暦のしずく(沢木耕太郎著)

2024-09-16 00:00:34 | 書評
朝日新聞土曜版(be)に2年近くをかけて連載された歴史小説。江戸中期の講釈師、馬場文耕の後半生をドキュメンタリー風に追う。



まず小説の構造だが、まったく異例の展開になる。冒頭で、著者が馬場文耕の人生の終わりを明らかにする。打首獄門ということになる。日本では文筆家に対する権力側の圧力として、作家を死刑にした例は、この一件だけだ、と書く。

ここで色々と考えてみると、思想家として処刑されたもの、あるいは取り調べで死んだ者は幕末や第二次大戦中には相当数いるが、文筆家ではいないということだろう。為永春水は50日の手鎖とか。

いずれにしても主人公が最後に首を斬られる運命と知って読むのは、ちょっと辛いものがある。そのなんとなくグレーな気持ちを持ちながら、最終回とその前の回までは読むことになる。

馬場文耕。元は剣術の達人、幕府の御家人。そういう道を捨て、一介の講釈師と立つが、人気があっても満足できない。江戸時代に渦巻いていた町人や農民の不満を、新作として書き始める。そこで勃発したのが美濃国、郡上で起こったいわゆる郡上一揆。農民からの年貢を増やすために、検地のやり直しをしようとしたところで騒ぎが起こる。

幕府や江戸市中での呼び方は、郡上一揆ではなく「金森騒動」。藩主の金森家の硬直的な対応と農民の江戸への度重なる直訴が広く知れ渡っていた。

実際の事件は、度重なる直訴状の握り潰しが行われていたことが判明して、将軍徳川家重が調査を命じ、後に重用される柳沢吉保らがこれを行い、金森藩の改易や幕府内の老中一名以下多数の役職者が放逐された。一方、直訴を繰り返した農民の多くも死罪となり、事件は終了する

そして、内部情報を入手していた馬場文耕は、取調や関係者の処分が決まっていないうちに大勢の聴衆を集めて語ってしまったという罪を追うことになる。

そして最後に、著者が仕掛けた罠に2年がかりでかかっていたことがわかることになっている。

読後に、「身代わりの死体と首」はどこで調達したのだろうという謎が一つ残るわけだ。