神奈川運上所 改め・・

2011-05-29 00:00:16 | 歴史
最近、所用で足を運んだ場所の近くに発見。



神奈川運上所は、日本が江戸時代末期に五カ国と通商条約を結び、開港した3ヶ所の都市に設置された貿易の取り締まり及び関税の徴収のための役所である。3都市とは、箱館、神奈川、長崎だが、なぜか長崎は当初、湊会所という単語が用いられていたので、運上所としては、箱館と神奈川が先ということになる。その後、戊辰戦争が終わると、箱館という地名は縁起担ぎで函館に代わる。運上所はその後「税関」と名前が代り、「神奈川運上所」は「横浜税関」となる。

歴史に少し詳しい人ならご存知だろうが、「神奈川」ということばは、本来は横浜より東京寄りの「現在の東神奈川駅周辺」を指すのだが、東海道の宿場町に外国人が大勢集まることの危険を感じた政府が、「横浜」も「神奈川の一部」という無理なレトリックを構築。その後、ごちゃごちゃと混用していたわけだ。

明治になって、その必要もなくなったので、神奈川運上所=横浜税関となった。



当時の運上所の場所は、今は碑が立っているだけで、県庁の旧館の敷地になっている。県庁の最近の主人は、元テレビ局のキャスター。出身大学のゼミOB会関係の情報がなぜか送られなくなっているようだとの話も聞く。


そういう由緒正しい横浜税関なので、開所当時の税関長には、大物が多い。

たとえば、上野景範(1845~1888)。薩摩藩出身。幕末から明治初期にかけて特に対英、対米交渉で大活躍する。ハワイ移民問題とか小笠原帰属問題など、重要問題で外交交渉の成果を上げる。なぜ、半年間横浜税関長を務めたのかその方が謎だ。政権内のパワーバランスで、一時冷や飯を食ったのだろうか。

たとえば、中島信行(1846~1899)。土佐藩海援隊出身。1年間だけ横浜税関長に就いている。その後、神奈川県令を経て、中央政界に入り、初代衆議院議長となる。こちらもなぜ税関長になったのか謎だ。

星亨。中島信行の次の衆議院議長だったと思うが、もっと若い時に半年間税関長だった。それも中島の次の代だった。後に、暗殺される。

最近は、この税関の地位が高くなったせいかもしれないが、ここの税関長を公務員としての最後の職場とし、その後、民間の貿易業務が円滑に行われるような努力をされている人が多いというような話を、聞いたことがあるような覚えもあるが、よく覚えていない。