小川典子のピアノをミューザ川崎で

2006-07-30 00:00:23 | 音楽(クラシック音楽他)
dce61f9f.jpg週末28日(金)の宴会が急遽中止に。で、しばらく行ってなかったコンサートを探すと、川崎でサマーフェスタをやっているではないか。実は、2年前に柿落とし(カキ落としではない。こけら落としと読む)した川崎駅前のミューザに行ってなかった。小川典子さんのピアノリサイタルがなんと、2000円ではないか・・

で、8時開演に合わせ、当日券を入手しようと考える。全席自由席というのは、間違いなく当日券が余っているはず。1時間ほど前に行き、まず、チケットと現金の交換をしてくれる叔父さんを探してみるが、いない(というか見えない。犯罪行為だからだ)。私はキチンとした人間なので、正規チケット売場でチケットを買うが、時間が余った。

実は、このビルにはホールの他、僅かな数の店舗が入居しているのだが、なぜかマッサージが3店もある。30分コースで一揉みしてもらったが、そっちの出費の方が多い。さらに、併設の展示室で、「東京交響楽団60年のあゆみ」という写真・資料展が開かれていて、ちょっと楽しむ。過去に来日した多くのアーティストが東京フィルのために色紙に一筆したためたものが、並べられていて、字が下手な指揮者も多いことがわかる。ほとんどは読めないことば(独・仏・伊・露・・)なのだが、いくつかの英語で書かれた色紙(マゼールもそう)を読むと、たいしたことは書かれていない。(3週間の間、どうもどうも・・・また会うときはよろしくね。というような調子だ)よく観察すると、1960年代の資料が極めて少ないのだが、何か混乱と困窮の事件があったのだろうか。まあいいや。

そして定刻8時に小川さんは登場する。本当のことを書くと、あまり小川さんのことを知っていたわけではない。ポリーニのようにテクニックに走る口ではないかと思っていた。私の好みからいうと、アシュケナージとか内田光子とかアルゲリッチのように自分流で「細かいことなどどうでもいいから、リラックスして聞いていなさい」というような方が好きだったのだが、色々聴くのもいい。

最初は、指慣らしでモーツアルトの「キラキラ星」なのだが、たぶんモーツアルトはこういうように弾いたのだろうとは思うが、モーツアルト過ぎるような気がする。そして二曲目と三曲目は滝廉太郎。”日本のクラシックの父”の「メヌエット」と「 憾(うらみ)」。メヌエットは1900年の作。日本で国産ピアノができたのも1900年。1902年に彼はドイツに渡るが、志半ばで結核に感染。日本に帰国するが病状回復せず。自分の運命を嘆いたのが、この、憾みという絶筆である。24歳の生涯を閉じる。この二曲も、きれいに滝廉太郎の想いが表現される。

つまり、小川典子は、「作曲家の感情や計算を、そのまま表現して観客の前に提示する」というタイプのピアニストなのである。そして武満徹の「雨の樹」の後、メーンディッシュのムソルグスキー組曲「展覧会の絵」になる。オーケストラ構成で演奏することが多い展覧会の絵を、ピアノ1台でやっつけるわけだ。こうなると、小ホールではなく、こういうコンサートホールは遠慮がいらない。オーバル型の珍しい形のホールにピアノが鳴り響く。

そして、リストの「ラ・カンパネラ」。よく腕自慢がアンコールに使う難解曲。右手で高音の速弾型腕自慢をしながら左手で主旋律を弾く。リストは聴きやすい。おまけのアンコールはドビュッシーの「荒れた寺に月が沈む」。叙実的な曲が好きなのだろうか。

彼女がノクターン(ショパン)を弾いたら、すばらしいだろうなと思いながら会場を出ると、なんと素早く出口の脇で本人がサイン入りのCD即売会を始めていた。ギャラが安かったのだろう。

そして、サマーミューザのスケジュール表を見ると、8月8日になんと「炎のコバケン」と日本フィルが幻想交響曲を用意している(S3000円)。さらに12日には矢崎彦太郎が東京シティ・フィルでモーツアルトのジュピター(S3000円)。逆の選曲の方がいいかもしれないが、ともかくチケット探しを始めてみよう。

ところで、24歳でなくなった滝廉太郎の絶筆は「憾み」。35歳で亡くなったモーツアルトの絶筆は「レクイエム」ということになるが、シベリウスが46歳で書いた「交響曲第4番」も、地獄の入口でのた打ち回る人間が主題のようなすさまじい作品である。ところが、彼が咽頭ガンと思い込んだのは錯覚で、ちょうどその2倍の92歳まで長寿を誇ってしまったわけだ。滝廉太郎より14年も前に生まれ、54年も後に他界した。フィンランド人は昔から長生きだ。