中華街のこと

2021-06-20 00:00:10 | 美術館・博物館・工芸品
現在、中華街の近くにある小型の博物館で『中華街の160年』という特別展が開催されている。ぐずぐずしていると終わってしまうため、時期を見ていってみようと思っているが、事前に調べていると、結局、ペリーが日本にきて何年かして、日本が5つの港を開港してから外国人が横浜に居住し、その中には中国人がいたということが、ことの起こりのようだ。当時の中国は「清国」。



ということで、当初は日本人と欧米人と、少数の中国人の町だったそうで、その後関東大震災まではその流れだったそうだ。そして大震災で欧米人が神戸に避難したり、母国に帰ったりして、中国人ばかりになっていく。

そして終戦。今の中華街の一帯は巨大闇市になっていたようだ。物資は戦勝国の中華民国から大量に流入し、横浜は貧乏な日本人と金持ちの中国人が集まる街になったが、物資が潤沢になってくると、怪しすぎる町は怖くて日本人が近寄れなくなる。それこそ闇市となる。

そして朝鮮戦争で神奈川県が後方基地と化す中で、中華街は徐々に地に墜ちていき、戦争が停戦となり、米兵もいなくなる。

その後、復興計画が始まったわけだ。

よく、神戸南京町と横浜中華街の違いとして、横浜の場合は地区内に経営者や従業員が住んでいると言われていて、中区の中国人は6000人もいることになっている(ところが、中区には15000人もの外国人が住んでいるそうで、中国人以外が6割(9000人)もいるそうだ。)

実は、もっと詳しい話を知りたいので行ってみたいと思っているわけだ。とりあえずツイッター上では中華街各店舗のお土産用の紙袋を見ることができる。