東海道中一人旅

2008-03-18 00:00:41 | 地図
ミシュラン一ツ星評価に不満げなフレンチレストラン「シェ・松尾」の本店ではなく、天王洲アイルにある「シェ松尾天王洲倶楽部」で豪華昼食をいただく機会があった。まあ、今や持つべきものは「資源開発会社の友人」だろうか。最近、彼と食事をすると、いつもメニューの右下を注文するわけだ。味の方は、いくら高くてもランチメニューの限界もあるので・・・。

db92f7e7.jpgそれで、お昼から着色ドリンクをたくさん飲んでしまったので、酔い覚ましにモノレールに乗らずに、少しだけ歩くことにした。しばらく歩くと春の陽射しは結構暑く、計算通りカロリーを消費していく(散歩は10分間で23kcal消費。ワイングラス3杯で220kcalの摂取だから96分歩けばいい)。すると、突然、「旧東海道品川宿」という表示が見えてくる。そう、江戸時代のスーパーハイウェイである東海道の最初(最後)の宿場である品川宿が近くにあるわけだ。

記憶に頼ると、品川宿は、今のJR品川駅ではなく、京浜急行北品川駅のあたりと思い出す。そして、品川遊郭は、吉原と並ぶ二大遊郭として知られ、幕府公認の吉原と異なり、無認可の私娼街のため、何度も取り潰しの処分を受けながら反骨精神で営業していた、というようなことを思い出す。まあ、記憶に頼った知識なので、不正確かもしれない。

そこで、歩く向きを変え、東海道を品川に向って歩くことにする。逆に川崎方向に歩くと、平和島のあたりに、八百屋お七が火あぶりになったり、革命未遂事件の丸橋忠弥が磔になった刑場がある。江戸に入る者に、「悪いことすると、こうなる」というデモンストレーションだったわけだ。つまり、西から江戸方面に向うと、まずさらし首を見てから品川遊郭に行って一遊びして、翌日は江戸見物ということになる。

db92f7e7.jpg実に、旧東海道を歩いて驚くことは、街並みがきちんと揃っていること。幅8メートル程度の普通の生活道路でありながら、航空写真でみても道筋はきっちり判別できる。江戸の住人の末裔がいるのかどうかはわからないが、確かに数件の木造旧家が商店を営業している。「丸屋」という履物屋の店頭には草履(ぞうり)がぶらさげられていて、おそらくは、ここで履きなれた草鞋(わらじ)を脱ぎ捨て、あたらしい草履にかえたのだろうか。また、「東海道整骨院」という笑える名前の医者があるが、長旅で曲がった腰や腫れあがったふくらはぎを按摩でもしていたのだろうか。

そして、横目で探していた遊郭の名残は、通りを歩く限り、どこにも見出せなかったのである。吉原なんぞは当時と同じ位の隆盛と聞くが、やはり元々の政府公認と非公認の差が今に残ったのだろうか。(今も警察公認とか非公認とか色々あるらしいが詳しくないので省略)

もう一つ気付いたのは、結構、ガイドブックとカメラを持って、この道筋を歩いている人が多いこと。東京に歴史ファンは多い。


db92f7e7.jpg通りを歩き終わると、京浜急行の踏切がある。恥を忍んで手持ちのカメラで東海道品川宿の入口を写してみる。さらに八ツ山橋の大跨線橋を渡ると国道15号線(第一京浜国道)。その先がJR品川駅である。江戸時代の旅人は貧富の差なくこの道を通ったわけだが、実際のところ景色が変わり過ぎて、あまり感動はなかった。極めて短い東海道の旅は、以上で終了。わずかに69kcalが消費される。

思えば江戸時代は、一日二食制。歩きくたびれたお昼過ぎに、栄養補給のために茶店で草団子を食すのが一般的。きょうの私の旅も手順と目的が異なるだけで、似たようなものだっただろうか。

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