東西の土偶

2021-06-06 00:00:07 | 美術館・博物館・工芸品
なかなか博物館に行けない状態が1年も続いていて、書類の整理をしていると、昨年の今頃、横浜のユーラシア文化館で開かれていた「しきしまの大和へ」の資料が出てきた。確か、ほとんど開かれないままだった展示だが、土偶などの縄文文化の展示が行われていたはず。

今さらながら、ユーラシア文化館のHPを見ると、『横浜ユーラシア文化館youtubeチャンネル』で、オンラインギャラリーツアーができるようになっていた。



テーマである縄文時代だが、東北・北海道で縄文文化が発達していて、祭具としての土偶は、亀ヶ岡遺跡で有名な遮光器土偶のような複雑な造型に至っていた。一方西国では素朴な土人形という形をとっている。顔の形には口の穴が大きく、目のような穴が顔の左右に2個あいているのは、目ではなく耳か耳飾りだろうと言われている。



この同時期の土偶の意匠の違いは、文化の程度をあらわしているのだが、ほぼこの時には九州北部で稲作が始まった時期だそうだ。これも邪馬台国論争で議論の行方が定まらない。

しかし、土偶が祭礼に使われ、さらに東北部の方が進んでいて、その影響が西日本の土偶にもみられるということは、全国を通しての統一的な宗教(信仰)が存在していたことになる。さっぱりわからない。