NHK「きょうの健康」バックナンバーの怪

2006-05-19 06:25:45 | 書評
85659ad8.gif1ヶ月前になるが、テレビでNHK「きょうの健康」を見た。4月の10日過ぎだったはずだ。ちょっと関心のある症状が放送されたためだ。

まあ、人生で初めて「きょうの健康」を見たのだが、どうも毎日放送しているようだ。結構、初心者向けにわかりやすい。もちろん病気は人それぞれで、全国一斉放送で患者をステロタイプの病名の枠にはめるわけにはいかないだろうが、病気の素人にはちょうどいい難易度である。

そして、関心のある記事について、後でテキストを買って確認しようと思い、数日後に大型書店に行くと、当てがはずれた。

すでに5月号を売っていて、「4月号はない」という。どうも毎月16日が、雑誌の発行日で、翌月号に切り替わるそうだ。月央日では、早すぎるのではないかな?と思わなくもない。

別に「きょうの健康」は連載ドラマではないのだから、テレビで見てから買いに行く人だっているだろうに。とちょっとガッカリして、自宅に帰る。それならバックナンバーをネット上で注文すればいいのだろう。と、たかをくくる。

ところが、そのイージー思考が難儀の始まりになる。まずamazonや大手書店のネット販売サイトを見ても出てこない。「きょうの健康ブックス」というシリーズはあるらしいが、テキストは見当たらない。あれはテキストであって書籍・雑誌ではないのだろうか?と悩んだ結果、NHKのホームページから捜索していくと、やっと見つけた。そして、バックナンバーの注文画面に到達すると、なんと店頭から消えたばかりの4月号は「品切れ中」と表示されている。それより古い号の在庫はあるのにかかわらずである。「大きな謎」にぶちあたったわけだ。

ところで、以前、小型書店の開店にかかわった経験がある。その時の苦労をもう一度思い直してみると、ある推定が浮かんできた。「たぶん、刷り上った雑誌は全部、全国の書店へ取次ぎ経由で送り、当月中には在庫がゼロになっている。それでも売れ残り分が1ヶ月くらいのタイムラグでNHKの方に大量に返品となる。そうなると、返品された在庫はもう長期滞留するだけになるため、最初から徹底的に発行部数を絞るのではないだろうか。」

つまり、4月分は3月16日の発売日の前から4月末頃までは在庫ゼロで推移するのだろう。視聴者無視だ。サプライサイド発想。さすがNHKだ。受信料未収のつけを経費節減で補うのだろう。と、頭の中で毒づいてから、電話で聞いてみる。要するに、注文した場合、いつになったら在庫が充当されて、手元に到着するのかということだ。

そして、電話による激しい攻防戦は、残念ながら不首尾に終わる。やってることが無茶苦茶である(あちら側もこちら側もか?)。しかし、まあ注文はすることにした。高額商品じゃないからだ。本体500円+送料108円=608円。それに鮮度が重要で腐るというものでもない。雑誌が届くまで放送の内容を忘れないようにしておけばいい。


ところが、・・・・。在庫がなくて、長く待たされるはずの注文は、なんと二日後に届いた。それも速達である。一転して大サービスである。クレーム処理係が登場したのだろうか?そして、ずーーっと経ってから608円也の振込用紙が届いたのだが、実はまだ払っていない。つい忘れてしまう。

そして、それから1ヶ月たって、現在は5月号と6月号の切り替え時期である。すでに店頭からは5月号は消えたので、バックナンバーの注文ページをチェックすると、・・・。在庫はあるのである。品切れを回避している。業務改善なのか単なる偶然なのか。NHK改革のリトマス試験紙として、毎月チェックすることにする(たぶん忘れるだろうが)。

ところで、この「きょうの健康」という番組のタイトルだが、ちょっと変じゃないだろうか。「きょうの料理」みたいだが、毎日、違う病気が解説されるのだ。毎日見る必要はないのだろう。

といっても妥当な番組名が思いつかないのかもしれない。毎日、さまざまな病気を紹介するのだから、「病気のデパート」とでもすればいいかもしれないが、「財務上、行き詰ったデパート」みたいに聞こえてしまうのかもしれない。 

クリアミス-杳として残さず-

2006-05-18 12:30:34 | 市民A
きょう午前中、東京メトロ目黒駅でのこと。

地下鉄に乗り、ドア付近に立っていたのだが、駅に到着し、とりあえず、いったんホームに降りる。JRとの乗り換え駅なので、多くの乗客が乗降車する。ドアから2メートル位の場所で降車客が切れるのを待つ。

そして、第1シチュエーションが発生する。
降車客の流れの中で、ある女性が右足の(黒皮のパンプス)ホーム上に落としてしまう。周囲に緊張が走る。要するに前かがみになって靴を拾おうとすると、ドミノ倒しになるわけだ。

あるいは、その女性が靴の無傷の生還をあきらめたとしても、後続客が靴に足を取られたり、あるいは踏まないようによろけて歩けば、危険!危険!危険!ということだ。


次に、第2シチュエーションが起きる。
その靴を落とした女性がストッキングのままの右足で、落とした自分の靴を、ホーム中央の広い方を狙って、蹴り出そうとしたわけだ。広いところにクリアしてから拾いに行こうという作戦だ。なかなか思いつかない臨機応変措置である。

こういう人間が首都直下型大地震で生き残るのだろう。


最後が、第3シチュエーション
この靴は結局、ホーム中央にクリアすることはできなかったわけだ。私の足元に転がることになる。

というのも、クリアされた靴は、私のスネを直撃したからなのだ。


0.1秒の早業で靴を履きなおして、風のように姿を消した女性の横顔は、なぜか假屋崎省吾にそっくりであったのだ。  

神奈川県西部で続く怪事件

2006-05-18 00:00:41 | 市民A
ee7cced6.GIF今、神奈川県西部で妙なことが起きている。すべて女性の絡んだ怪事件である。神奈川県警も袋がたくさん必要だ。

1.平塚5遺体事件
 この事件は、あまり書きたくないし、どの道、いやな話を知ることになるだろう。多くの事件は時効とはなるだろうが・・以下省略

2.大磯町頭部切断殺人事件
 この事件も、多くが報道されるだろうが、同居男性殺人の後、昼間は平然と仕事をしながら、夜は首の切断にトライしたとは・・

 大磯は市制化されてなく、「大磯町」である。面積の割に人口は多くないので、ゴミ出しルールもおおまかだ。粗大ゴミにならずに一般ゴミで処理するには50センチ以内とされている。殺された男性の身長はよくわからないが、仮に身長が175センチとすると、頭の長さは25センチ程度だろうから、残りを3分割することになる。膝の上とアバラの下あたりか。確か、首の切断も完全にはできなかったという報道もあったと思う。普通の包丁では、ちょっと無理だろう。

赤川次郎の初期の作品では、浴槽で死体を数日間煮込み、最後は骨をぼろぼろにして、トンカチで砕くというのがあったと記憶する。確か、近所の人から「ずいぶんシチューを煮込んでいますね」と尋ねられる場面があったような・・

事件後、ネット上で自分の犯行がバレたことを知り、突然て姿を消すというのも・・

犯行後、どこに宿泊していたのだろうか?新たなカギはそこにあるのでは・・

ついでに、巨大都市横浜では、金属は30センチ以内は「小金属扱い」、それ以外は50センチ以内が「燃やすゴミ」となっているのだが、最大の問題は、「半透明の袋」にいれなければならないことである。

3.厚木、猫死体事件
家賃不払いの女性を退去させたあと、集合住宅の管理会社が発見。小袋に詰め分けられた猫の死体が170匹あったそうだ。女性の話では5年前に飼った「1つがい」から増えたものということで、警察も事件にしないということだそうだ。

ところが、動物愛護法では、飼っているペットに餌をやらなかったり水を与えなかったりしたら、犯罪行為としている。罰金は30万円から昨年は50万円になっている。果たして猫の寿命(約15年)からいって170匹も5年間でなくなるのだろうか。そして、ネズミ算ならぬ猫算でどれだけ増えるのだろうか。そして、大量の猫は??

猫の発情期を年2回として「猫算」を概算してみる。1回に4匹産むとすると、5年間で11世代となる。雄雌比率は1:1とすると、とりあえず雌の頭数計算だけして、後で2倍することにする。初代は1匹、二代目は2匹、三代目は2の二乗で4匹、以下、8、16、・・・で10代目は2の十乗で1,024匹となる。この累積匹数は2、047匹。雄の分を足すと4,094匹になる。なんとなく、「どうにもならなくなった」というような気がする。

そして、皮肉なことに厚木市は、全国でも「猫先進都市」を標榜していた。犬と同様に飼い猫を登録して、鑑札証を発行して管理し、野良猫、捨て猫を減らそうというシステムが機能していた。そして、もし猫が亡くなった場合、2,000円でお弔いしてもらえることになっていた。結局、このシステムは飼い主の女性にはまったく機能しなかったわけだ。

この女性、人間のこどもを産まなかったことだけが幸いなのかもしれない。


そして、3件の怪事件が起きた場所を地図上に並べると、神奈川県西部、相模川に沿っていることがわかる。となると、まだ真空地帯は、伊勢原市、愛川町あたりになる。確か相模の国の守り神は「寒川神社」だったような気がするのだが、おそらく、神でも想像しえない怪事件ということなのだろうか。

WOW ブラジル!

2006-05-17 06:27:00 | 市民A
ブラジルでは二つのニュースしかないのかもしれない。一つ目はワールドカップ。23人の選手発表。こちらにはサプライズはない。おそらく、全国民がサッカー評論家でもあるのだから、おのずと監督の選考できる幅はなくなるのだろう。日本のフォワード陣選考でのサプライズは、どちらがよりまずいのだろうかというネガティブサプライズだったような気がする。

そしてブラジルの背番号6はロベルト・カルロスになった。予選の3戦目では、本物のロベカル対贋物のロベカル(サントス)が激突するわけだ。ただし、基本的にはいつも対角線上にいるはずだが、そう理論通りにはいかないだろう。数回は直接のマッチアップがあるかもしれないが、もしかすると片方は累積イエローカードで出場できないかもしれない。そうなると、本大会のルールとして試合中の通訳が禁止になったジーコ監督の指示が理解できるのは、相手チームの選手だけになるわけだ。


二つ目のニュースはサンパウロでの警察署襲撃事件。事態は、ますます拡大しているらしい。サンパウロ事情といえば、「ブラジル・サンパウロから世界へ、そして渋谷」さんが詳しいのだが、14日までに52人が亡くなっているらしい。その後、警官側が守備を固めた一方、PCCという戦闘勢力の方は攻撃対象を、刑務所(刑務官数百人が人質になったという噂があるらしい)、バス、銀行に拡大しているそうだ。そして、町から警察官が消えたため、一般犯罪の方も危険なようである。

そして、他のブラジル発のブログもそうなのだが、この二つのニュースが、完全に並列して報道されている。日本では考えられない。サッカーは、まだ「選手を選んだだけ」なのである。試合ではないのだ。一方、警察襲撃事件は国家の中に武装グループが現れて、反政府的な破壊活動を続けているわけだ。WOW ブラジル!というところだ。

ところで、本当にこの「WOW BRASIL」と叫んだ有名人がいる。昨年(2005年)11月6日のこと、ブラジルを訪問した米国大統領が、ブラジルの大統領府でブラジル地図を見せられたところ、こう言ったそうだ

Wow, Brazil is big.

Bigさを知らなかったのだろうね。

イラク攻撃直前までイラクの場所を知らなかった、というのはよく聞く話ではあるが、ブラジルの大きさを知らなかった話と合わせて考えてみると、日韓朝中台の位置関係や大きさなど、彼が知っているわけないだろう、と推測できるのだ。  

「毎日・朝日共催案」は妙手か悪手か

2006-05-16 06:26:36 | しょうぎ
「名人戦主催権」の毎日・朝日争奪戦は、妙な方向に変針した。契約書問題でモメたあと、泥仕合になるのかと思ったら、将棋連盟の次の一手は、「毎日・朝日共催案」だ。一見、大妙手か大悪手か、「一か八か」と見える。普通の発想では考えられない。現在、毎日は名人戦と王将戦の二つの棋戦、朝日は朝日オープンというように2紙で3つの棋戦である。それが一つになると、当初の目論見とは逆に、収入減になるのではないだろうか、と考えられる。しかし、まさかそんな単純な話ではないだろと深読みしてみる。

深読みの補助線1は、各棋戦の契約金。表示は年間金額である。

毎日:名人戦    3億3400万円
    王将戦      7800万円
    計      4億1200万円

朝日 朝日オープン 1億3480万円

(毎日+朝日) = 5億4680万円

読売 竜王戦    3億4150万円

(参考)
  棋聖戦(産経) 1億4650万円
  王位戦(東京等)1億2380万円
  王座戦(日経) 1億0960万円
  棋王戦(共同) 1億0351万円


深読みの補助線2は、まったく内容がさわやかではない、米長邦雄氏の「さわやか日記」5月10日、11日の部分。

 5月10日には、中原副会長が同行し、朝10時半に毎日、11時半に朝日を訪問し、「毎日・朝日共催案」を要望している。そして、翌11日には、11時に読売に二人で行き、経緯を説明。11日午後は中原副会長だけが日経、産経へ説明に向かう。こんなスケジュールが記載されている。


このあたりの要素を加えて考えると、米長会長は、こういう筋書きを考えているのではないだろうか。もちろん私の推測である。

第一段階:毎日は、今の4.12億でもキツイが朝日は5億くらい出す気になっている。それなら、毎・朝とも4億ずつ拠出し、名人戦を8億円程度にする。朝日オープンは廃止し、王将戦は連盟に返してもらう。まず、現状の両社の支払額合計より2億5320万円改善する。

第二段階:この8億円を読売に突きつけ、棋界最高棋戦の地位と引き換えに竜王戦の契約金も8億につりあげる。この改善額は4億5850万円(こちらの方が多いが、ダメ元ともいえる)。

第三段階:由緒ある王将戦を磨き直して(例えば阪田三吉記念○○王将戦とか冠を企業名にしたりして)、別のスポンサーに売渡せば、最低1億円にはなるだろう。この段階で8億円程度の増収になる。もちろん運がよければ産経・日経からもとりたてる気なのだろう。


ところで、問題は、このガメツイ案にたどり着いた過程なのだが、作戦の当初からここまで読みきっていたのなら、スゴイ。が、単に右往左往した結果のようにも見える。どうも米長日記を読むと、タイトルホルダーX氏と密談した形跡がある。対局中の助言は将棋では禁止なのだが、どうもX氏の「天才の頭脳」が裏から登場したのではないかと、疑ってみる。

一方、米長会長が将棋連盟内に設置した経営諮問委員会の委員長である「以前、"経営が生ぬるい"と外資系株主から追い出された」ある人物よりもアドバイスは的確だろうとは、思う。  

横浜市歴史博物館と大塚・歳勝土遺跡

2006-05-15 00:00:08 | 美術館・博物館・工芸品
846438d2.jpg横浜市北部の丘陵地帯に大規模開発された港北ニュータウンだが、北側と南側が分離している。その理由は、ニュータウンの中央を細長く縦断する「農地」。農地は農林水産省の管轄なので、ニュータウン計画のカヤの外だったのだ。そしてもちろん、純粋な農地はほんの僅かで、造園業者が植木の育成や疲労回復(新品として再販)に使っていたり、・・・。

その地区北側の中心地は横浜市営地下鉄「センター北駅」とそれを囲むショッピングセンター。地下鉄とは言っても予算の関係で地下ではなく地上(空中)に線路があり、若干余った予算で巨大な駅舎を作った。初めて見た人は、このセンター北駅と南側の中心であるセンター南駅のあたりを、「未来都市のようだ」と言うのだが、確かに地下鉄の運賃だけは未来型だ。そして、そのセンター北駅から5分ほどの場所に「横浜市歴史博物館」と「大塚・歳勝土遺跡」がある。「古代都市」だ。

普通、横浜の歴史といえば、ペリー提督が脅迫外交した結果、漁村を開港した江戸最末期からの150年間を指す。それらの歴史的記念館や町並みは、山下公園の近くに数え切れないほどある。「日本最初の○○」というわけだ。

では、こんな北部丘陵になぜ、歴史博物館があるのだろうか? その理由は、この博物館の中のホールで見ることができる15分間のミニ映画でわかる。なにしろ、横浜20,000年の歴史というわけ。隣国が4,000年の歴史とか(いつのまに5,000年とか増えているが)言っても、その4倍だ。縄文人の集落があったわけだ。気温と地形の変化の因果関係はよくわからないが、日本列島は氷河期には南北ともに大陸と繋がっていた。つまり日本海は湖。その頃に南北から別々に民族が移住。南からきたのが縄文人。その後、大変に暑い時代になり、海岸線が内陸に侵入し、丘陵地帯に貝塚ができる。

846438d2.jpgそのうち約2,000年ほど前に、渡来民族が米作を持って上陸する。彼らは鉄製の武器を使い、根がサッカーに限らず闘争的な国民なので、縄文人を森の奥に追いやり、平地で稲作を展開する。そして、4世紀の初めに大和朝廷という全国統一律令制国家が誕生する。そのように簡単に言ってしまうと、大和朝廷の先祖は外国人というように聞こえてしまうが、映画では、大和朝廷がどこからきたのかははっきり言わない、が、はっきりわかるようになっている。

そして、通常なら、人種対立の結果、縄文人は粛清されるのだが、日本の場合は、縄文人と弥生人は共存していたらしい。むしろ、弥生人同士で血の抗争を展開したようだ。なぜ、弥生人は縄文人を粛清しなかったのかは不明だが、森の中で狩猟した肉類と平野のコメを交換していたのかもしれない。弥生人はふるさとの味である「焼肉」が好物だったのだろう。

そして、この歴史博物館の周囲は集落の中心地で、弥生人の大規模集落があったそうだ。そして、中央政府の出先事務所は「税務署」だったそうだ。秋になると収穫された米を税金として納付するわけだ。コメの倉庫が立ち並んでいたらしい。

846438d2.jpgそして、そのあと、横浜の歴史は一気に鎌倉時代に飛ぶ。鎌倉が日本の中心だったので、鎌倉へ向かう街道が整備される。今の東海道(第一京浜)、中原街道、国道246号は当時から鎌倉から東京方向へ向かう重要な街道だったそうだ。そしていまでも鎌倉街道という名前であちこちの道路に名前が残っている。


さて、博物館の裏手には、弥生時代の集落跡である、「大塚・歳勝土遺跡」が復活しているが、遺跡発掘後にこういうように遺跡に手を入れると、なんだか妙なものになってしまう。こどもたちは遺跡に遠慮なくサッカーをして遊んでいる。


ところで、縦穴式住宅の中に入ると暗い。こう暗いと中で夜更かしはできない。つまり、明るいうちは外に出て、休日もなく働かなければならなかったのだろう。一方、雨の日は室内で休暇をとっていたのだろうが、一体、何をしていたのだろう。暗い空間で、古代人のレジャーについて頭をめぐらせてみる。

たぶん、「飲む・打つ・買う」だっただろう。

「詰将棋パラダイス」誌を墓標にした男を発見

2006-05-14 00:00:30 | しょうぎ
ff246a2c.jpgまず、少しは難しい詰将棋1題。

どうも私の作風は「詰パラ」誌では、「あまり見ない」、「個性的」、「荒削り」とか妙な評を受けている。早い話、最近、ブログ用に作り始めたので、「新星登場」というようなトシではないので、ナックルボールを投げているだけ。この作品は、ある構想(玉ノコギリ)の失敗作の副産品の一つ。テーマは「押売り合い」になってしまった。

いつものように、解けたと思われた方は、コメント欄に「最終手と手数」を。



前回のふざけた作品の解答は以下。
ff246a2c.jpg▲2三香 △2二銀 ▲同香成 △同玉 ▲3三(1三)銀 △2三玉 ▲2九飛右 △1四玉 ▲2四銀成 △1五玉 ▲2五成銀 △1六玉 ▲2六成銀 △1七玉 ▲2七成銀 △1八玉 ▲2八成銀 まで17手詰
2手目が銀、角以外の合駒は▲1一飛成の大技で決まる。テーマは「逆ボウリング場」。5手目が3三銀でも1三銀でもOKというキズと、途中で用済みになった3九飛車を王手で捨てる筋があるので、よそ行きの問題ではない。こどもだましに使うといい。

ところで、月刊詰将棋パラダイスは将棋ファンの間では長い間「幻の雑誌」と言われていた。比喩ではなく、実際の話である。なぜなら、今もって書店で取り扱っているのは全国で3店のみ(東京:八重洲ブックセンター、京都:ジュンク堂書店、大阪:旭屋書店)。1冊650円ではあるが、ほとんどの読者は定期購読の郵送なのである。半年6冊3,900円。そして、もちろん最初の1冊を買わないと、どういう雑誌かもわからないし、どこへ注文したらいいかもわからないわけだから、大変である。事実、この雑誌は50年以上の歴史があるのだが、途中、何度も編集者が立ち往生して中断している。現在は第602号。

以前は、難解であればあるほどいい、という趣旨で、完全に詰将棋作家のマニア化した結果、経営が行き詰ってしまった。その反省か、最近は、初心者向けのコーナーが充実している。なにしろ、詰将棋を作る人の人数と解く人の人数の微妙なバランスの上に成り立っている。そして、この雑誌のために命を賭けた初代編集長、そして元警察官でもある鶴田緒兄氏について書かれた伝記があることがわかった。調査の上、そのうち書いてみることとする。

そして、この詰将棋パラダイス誌は最近はネット検索からホームページにたどり着くことが容易だ。そこには、注文先もしっかりと記されている。たぶん、発行部数は増加しているのではないかと推測。


ff246a2c.jpgたまたま、このブログでも以前、類似作を紹介したのだが、実戦型の易しい問題が2006年5月号に掲載されていた。「易しくて風変わりな問題」を創ると、最初の方の人目に付きやすいページに掲載されるということが判ってきたのだ。この作品のテーマは「送りオオカミ」。解答は、→クリック。  

後記:3八竜まで19手詰めという余詰(というか本筋というか)がありますので近日中に稿を改め修正します。

クーベリック「わが祖国」1990年プラハ

2006-05-13 08:48:24 | 音楽(クラシック音楽他)
af521d89.jpg先日、銀座のヤマハホールである講演会を聞きに行ったのだが、会場に少し前に着いたので、1階のDVD売場を散策したのが運の付き。また妙な物に興味を持ってしまった。

クラシックの「歴史的名盤のDVDバージョン」である。といっても数あるわけではない。レコード・CDのための録音では、DVDはできない。もともとのオリジナルソースがテレビ用や記録用などに録画されていなければならない。また、歴史的という範疇にこだわれば、最近のハイヴィジョン用に録音されたものも対象からはずれる。また、各国の国営テレビは日本も含めソースを多数持っているだろうが、あまり公開していないし、名盤と呼べるか不明である。

今回、聴く(&視る)のはラファエル・クーベリック&チェコ・フィルで、スメタナ作曲「わが祖国」である。要するに1990年というのは、ソビエト崩壊で旧東ヨーロッパ体制が自由化していった時期である。1948年に西側に亡命したクーベリックが、42年ぶりにチェコに帰国。チェコの国土の魅力と歴史上の悲劇や栄光をスメタナが6部の交響詩として讃える「わが祖国」を振ったわけだ。

この演奏は、以前テレビでも視ている。ヴィデオ画質なので、その時の画像を使っているのだろうとは思う。チェコ・フィルの表現力はともかく、ご当地ソングの迫力というのが感じられるのは、楽団員の表情がアップになったりするからだろう。ただ、まったく先入観なく見ていると、どうもクーベリックの「遠慮」とか「手加減」といったものが感じられなくもない。ふと、思うと42年間、自分だけが亡命していた後ろめたさ(というかお客様感覚)があるのかもしれない。

実は、クーベリックは、この「わが祖国」を5枚演奏している。
 1952年 シカゴ響
 1958年 ウィーンフィル
 1971年 ボストン響
 1984年 バイエルン放送響
 1990年 チェコフィル

つまり、まったく異なる組み合わせで5枚の録音をしている。このDVDは5枚目である。専門家の評価は3枚目のボストンが最高で4枚目のバイエルンは完成版ということだそうだ。おそらくクーベリックは、チェコ以外では、「チェコでは、こう振るのだ!」と威張って(自信をもって)振り回していたのだろう。5枚目はオケとの協調路線ともいえる。

af521d89.jpgそして、このDVDの不思議なところは、演奏が終わったあと、付録として、クーベリックへのインタヴューや練習風景が視られる。どうも、亡命したことについてはシドロモドロのところがあって、亡命したことについては、「自由を束縛されるのは芸術家として耐え難かった」といい、「わが祖国は、チェコということではなく、その時に住んでいた、世界の総ての場所だ」とコスモポリタン風に語ったり、ある部分では「プラハのことを忘れたことは一時もない」とか豹変している。

クーベリックとチェコフィルとの42年ぶりの再開のシーンは緊迫している。出会いは、劇的に行われたわけではなく、ややぎこちなく、といったところ。練習も、怒るのではなく、おだてながらである。こんな風にだ。
「おー、すばらしい演奏です。今まで聴いた中で最高のモルダウですね。でも金管の人は、ここのところを弱く吹いたらもっといいですね。」とか・・


しかし、東西冷戦時の世界の分裂について、個人に対し、その間の変節を問うのはやめた方がいいかもしれない。ソ連だって、ブレジネフ時代には、亡命のチャンスがあれば、彼以外のすべてのソ連人は亡命しただろうといわれるくらいだからだ。

インタビューの終わりに、クーベリックは、「”わが祖国”は、スメタナが我々に与えてくれた最高のプレゼントです。将来も大事に演奏していきましょう」という趣旨で発言する。残念ながら、日本にはそれがない。

ところで、歴史的名盤DVDはそれほど大量に存在するとは思えないが、それでも集めようとすると、費用がたくさんかかりそうである。と、一瞬悩んだものの、あまり気にすることはないかな、と思いなおす。

別に臨時収入があるわけではない。趣味が長続きしないからなのだ。この前、買った一眼デジも稼働率は早くも低下。以前、岡山市で市電を見た時に、「全国市電写真集」を作ろうと思ったものの、写したのは、その岡山での1枚だけ。東京都港区で徐々に数が減少している和菓子屋さんの「港区和菓子店写真集」をつくろうと思ったものの、実績は、まだゼロ枚(つまり、考えただけ)。

まだ2枚目のDVDは買っていない。

大河ドラマの噂、藤堂高虎本出現

2006-05-12 00:00:32 | 書評
5ae7781f.jpg大型書店の歴史コーナーに、新書判の本が平積みされていた。藤堂高虎について書かれた「江戸時代の設計者」である。著者は藤田達生氏、46歳か。三重大学の教授である。中世・近世史専門。自称藤堂高虎ファンの私としては複雑だ。「先を越された!」。

藤堂藩は江戸時代、伊賀上野を本拠地とした32万石の大名。三重大学は、ご当地だ。本書は、もちろん藤堂高虎の業績を中心に私の知らなかった史実をふんだんに記載しているが、かなりの藤堂ひいき本である。その点を認識してから読む方がいいかもしれない。

実は、本書の中で、NHKが、高虎のことを再調査していることが書かれている。昨年9月21日にはNHK「その時歴史は動いた」でとりあげられ、若干の超ミニ藤堂ブームが起きている。大河ドラマのための候補に上がっているらしい。もちろん、この本の出版にいたった背景にも藤堂高虎の再評価の波があるのだろう。

ということで、藤堂高虎の歴史評価の幅について考えてみる。

まず、従来からの一般論は「寝技」「裏切り」「策謀家」・・・といったネガティブイメージである。本著でも、またNHKの放送の中でも紹介されているが、どうも司馬史観なるものがあり、歴史小説の中で武将をカテゴリ分けする中で、大物、中物、小物と分類、さらに織田・豊臣グループ対徳川グループと対立軸におくため、中物で歴史ヒーローになり得ない上に、仕えた大名が、浅井氏(反織豊)・豊臣秀長(秀吉の弟)・秀吉・そして最後は徳川家康と渡り歩いたことが、「寝技師」というラベルを貼られた原因なのだろう。大物であれば変節も小説上ドラマ性があるが、中物の変節は筋書きが面倒になる。

それに対し、NHKは、「高虎は、”家康から寝技師と思われているのではないか?”と疑っていて、大坂夏の陣では、きたるべき江戸時代の本格政権の中で重要なポジションを得るため、人的損害を省みず、猛烈な死闘を演じ、その後の家の安泰を勝ち取ったのではないか」、という深い洞察のある見解を示していた。

しかし、本書では、もっとずっと高虎寄りの解釈を行っている。豊臣秀長時代から家康とは親交を深めていて、関が原の前に西軍から東軍にくら替えした多くの大名の説得は高虎が行なっていて、いわば家康の個人的な参謀になっていたと大胆に断定。大坂夏の陣の先鋒役は、家康からの配慮であったのだが、たまたま藤堂家に転がり込んでいた、豪族時代からの盟友渡辺勘兵衛が意を汲まず、部隊の一部を無謀な戦いに突入させてしまったために、大損害を喫してしまった。というように書く。


このあたりで、私の意見であるが、元々、かなり若い時は、天下を狙う意気込みがあったのだろうとは思う。しかし、登場時期が遅すぎたのだろう。秀吉との年齢差19歳。家康と14歳の差。おそらく、一時豊臣家の内紛に巻き込まれぬよう高野山に逃げ込んだときに、歴史の潮流を読み、「もはや安定政府の時代」と考えたのではないだろうか。大好きだった城造りも、この頃からは、軍事的拠点から統治的拠点へと変化している。従来型の城郭では、仮想敵国に対峙するかたちで城を作り、背後に町民の居住エリアを設計するのが一般的だったのだが、この頃からは城下町という有機的な共同体の中での城郭という設計に変わっている。

そして、その後は城造りというより、広義の町割りの達人になっていくのである。そして、彼が設計した最大の遺産は、現在の東京(つまり江戸)の町割りなのである。彼は一応外様大名という範疇なのだが、家康からの信頼は絶大で、参勤交代どころの話ではなく、常に家康の近くに住んでいたわけだ。江戸においては上野の山に屋敷を構える。上野の地名は彼の所領である伊賀上野にちなんでいる。そして、家康晩年は駿府に居を構える。まさに家康の影になった男である。最晩年は日光東照宮の普請まで行なっている。幕末まで江戸城の建築工事を独占受注していた大工の甲良家は、高虎が出身地の近江時代からひいきにしていた家柄だ。

ところで、本書に紹介される数々の史実の中で、妙な話としては、名前のことである。藤堂高虎の父親の名前は、虎高だそうだ。そして母親の名前は「とら」さんだったそうである。「トラトラトラ」では、さぞ家庭内では混乱しただろうと想像。


さて、本当に大河ドラマになるのかどうか、真偽のほどはよくわからないが、評価の複雑な人物だけに、妙な解釈だけはやめてもらいたいと思うが、NHKも司馬史観から離れられるかという試金石でもあるのだろうし、興味はある。

ただし、役者の人選だけは難航するかもしれない。なにしろ、記録に残る彼の身長は6尺二寸(186センチ)であるのだ。

読売ウィークリー5月21号。

2006-05-11 00:00:17 | 書評
bfa02008.jpg5月8日発売。思わず、買ってしまったのは、出身学校のことや、いくつかの関心事が、中吊り広告にあったからだ。が、評判通り、つまらない記事が並んでいた。新聞社系であれば、「AERA」、「サンデー毎日」よりもつまらなく、「週刊朝日」と同レベルのようだ。

まず、一応評価できるのは、平塚の5人殺人事件が書かれていないこと。良識か。と思うが、案外、読売新聞完全子会社が発刊する月刊誌、「中央公論」あたりで大特集が組まれるかもしれないので油断がならない。

最初に触れるのが、「中高一貫校」の記事。中高一貫教育といえば、私立進学校と決まっていたようなものだが、公立学校にも広がってきた、という内容の記事で、この記事に出身学校の名前が登場したのだが、実は本文に事実が数行書かれているだけだった。「350円返せ!」。

実は、私立の中高一貫校には、安普請の住宅建設費くらいつぎこんだ経験はあるが、教育経済学の常として「効果は測定不能」ということになった。行った場合と行かなかった場合を、比較検討することができないからだ。

そして、高校から入学する3年コースと中高連続の6年コースを並存させた場合、多くの悩ましい問題が発生するのだが、下手な妥協による両立狙いは中途半端に終わるリスクもある。さらに、口には出さないだろうが、「優秀な生徒を育てるより優秀な生徒を集める」というのが本音だろうが、それに見合う優秀な中学教師を県立中学という妙な職業枠として確保することも大きな課題だろう。

出身学校について批評すべき雑誌の記事がなかったので、出身学校の話題を提供する。進学の話ではなくスポーツの話。

まわりくどくて恐縮だが、4月30日の東京ドーム、巨人中日戦で巨人の二岡選手が2打席連続満塁ホームラン(新)、1試合2満塁ホームラン(タイ)、10打点(セリーグタイ)。という派手な記録を作ったのだが、その記事の一部に登場した名前がある。男の名は「飯島滋弥(大映スターズ)」。

1951年10月5日、33歳の彼は、対阪急戦の1回と7回に満塁ホームランを打ち、試合最多満塁ホームラン(2)の記録を作る。さらに、7回に再び回ってきた打席で3ランを放ち、1イニング最多打点(7)、イニング最多本塁打(2)、最多塁打(7)、1試合最多打点(11)の記録を追加する。よく考えると、二岡選手の大活躍があっても、破られた記録は一つもないようだ。これがすべてたった1日数時間の仕事である。

飯島はその4年後の1955年に退団し、1967年から69年まで短いコーチ(監督代行)人生を送る。その間、東映で大杉勝男選手に「月に向かって打て!」とアドバイスし、大杉を一流選手に仕立て上げる。しかし、飯島は1970年に51歳で胃ガンで早世。現在、生きていれば88歳になるはず。そして、彼の遺作である大杉勝男も1992年47歳で肝臓ガンにより早世。こちらは生きていれば61歳である。


次の話題は、将棋界の名人戦の開催権争奪戦の話。実は、この件は、「守る毎日と攻める朝日」という構図。一見、読売は無関係のようだが、そうではない。争奪戦の結果、将棋名人戦の契約金が上がると、読売が主催している竜王戦の契約料も引き上げ交渉が必至である。したがって、どちらかと言うと攻める朝日側をうっすらと批判する記事となっている。1974年に、読売が主催していた囲碁の名人戦を朝日が強奪した手口とそっくりとし、「今度は失敗するだろう」と冷ややかだ。

「米長・中原という往年の名棋士にしては一手先も読めない」と辛口に批判し、「谷川・羽生」の人気棋士が事態解決の中心になるべきだ、と一見正論でまとめている。確かに、この二人が、「来年は、名人戦には出場しない」とストライキを張ったら、みんな困るだろうとは思う。

ところで、読売の美しい提案にもかかわらず、事態はさらに混乱の極みに嵌り、両新聞社の板ばさみになった日本将棋連盟は「毎日・朝日共催案」など言い出したようだ。超難解な長編詰将棋のような一手なのだろうか、と思う反面、一手バッタリの大悪手のようにも見えるのである。


最後の話題は、「役に立たない帰宅支援マップ」。本ブログでも以前紹介したのだが、「帰宅支援マップ」は都内で勤務中に大地震があった場合、都下、神奈川、埼玉、千葉から都心に通勤しているサラリーマン(ウーマン)が、どの道を通って自宅に帰ればいいかという趣旨の地図。本誌は、「帰宅困難!」と結論付けている。つまり幹線道路の面積と都内の昼間人口から、道路は満員の通勤電車並みの混雑になるはずと算定。その状態で20キロも歩けるわけない、と断言。特に渋谷駅周辺はサラリーマンだけではなく、買物や無目的にブラブラしている人も多く、人間で町が破裂するかの書き方である。そして、丁寧なご忠告として、帰るのではなく、震災ボランティアでもやっていればどうか、などと書いているのだが、満員電車並みの混雑の中で、どうやってボランティアができるのか想像もできない。

実は、以前も書いたのだが、東京の周囲にある大規模ニュータウンといえば、多摩・港北・千葉なのだが、多摩ニュータウンへは都心から直行する道はなく、国道246号線で二子玉川までは行かねばならないだろう。そして港北ニュータウンへもこの246号が最も近い道だ。途中、渋谷駅で道が破裂するのも十分考えられる可能性である。さらに、千葉ニュータウンにはどうやって帰ればいいのか、帰宅支援マップには、適切なルートが書かれていないのが現実である。

となれば、まずは近くのコンビニで長期戦に備えての食糧調達が最初の一手なのではないだろうか(日頃から体内に皮下脂肪として備蓄しておく方法もある)。

しかし、買物のついでにポケットに小銭が残ったとしても、コンビニで買ってはいけないものがある。

「読売ウィークリー」だ。役に立ちそうもない。  

妙な時期に中央青山ショック

2006-05-10 00:00:17 | 企業抗争
eb59f24a.jpg日経、共同など各社が相次ぎ報道をはじめた金融庁による中央青山の業務停止処分(予定)だが、「小泉政権退陣まで逃げ切れなかった」というところだろう。

カネボウ以外にも、中央青山のお世話になって、結局巨大損失を抱えたままM&Aの波に呑まれた大企業は数あるが、筆禍になるのは嫌なので書かない。

いまだに、中央青山と縁を切れない多くの会社は、6月の株主総会を機に、今後の態度表明迫られるだろうが、おそらく他の監査法人へ切り替えられる社と、どうしても手を切れない社と明暗がわかれるだろう。案外、中央青山の方からお断りする社もあるかもしれない。

一方で、公認会計士の不正行為は、数々の風土的遠因の複合結果であるのだろうから、簡単に一掃する名案があるとは思っていない。 企業の中にも税理士や会計士の資格者を抱える場合が多いが、脱税や粉飾決算に対する社会的な許容の幅がなくなると仕事の内容も変化するのかもしれない。

ただし、日本株に与える影響についていえば、今の東証を支える外国人投資家達はそもそも会計事務所を信じることの危うさは熟知しているだろうから、ショックは限定的だろう。 逆張りで儲けるためには、中央青山の契約企業群の中で、風評で株価の下がる優良企業を探して短期投資ということなのだろうが、リスクは高い。

ただし、個人としては、各社HP上のIR情報や、EDINET で、自分が株券を保有している会社の監査法人を確認すること位は必要だろう。

もちろん、中国株などやっている人には「こんなリスク怖れていられるか!」ということだ。

付け加えれば、資本主義的淘汰作用でこの問題が浮上したのではなく、「国家権力による業務停止」という形となったのが、日本のひ弱さということなのかもしれない。

連休前の大混乱;ドクターシーラボ株主総会

2006-05-09 07:30:31 | MBAの意見
d6e27e7d.jpg妙なところへ行ってしまった。場所は六本木ヒルズの中にあるアカデミーヒルズ40階。「知の創造」をテーマとして「会員制ライブラリー」や「アーク都市塾」などの会場を提供している大きな空間である。実際は、空間があるだけでは「知の創造」はできないわけであるが、つまり多目的ホール(というか会議室というか宴会場というか・・・)。

昨年の株主総会もこの場所で、短い総会のあと、ランチパーティがあったので、同様パターンだろうと、会場へ向かう。エレベーターホールには、社員風の若手ダークスーツがたむろ。そして40階のエレベーターを降りると、これが大会場である。去年とずいぶん違う。早くもパーティの料理の配分に不安が募る。そして定刻になるとその大会場が概ね満席となる。さらに隣のホールも第二会場ということになるが、こちらはスクリーンで実況中継を見るだけで、株主の発言とかはできない。

質問した人の出席番号に1,900番台の方がいたことを考えると、第一会場には2,000人ほどいたのだろう。第二会場は不明。一体、何がこの巨大株主総会の原因なのかといえば、株主数の増加だそうだ。1年前は12,000人の株主数だったものが、今年(1月末決算時)は43,000人になったそうだ。3.6倍。会場が大きいはずだ。しかし、ということは前の株主が株を売り払い、それを個人が小ロットで買い直したということになるのだろう。浮動株比率がそう高いわけではなく、時価総額から計算すると、1株とか2株の株主が大勢いることになる。会場の男女比率は男6割、女4割か。

そして今期(2006年1月期)の決算は、増収減益(売上高152億→170億。当期利益16億→13億)。やや、悪いパターンだ。全体で言えば、利益率が悪化している。この関連の質問は数多く、さらに的を得ているのだが、「その件は企業秘密」とか「見込み違い」とか「競争激化」とかだらだらと国会答弁が続く。気になるのは、今まで先行していた「メディカルコスメ」という分野に大手の化粧品メーカーが参入してきたことらしい。

実は、この会社の社長は石原智美さんという女性。実質的なオーナーは城野クリニックを経営している城野一家であり、女性社長というのが、カンパニーキャラクターになっているようにも思える。議長の彼女をいくらつついても何も出ない。

そして、決算以外の質問は、多種多岐に及ぶ。「総会会場の設定への不満」、「ナースのようなユニフォームへの批判」、「株式を持たずにストックオプションで予約権を溜め込む資生堂出身役員への疑問」、「海外事業での不手際」や「社員販売品のネットでの流出問題」。また「社員の過重労働」や「勤務年数の短さ」など。これも延々と続く。すべて減益に対する株主のいらつきだろう。

私も個人的には質問したいこともあったのだが、「昨年の総会の時に比べ、石原社長が若返ったように見えるのですが、それは自社製品を使用した効果なのでしょうか?あるいはご自身は、もっと高額な他社製品を使われているのでしょうか。あるいは手術でも・・」。と、発言すると、セクハラで現行犯逮捕されそうなので、口をつぐんでおく。

そして、おそらく予定時間を少し過ぎたあたりで、一株1,400円の配当が決定し、総会は終了。同じ40階にある別会場でパーティ開始。これがすさまじい。中国大陸でのオリンピック会場の工事現場の昼食時間のようなもので、3つのランチテーブルは狂乱カーニバルになっている。女性9割、男性1割。まあ、突入はあきらめ、桃の葉ティーを飲んで終わりにする。

それに、テーブルに並んだ料理は、すべて健康食品のように見えた。タダメシは不健康食品に限る。

d6e27e7d.jpgところが、会場内の誰も取り囲む者のいないテーブルに、株主優待の内容が展示されていてビックリ。さらに、この多数の株主数の理由が少しわかった。何しろ、1株につき、10,000円相当の自社商品(アクアコラーゲンなど)が贈られるそうである。配当が1,400円(税引前)しかないのにである。3株以上の株主は30,000円相当である。総会での質問の中に、株主優待準備金が必要ではないかとの質問があったが、意味がわかった。43,000人に10,000円を配ると、4億3000万円になる。

しかし、後で株価の推移をみると権利確定直前に220,000円まで上昇した株価は、権利確定後170,000円付近まで急降下。そして、下落したということは権利確定後、売り飛ばした人が大勢いるということを意味しているし、きっとテーブルに群がる女性達は、きょうの総会の日には、既に株主ではないのかもしれないのだ。

d6e27e7d.jpgそして、40階の会場から、昼食をあきらめ、地上の世界に下りようとしても、エレベーターホールには長蛇の列。そして3回待ちの結果、やっと乗り込んだエレベーターの中では列に割り込んだ人相の悪い二人組の男が取り囲まれ、容赦なく罵声が浴びせられたのである。

知の創造も大変である。  

二つの事件

2006-05-08 06:27:22 | 市民A

二つの事件


c4e1c8f0.jpg1.平塚事件
知りたくない事実が徐々に明らかになっていく過程に、報道は耐えられるのだろうか。何か、嫌な感じである。ともあれ、解明されないと成仏できないこどもたちもいるわけだ。

実は、報道の初期の段階から気付いていたが、「O」容疑者の出身地は青森県北津軽郡と言われる。昨年末の弘前から北上した旅行で、吹雪で立ち往生した芦野公園から先に進んだ地である。

彼女は集団就職で北海道へ渡り、奥尻島の男性と結婚。その後離婚(男性は大地震で死亡)。太宰の時分から、北津軽の人たちは、一旦五所川原まで陸路または鉄路で南下し、V字ターンで青森に向かう。国道339号は弘前と竜飛崎を結ぶ歩道も完備していない蛇行の多い8メートル道路に過ぎないが、江戸末期の大飢饉の折は、金木、五所川原、弘前を目指す飢えた農民たちの餓死街道であったそうだ。


c4e1c8f0.jpg2.表参道駅、クルマ突入
6日、午前9時45分。酒に酔った32歳男の乗用車が表参道駅でバイクと接触し、はずみで歩道に乗り上げ、何を考えたか、地下鉄B4入口に突っ込む。地下1階で停車。

地下鉄で逃げようとしたのだろうか。それなら、さらに一階下だし、切符を買わなければ入れない。クルマには危険なガソリンタンクがあり、それはボディの下側にあるということを忘れてはならない。地下鉄大火災だって考えられるわけだ。

そして、私が一番驚いたのは、この男が朝の9時45分に酒酔いだったことでもなければ、乗っていたクルマがシトローエンだったことでもない。それは彼が東京深川の富岡八幡宮の宮司だったことである。それはなぜかというと、当日の朝0時にアップした弊ブログの相撲博物館に書いた歴代横綱の話なのだ。

この富岡八幡宮な相撲で有名である。そして一応、由緒正しい歴代横綱一覧は明治時代にできたこの富岡八幡宮の横綱の碑に記載されたものを使っているからである。そして、この富岡八幡宮には、「横綱の称号は得なかったものの、実際にはもっとも相撲の強いと言われる「雷電」の手形が残されている。驚異的な大きさだ。ティラノザウルス級である。

そして、相撲史上で空前絶後のルールとして、「雷電だけは張り手禁止」と個人別ルールまでできたのである。

こんどの事件の「F」容疑者も、「彼だけは、宴会でも飲酒禁止」とか「彼だけは社用車運転禁止」とかなるのだろうが、神社の公式記録に書かれることはないのだろう。

   追記:行こうと思えば行けた北津軽郡や、書こうと思ってやめた富岡八幡宮のことは、ちょっと妙な気持ちになる。「筆禍」ということばは、事実について何か書いたことが災いの基点になることなのだが、書いたことが災いの基点になるのは「逆筆禍」ということになるのだろうか、と思いながらもさらに書き続ける。

甘くせつない、飲み物があった

2006-05-07 07:56:44 | マーケティング
a364a34e.jpgゴールデンウィーク後半もやたらに忙しく、高いガソリンをずいぶん消費してしまった。価格が上がると需要が減るのがミクロ経済学の基本法則なのにだ。もっとも私の友人の一人は、原油価格が上がると、あわててしまい、「早く、ガソリンを使わないと、オレのクルマの分がなくなってしまう」と焦っている。経済学は難しい。

話は、食べ物のことだが、忙し過ぎると、昼食などは、クルマで立ち寄ったコンビ二で、購入したファーストフーズをそのまま駐車場で食べることがある。サンドイッチとミルクティとか、オニギリ2個と緑茶とかである。

ところが、遅くなった昼食などは、200円強のサンドイッチでは足りない時がある。オニギリ2個でも足りない。といって、焼肉弁当などは面倒。結局、和洋折衷でサンドイッチ+オニギリ1個とか妙な妥協をしてしまう。

そうすると、困るのが、お茶だ。コーヒー、紅茶などでは、オニギリと合わない。かといって、ペットボトルの緑茶ではサンドイッチに合わない。と、まごまごしていると、妙なものが目に入った。

「!!ふんわり抹茶ラテ!!」

ミルクティを緑茶ベースにしたものだ。和洋折衷物。明治乳業。

このドリンク、本当に微妙なバランスの中で成立しているのだろう。茶葉からの低温抽出で渋みを押さえている。ミルク配合比率50%。零度に近い温度管理。そして、どうしたって砂糖抜きでは無理だろう。全体に、市販のミルクティより甘みは強いが、緑茶の渋みを消すためにはしかたがないだろうが、完全に渋みがなくなったら、お茶じゃない。

しかし、食事が終わり、冷静に考えてみると、「無理だろう」と思う。たぶん、来年はないだろう。

お茶とミルクティを別に飲めば、いいからだ。