「若葉マーク」と「枯葉マーク」の両方をつけている車もあるそうだ。理論的には可能だ。結局、「危険性」と「個人的人権」のはざまで、妙な自主マークとなったのだろうが、まあ、おカネに余裕のある方だけでも、70才になったら、ハンドルを置いてしまえばいいのではないだろうか。

代替手段として、例えばタクシーでもいいではないだろうか。市区町村では老人タクシー割引制度が充実しているところもある。それの方が総合的には安上がりのこともあるだろうし、帰りは電車に切り替えてもいいのだ。

しかし、タクシーをマイカーの代りにすれば問題が解決するかというと、また次の問題が発生するわけだ。

それは、「タクシードライバーの高齢化問題」である。  

米国で最初にティラノザウルスに食われた男の職業

2006-05-03 07:19:49 | 映画・演劇・Video
スピルバーグの「ジュラシックパーク(1993年)」を見ていると、ティラノザウルスがうめき声を上げたところで、膝の上でうたたね中の室内犬が目を覚ました。そして対抗して吠え出した。臨場感が高まる。もしかしたら犬のうなり声を使っているのかもしれない。

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しかし、最初にエサになるのが、便器に座った状態の弁護士というのがスピルバーグのジョークだろう。さぞかし、弁護士が嫌いなのだろう。

数えてみると、このシリーズ第一作では5人位がエサになるのだが、それでも子供2人と善玉科学者3人が無事助かるとハッピーエンドとなるのが、映画とはいえちょっと割り切れない。

ところで、映画の話はおいてしまい、恐竜の話だが、恐竜は鳥類であった、という学説が主流になってきた。要するに、あれだけの大きな体格の動物で、体温の自己コントロールができないと、筋肉の発生する熱を皮膚から自然放出するだけでは体温が高温になってしまうだろう、というところからの推論である。実際、難しいことを抜きにしても。倍率の大きな双眼鏡で鳥の顔を見ると、爬虫類のとかげの顔や目にそっくりである。さらにカラスの目は鋭く、双眼鏡のレンズの向こう側からでも目線が合うと、ジロリと恐喝される。

一方、恐竜=鳥類理論は、消去法的理論であり、では、あれだけ数多かった恐竜が、これまた数多い鳥類と、どういう系譜で繋がるのかということについては、何もわからない。何しろ、現存する爬虫類は僅か4種類(ワニ、トカゲ、ヘビ、カメ)。案外、恐竜インフルエンザとかが絶滅の原因ということも考えられるわけだ。


ところで、最近、都会の3大野鳥である、カラス・ハト・スズメが減少しているそうだ。カラスの減少は、えさとなる生ゴミの管理が徹底されたことから理解できるが、スズメの減少の理由は不明だ。どうも世界的に減少しているらしく生ゴミ減少とは無関係のような気になる。

そして、先日から注意を払って空を飛ぶスズメを見ているのだが、最近、久しぶりに夕方の空に、発見したものがある。「コウモリ」だ。コウモリが戻ってきているのだ。しかし、それらの因果関係はまったくわからない。

ジュラシックパークとゴジラの消滅の因果関係もわからない。

Indian Kuku-Kuku

2006-05-02 08:01:07 | マーケティング
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最近、脳力強化が話題になっている。ゲームやテスト本などで、試してみると、だいたい「ガッカリ」する。本当は頭の中で詰将棋を作ったりするのだから、若い時に比べても、それほど衰えているわけではないだろうが、色々と心配になる。認知症というのは、自分では気が付かないが、気が付かなくてもなってしまい、周囲に迷惑をかける。日本人の平均年齢は女86歳、男78歳と、もうすぐ90、80の大台に近づいていて、それほどの年になるかどうかわからないが、ボケない自信もない。外に知れるとカッコ悪いので、密かに毎日、頭の中で九九を一回唱えることにしたのだ(と書いてしまった)。

ところが、それが簡単ではない。九九はいくつあるかというと、81だ。1×1から9×9までフルコースで思い出そうとすると結構失敗する。だいたい、頭の中でやると、どこまで進んだかわからなくなる。四の段あたりで、ぼーっとしてしまう。それに昔から得意じゃなかった。四二(しにがはち)とか飛ばして、二四が八と覚えている。それで四二とか四三とか考えているうちに、どこまで進んだのかわからなくなる。なさけない。

実際は、四三も三四も同じなので、全部覚えなくてもいい。さらに一の段は不要と思えば、81ではなく、ずいぶん数が減る。二の段が二二が四から始まり、二九まで8種類、三の段が7種類。九の段は1つだけなので、8+7+6+・・・・・+1ということになる。この答えは、公式もあるし、ゴルフのスコアカードみたいな足し算なので暗算でもいい。36通りである(PARだ)。ずいぶん減った。しかし1週間やっていると、81通りの方でも大丈夫である。

ところで、ブログ上で最近ぼちぼち見るのが、「インドの九九」の話だ。数学天国インドでは、二桁の九九を覚えるらしいという話が広まっている。それで、色々調べてみると、「インドの九九」には二つの説があることがわかった。

第一学説:インドの九九は1×1から99×99まである。だいたい、インドの数学は10進法ではなく100進法である。日本語でも英語でも20は10が二つというような言い方をするが、インドでは1から99まではまったく別の数字の呼び方をする。それも規則性はない。カースト制度だって階級は二桁である。

第二学説:インドの九九は「バハラ」と呼ばれ、22×20まである。結構、あちこちで紹介されている。

どちらが正しいか、まったくわからないのだが、なんとなく22×20までというのは、本当のような妙な話であるが、妙なのは21がないことだ。21×21を知らなくても22×20を知っているのだろうか?よくわからない。数学的には、第一学説の方が割り切れるのは確かだが、覚えるのは大変だ。99×99までだと何通りあるかというと電卓に頼ると9801通りになる。(100-1)の二乗という出し方もある。9801通りではなく、例の簡易法だと98+97+・・・+1となる。公式を知っているから計算すると4851通りになる。残念ながら、この学説には解答表に名前がない。99×99までなので、とりあえず「Indian kuku-kuku」と命名し、EXCEL で一覧表を作ってみた。ちょっと縮小して掲示してみる。

ところで、これだけ大変なものを覚えるのに辟易した結果、インド人は「ゼロ」を発見したのではないだろうか。これなら覚える必要はない。元の数字がいくつであっても「ゼロ」をかけると「ゼロ」になる。

そこで、数学的に「ゼロ」を考えてみると、これが厄介である。要するに定数aに変数x(0)をかけるとx(0)になる時、xを求めよ。というのを式で書くと、

 ax=x となるが、この式を見ると、普通の人はa=1 と定数の方を答えてしまうだろう。

では、どうやってx=0 を証明するかというと、難解である。kuku-kukuを覚えるより頭を使わなければならないだろう。  

とくしま藍あいプラザ&近くの建設会社

2006-05-01 06:56:50 | マーケティング
e8ebdebf.JPG東京には、全国各県の物産館がある。力を入れている県もあれば、あまり力を入れていない県もある。東京の港区にある徳島県の物産館である「とくしま藍あいプラザ」は、その後者の方。店舗も二階で、ふらりと店内に入るドロップ・イン・レシオは限りなく0%だろう。おそらく、徳島県出身の人たちが、ホームシックにかられてドアを開くのだろうか?

で、徳島とは何の関係もないのだが、足を向けたのは、これから物産館ブログを書こうというわけではない。芋焼酎「里娘」を買いにいったのである。なにしろ、全国に名高い「鳴門金時」から精製されるのだから、九州の芋焼酎とは異なり、高級品の味がする。ビンもピンク色だ。実は、先日、徳島方面に出張した親戚からもらったのだが、遠慮なく直ちに飲み干してしまったので、追加購入しようということだ。何しろ、その親戚が近々、家に来る。

そして、予定通り、「里娘」の購入成功。


e8ebdebf.JPGところで、港区にある、この物産館に行くため、ちょっと裏道を通ったら、Nという名の、ある中堅のゼネコンがあった。以前住んでいたマンションの施工が欠陥工事で、痛い目に合わされた相手だ。竣工後2~3年のマンションの設計変更問題でトラブったのだが、「設計図面は既に捨てた」と住民に捜査権がないのをいいことに逃げまくっていた。売上高利益率が非常に高いのでも有名。

そのビルの玄関の前を通ったのだが、玄関の外(つまり建物の外)で、部長風の恰幅のいい男が携帯電話でわめいている。

「・・・・・・・・」
「家は、あぶないぞ。最近は調べられるからな!」
「・・・・・・・・」
「クルマの中も駄目だ!」
「・・・・・・・・」
「捨ててしまえ!」
「・・・・・・・・」
「いいから、かまわないで、捨ててしまえ!」

物騒な話をしている。通行人には全部聞こえてしまうだろう。一体、「強度偽装」の方なのだろうか。それとも「談合入札」の方なのだろうか。それともその両方ともということだって考えられる。

そして、芋焼酎をつるして、”とくしま藍あいプラザ”の帰りに前を通ったら、今度は若手社員が玄関の外で携帯電話をかけていた。
「えっ、ダメだったのですか」
「・・・・・・・・」
「何とか、出すものは出すから、頼みますよ」
「・・・・・・・・」
「話が違うじゃないですか」

どうも、この会社の高い利益率のビジネスモデルは、玄関の外での電話に秘密が隠されているのだろう。


ところで、近くの公園では、取立屋が「おんどりゃー」とか携帯持って騒いでいるし、江戸時代は旗本の町だった虎ノ門の町にも物騒な輩が多くなっているのだ。