「真剣師・大田学」亡くなる

2007-02-24 00:00:12 | しょうぎ
おおた葉一郎が太田道灌や大田学のことを書く因果は特にないのだが。微妙に苗字は三様である。2007年2月21日、有名な真剣師だった大田学氏が大阪市内の病院で大腸がんのため亡くなる。92歳。

この件に関して、盗作記者がいないか、各社の記事を調べたのだが、セーフ。比較的まとまった記事は、

訃報:大田学さん92歳=「ふたりっ子」の佐伯銀蔵モデル
 全国を渡り歩いて賭け将棋で生計をたて、「最後の真剣師」と呼ばれた大田学(おおた・まなぶ)さんが21日午前5時半、大腸がんのため大阪市内の病院で死去した。92歳だった。
 神奈川県横須賀市で生まれ、30歳のころから真剣師として駒を手に全国を放浪。1955年ごろから大阪・新世界で将棋を指すようになった。76年に通天閣地下1階に「通天閣囲碁将棋センター」がオープンしてからは、師範役として1局500円で指南。63歳で出場した第1回朝日アマチュア将棋名人戦で優勝した。
 客が減り通天閣囲碁将棋センターが01年に閉鎖してからは、新世界の囲碁将棋道場「三桂クラブ」で指導をした。また96~97年に放映されたNHKのドラマ「ふたりっ子」の「佐伯銀蔵」のモデルとしても有名だった。同クラブを経営する伊達利雄さん(43)は「いてるだけで昔の真剣師の雰囲気がある人。残念です」と肩を落とした。
 大田さんの通夜と葬儀は本人の希望で、近親者のみで行う。連絡先は******。【渋江千春】

毎日新聞 2007年2月21日 22時26分 (最終更新時間 2月22日 0時08分)


そして、記事のタイトルには「最後の真剣師」ということばを多くのマスコミが使用している。

この記事の中に出ている、通天閣囲碁将棋センターというのは、大阪にある通天閣の地下に広がる大空間にあった将棋クラブのことである。ずいぶん昔になってしまったが、大阪に行った時に、見聞のため覗いたことがある。将棋道場としては考えられないほど広く、また席は大部分埋まっていたように覚えている。そして、その道場の一番奥に特別席が用意され、一人の老人が対局をしていた。それが大田学である。毎日の記事では1局500円で指南となっているが、私の記憶では、もう一桁高いような気がする。しかも、教わるほうが勝てば、金は返してもらえるというようなシステムだったような・・もちろん自分で指したわけではないから真相は不明。

そして、この真剣師についてだが、wikipedia(2月22日段階)では、

真剣師:真剣師(しんけんし)とは、現金を賭けて将棋、囲碁、麻雀をする人のことである。協会で認められた公式なプロとは違い、裏の世界のプロというダーティな面がある。

[編集] 将棋の真剣師
将棋の源流であるとされるチャトランガが、もともと賭けの道具であったのと同様、将棋もその成立当初(平安時代後期ごろとされる)から賭けの対象として行われていた。

賭け将棋を生業とする「真剣師」が初めて登場したのがいつ頃かは不明であるが、第二次世界大戦後には多くの真剣師が現れた。真剣師の中には、当時のプロ棋士を実力で打ち負かすほど伝説的な人もいた。ここに掲載している人物は『修羅の棋士-実録裏将棋界』(宮崎国夫・著、幻冬舎アウトロー文庫)を元にしている。

上田久雄・大田学・加賀敬治・小池重明・花村元司・平畑善介・三崎巌

賭け将棋が法律で禁じられ、取り締まりが厳しくなった社会背景もあり、昭和50年代には真剣師はほとんどいなくなったものと推測されている。


この記事はかなり間違っている。真剣師ということばが生じたのは昭和かもしれないが、賭け将棋そのものは、江戸の高段者でもやっていたようだ。大山・升田を発掘した木見金治郎もプロになる前には賭け将棋師だった。昭和の真剣師リストには、さらに沖元二と関則可を忘れてはならないだろう。

そして賭け方だが、真剣師同士が互いに現金を積み上げてゼロサムゲームで指すことはめったになく、大抵は真剣師にスポンサーが乗るもので、要するに競馬の馬みたいになる。だから、世間にスポンサーがいなくなった時に、大物真剣師の出番がなくなったわけだ。

ところで、自然消滅したはずの御禁制の賭将棋だが、2年程前に東京都内のある道場で事件が起きた。ある奨励会員が身分を隠し、1局5,000円の賭け将棋で荒稼ぎしたと言うのだ。もちろんこっそり棋界追放になったのだが、どうもそこは、ある有名棋士の出身道場らしいのだ。


84e045f0.jpg2月10日出題作の解答。妙な実戦型を出題した後で、解答を書くのが大変だ、ということに気付いたが手遅れ。トホホ。

初型から、▲3五飛 △1四玉 ▲3四飛引不成(1図)。初手▲3五飛に同歩は、▲3五同飛不成が打歩詰回避の好手で詰む。初手の関門をくぐると、3手目に飛車不成と、本筋の方に不成りが登場。仮に成ると△2四歩で打歩詰コースにはまる。そして4手目の合駒が問題。

飛角香は品切れ。△2四歩と突くのは、▲1五歩 △2三玉 ▲3三飛成 △1二玉 ▲2二竜以下2二で精算した後、▲4四角と打って詰む。また2四に金を打つ手も、▲2四同飛 △同歩 ▲1五歩 △2三玉 ▲3三金以下同様に精算して、▲4四角で詰む。さらに△2四桂合は▲1五飛と捨て、△同玉 ▲2六角以下打歩詰回避できる。したがって4手目は△2四銀合が正解になる。

84e045f0.jpg以下、▲2四同飛 △同歩 ▲1五歩 △2三玉 ▲3三角成 △1二玉 ▲2三銀 △同香 ▲1一馬 △同玉 ▲3一飛成(2図)と進み、再度の合駒選びとなる。

歩は二歩。香は品切れ。桂と角合は▲3三角。金合は▲3三角 △1二玉 ▲2一竜 △同玉 ▲2二金。さらに△2一銀合は▲4四角 △1二玉 ▲2一竜 △同玉 ▲2二銀 △3二玉 ▲3三角成で早詰。ということで16手目は△2一飛合になる。

以下、▲4四角 △1二玉 ▲2一竜 △同玉 ▲1一飛 △3二玉 ▲1二飛成 △4三玉 ▲2三竜と奇妙に王手が続き、△4四玉 ▲4六香 △4五合 ▲3六桂まで脱出寸前に29手で捕獲。最後の方はうまくまとまらず、ベルリオーズの幻想交響曲第5楽章のように、長くなってしまった。



84e045f0.jpg最近、長いのが多いので、今週の問題は短編。「詰将棋の基本は捨駒」というのを思い出して創ってみた。解ったと思われたら最終手と手数をコメント欄に書いていただければ正誤判断。
  


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2 コメント

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たけちゃんマンを忘れてませんか? (sumitaka)
2012-04-15 10:52:43
随分前に活躍した真剣師達の名前見て懐かしさで一杯です。特に加賀と大田の将棋は新世界の道場で見ましたが迫力がありましたね★それと小池重明も忘れられませんが、私が一番強いと認めるのは竹村さんですが彼は将棋以上に競輪の方が好きだった見たい(笑)今は東京で暮らしているみたいですから一度対戦してみたらどうですか?
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Unknown (おおた葉一郎)
2012-04-16 06:26:21
sumitakaさま
通天閣の地下でしたね。一度行ったことがありました。
竹村さんですか。1000円札持って行こうかな。
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