日本史 有名人の晩年

2008-03-06 00:00:46 | 市民A
e75f6c34.jpg歴史に名前を残した人たちの人生には、様々なパターンがある。多くは才能と努力と運をあわせ持っている。運は幸運であったり悪運であったり。そして、それなりの晩年である。晩年ということばは、活躍した後の余生という語感があるものの、そういう幸せな老いを過ごせた者は数少ない。そういう人それぞれの晩年についてまとめられたのが、新人物往来社編による「日本史 有名人の晩年」である。

時代は、江戸・明治・大正・昭和。登場する人物は94人。

ところで、最近、「努力すれば必ず成功するのか?論議」が山田太一氏によって提起されているようだが、歴史上の人物で考えれば、輝いている人たちは、素質よりも努力が勝っているように思える。幕末をみても幕府方の小笠原長行、山岡鉄舟、勝海舟など、薩長側の西郷、大久保、伊藤、井上。

そして、この全94人の中で、個人的には「最低だな」と思ったのが本の表紙を飾る徳川慶喜。元々、鳥羽伏見の戦いで、部下を見捨てて、さっさと軍艦で江戸に逃げ帰った上、静岡で謹慎生活。主に謹慎中にこども21人をなす。あー、嫌だ。94人の中で、この人物だけが、家柄だけで歴史に残った。

さらに、多くの有名人は、生涯働き続けて、ボロボロになって消えていくことがわかるのだが、夭折した二人、「滝廉太郎と樋口一葉」。来るべき自分の死を自覚しながら、それぞれ24年と25年の間に必死に書き続けている。

逆に、南極探検で有名な白瀬矗。50にして、全財産を処分し、さらに借金の山を作って南極に突撃。高名を得た代償は以後30年にわたる借金返済の人生。昭和21年86歳で栄養失調で亡くなる。


まあ、そういう壮絶な人生録を読んでいると、努力か才能か運かなどと考えること自体が愚かに思えてくる。


江戸時代の文化人たちも根性がある。北斎、広重、芭蕉、一茶、伊能忠敬、上田秋成、大田南畝・・そろって寿命の限り仕事を続けている。年金生活なんか考えもしない。53歳で亡くなる当日に血を吐きながら日本政記を書き上げた頼山陽。

後人は頑張らなきゃね。

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