特別展「大名」国立公文書館(~4月27日)(1/2)

2006-04-23 08:00:20 | 美術館・博物館・工芸品
b7228af4.jpg東京千代田区竹橋の国立公文書館で行われている特別展「大名」に行く。

実は、この公文書館の隣にあるのが近代美術館で、現在、藤田嗣治展が行われている。そこは長蛇の列。そしてそこに行くと別館の工芸館が無料で入場できる。この公文書館はその近代美術館と工芸館の間にあり、さらに入場料が無料ということから、ついでに入る方が多いようだ。失礼ながら、ついでに入るとちょっとつまらないかもしれない。

私自身はブログを2年間書いていて、この公文書館にも数度訪れていて、ちょっと楽しみ方が深い。もちろん展示された多くの資料のうち、「ああ、これは、あの話だ。実はこういうことだったのか、なるほど・・」とかわかるのは数箇所だが、それでも十分に楽しい。

人文科学は縦割りの世界で、色々な説を読んでいて、こういう展示会のようなリアルな物体を見ると、つながりがプロよりも有機的に見えてくることもある。


まず、大名と言う言葉は江戸幕府が1万石以上所領を与えた領主に対して使う言葉だそうだ。そして理由は不明だが幕府は各藩に対して、家の歴史書を書くように督促する。そして、各藩は、主に源氏と平氏に分かれたいささか怪しい家系図を作ることになる。そして、藩史を書き、幕府に提出する。今回は、それらの藩の記録が残った図書を中心に展示している。

ところが、今回公開された藩は、主に松平とか阿部とか堀田といった譜代・親藩大名が主である。政府の資料と言えば、薩長連合を基盤とした反幕府諸藩のものかと言えば、そうではないのは、この公文書館の資料の前身が「紅葉山文庫」という江戸幕府の図書館であったからだ。外様大名はあまり、藩史作成には積極的には賛成していなかったのだろう。もちろん藤堂高虎も登場しない。

そして、各藩が自分の藩のことをまとめたものなので、成功談ばかりが記される。その中から加賀前田藩の名君、前田利常の逸話が紹介されている。

時は、五大将軍綱吉。例の生類憐みの令の時代に、前田藩江戸屋敷の井戸にキツネが落ちてしまった。必死の救助活動にかかわらず、井戸から引き上げたキツネは結局落命してしまう。そしてその件を幕府に報告したところ、驚いた沙汰が連絡される。「足軽5名に死罪」ということ。誰でもいいから足軽5名の首をもってこいということ。これに対して前田利常は、あの手この手で画策するが、将軍の許しが出ない。結局、独断で、足軽に罰をもとめない、として要求を拒絶したそうだ。


さらに逸話ではないが、徳川家の藩史である大三川志の中に、家康が二代将軍秀忠の妻に子供の育て方について諭した件が書かれている。要旨は「こどもを甘やかすと、とんでもないことになる。こどもの頃は窮屈に感じるくらいしつければいい」というようなことなのだが、実はこの秀忠の妻というのは、あの「お市の方」の娘の一人である「お江(ごう)」のことである。秀忠にはたった一人の妻しかいない(バツ1の妻は6歳年上だった)。

そしてこどもは女5人、男2人(別に前夫との間に一人)。男のうち一人が三代将軍家光。たぶん、家康はこの家光の教育のことをお江に語ったのだろうが、いかにも秀忠がお江に頭が上がらなかったかということを示している。(実際には、秀忠は、生涯1度?のお手付きをしてしまうのだが、その結果生まれたのが保科正之である。)

さらにお江の娘の一人は和子(かずこ)というのだが、後年、宮廷に入り、濁点を嫌う風習から「まさこ」と呼び方を変え、結局「まさこ」の娘は女性天皇(明正天皇)となるわけだ。そして、家光はきゅうくつなしつけを受けた反動から、男色道にはげみ、後年、女性にめざめてからは、好色道を突っ走る。教育の失敗例となる(文部科学省必見のこと)。

ついでに書き加えると、実際に家光を育てたのは、お江ではなく「おつぼね様」の語源となった春日局である。

(2/2)へつづく。  


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