女帝(上田正昭著)

2015-05-28 00:00:58 | 歴史
jotei日本の女帝問題というと、イコール皇太子ご長女さまの問題と捉えられかねないが、本著が書かれたのは昭和46年。その時、現皇太子さまは10歳で、現皇太子妃は7歳で、現皇太子弟親王は6歳で現皇太子弟親王妃は5歳位のはずで、その後、こういう展開になろうとは想像していなかっただろう。

つまり、本書のテーマは女帝制の是非ではなく、古代日本に登場した女帝たちの存在の意味を問い直した著である。ということで、江戸時代の明正天皇のことも、ほんの些少しかふれていない。

まず、邪馬台国の卑弥呼。日本史の最初のスターである。3世紀の日本で何が起こっていたかは、わかっていないために、邪馬台国がどこにあって、どれくらいの国であったかは不明だ。この問題は日本史の学閥の踏み絵みたいになってしまって、現代史の解釈とともに、史学の発展を妨げることになっている。

ということで、卑弥呼はシャーマン的な存在なのか、実質的支配者なのか、現代日本のような部族民の象徴なのか、よくわかっていない。そしてその後混迷の時代があり、再び女王台予が担がれて国はまとまる。この台予についても手掛かりは少ない。

そして、4世紀のヒロインは神功皇后。「神」という字を持つ天皇は、かなりの実力者であった。同時に皇后の場合も同じだろう。朝鮮半島との抗争では中心的な権力を持っていたということになっている。このあたりは記紀や神話の世界による。卑弥呼のことを神功皇后が知っていたかどうかは不明だが、知らなかったのだろう。

そして、推古天皇。彼女と聖徳太子とは血縁(叔母と甥)で、それぞれ蘇我氏に近い。このあたりは政権争いの真ん中にいたわけだ。

その後、女性天皇多発時代が来る。奈良時代七代の天皇のうち四代は女帝である。

そして歴代の女帝のうち、ある意味で最も評判が悪いのが、称徳天皇。愛人道鏡を天皇にしようとしたと言われている。

本書では、なぜか彼女の肩を持つ書き方で、相当のページが費やされていて、女帝と道鏡の関係について、「愛慾関係」ではなく「恋愛関係」であったとされている。俗説では、道鏡の天然の持ちモノが気に入っていただけというのだが、それを否定し、二人の関係は真実の愛慕だったと書かれている。

少し調べると、女帝は770年に53歳で他界し、法王は左遷され北関東のある寺院の別当として2年後、72歳にして亡くなる。道鏡が女帝と出会ったのは760年、60歳である。その時、女帝43歳。なんとなく、すさまじいものを感じる。

そして、本書は、ここまでで終わる。


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