赤松広秀の祟りか

2017-09-07 00:00:49 | The 城
関東から行こうとすると、結構、秘境感があり、山頂の本丸跡に到達した時には疲れ果てている感のある場所にある竹田城だが、昨年訪れた時に感じたのは、外国人観光客が多いことと、相応に観光地になってしまったことだ。

この城は時に雲海の中に沈む「天空の城」という面と、足で攻略するのが難儀な事が二つの特徴だが、天空の城の絶好の撮影スポットは、隣の山の上なのだ。ではクルマで行けばいいかというと、関東からは非常に遠く、また竹田城の頂上にはクルマでは登れない。

最近のハフィントンポストの記事で、一本松が枯れたと書かれていて、原因は観光客だと断定されてしまった。

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天空の城「竹田城」の一本松、 観光客急増で枯れる
 「天空の城」として人気を集める竹田城跡(兵庫県朝来市)のシンボル的な存在だった「一本松」と呼ばれるアカマツが枯れていたことが分かった。9月1日、ハフポスト日本版の取材に朝来市文化財課の担当者が明かした。
 担当者によると8月28日、樹木医が検査したところ枯死していることが確認されたという。
一本松は城跡の「南千畳」と呼ばれる場所にあり、城跡のシンボル的存在だった。城下町を一望できる撮影スポットだったため、周囲を歩く観光客も多く、幹周辺の土が踏み固められてしまったため、衰弱していたという。6月から周辺の見学通路を立ち入り禁止にしており、2018年1~2月の冬季閉山中に伐採する方針だ。
 担当者は「城跡内には他にも樹勢が衰えた木が多いため、枯れないように見学通路を再考して、観光と自然が両立できるようにしたい」と話している。
 神戸新聞によると、樹齢は推定100年以上、高さ約15メートル。石垣の上にそびえる姿は麓からもよく見えた。しかし、雲海などの人気で急増した観光客が周辺を踏み歩き、2011年ごろから地表の草が失われて土壌が露出。根もむき出しになって樹勢が衰えていたという。



心が痛いが、近くを観光客が歩くので根が傷んだということだそうだ。記事の画像は、枯れてしまって赤変した松の画像が無残だし、城郭の全体像がわからないので自分のアルバムの中のとっておきの一枚を貼っておく。

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ところで、松は赤くなってしまったのだが、この城を築いたのは、何の因果か赤松広秀という大名なのだ。

関ケ原の戦いでは負けた西軍に属していたのだが、猿知恵を働かせ、同じ西軍仲間が逃げ込んだ鳥取城を攻略し、東軍の味方に早変わりしたのだが、鳥取市街地に火を放ったことを家康にとがめられ、切腹させられた。せっかくの鳥取攻撃が、ただ働きになった。

鳥取城はかつて秀吉に包囲され、餓死者無数の悲惨状態に陥り陥落したのだったが、その祟りで赤松広秀の運命が尽きたのだろうが、今頃、赤松が恨みを晴らしたのだろうか。


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