カワサキワールド(神戸海洋博物館)&南京町

2006-07-20 00:00:56 | 美術館・博物館・工芸品
3990fe28.jpg神戸シリーズ最終回は、メリケンパークにある川崎ワールド(神戸海洋博物館)と南京町。

カワサキワールドというのは、元々川崎重工の造船所が神戸にあったことからなのだが、この川崎重工というのも様々なものを作っている。大きくいものが得意だ。たとえばヘリコプター、オートバイ、新幹線。風力発電や地雷探知システム。そして軽飛行機や鉄道車両。新幹線もある。新幹線の旧型の車両の先端部分が展示されてるので運転席に座ったら、ずいぶん狭い。速度計は260キロまで表示できるようになっているが、古い車体は最高速度230キロぐらいまでだったのではないだろうか。中には、260キロまで出してみようかと思う運転士はいなかったのだろうか。

そして、動かないものも作る。明石海峡大橋。そして先日書いた永代橋がそうだった。永代橋は当時の先端技術の極みだったそうだ。

実は、神戸ではまったく気付かなかったのだが、後で美術品の本を読んでいたら、川崎財閥のことに関連した記載があった。初代社長である松方幸次郎(薩摩出身の松方正義首相の三男)が私財を投じてフランスで美術品を収集した、大量の「松方コレクション」のことだ。

私財といっても社長なのだから、自分の給料を高くすればいいだけ。要するに会社のカネのようなもの。それほど川崎重工がもうかっていたかというと、造船業は大もうけだったのだ。日清・日露戦争と日本は軍艦を大量に必要としていた。さらに第一次大戦の頃は海外からの軍需が増大。潜水艦など造っていたわけだ。発注してから進水するまでに5倍も値上がりするほどのブームが続く。要するに、多くの人が死んだり捕虜になったりしていた裏側で大儲けし、その利益が美術品に交換されていた。絵画の多くは日本に運ばれていたのだが、一部はフランス国内の倉庫に保管していたそうだ。

ところが、景気が悪化し、松方は会社を追われる。コレクションは担保で押えられてしまう。その後、第二次大戦がはじまり、すべてがめちゃめちゃになる。フランスの倉庫はフランス政府に押収される。一方、ドイツはゲーリックが仏露から美術品を略奪し、一部を換金し私腹を肥やす(いかなる政治形態でも人間の不正行為はに同一行動パターンが見られる)。

第二次大戦終結後の戦後処理のテーマの一つが美術品の帰属問題であり、ドイツが集めた美術品の大部分はロシアやフランスに返還される。しかし、フランスにあった松方コレクションの一部は、とうとう返してもらえないまま決着をつけられてしまったわけだ。領土問題と同じだ。さらに、日本に残っていた僅かな松方コレクションは国に寄贈され、上野の国立西洋美術館の母体となる。

西洋美術館はル・コルビジェの設計で、あまり好きなデザインではない。まあ、どこの国でも自国の建築家に設計を頼むのは、争い事の元になるのか、逆にオランダのゴッホ美術館は黒川紀章のデザインによる。そして、その西洋美術館の前にはロダンの「考える人」が座り続けるが、この世界に20体あるとされる「考える人」のうち、”もう一丁”を15億円で買った斉藤某なる某製紙会社社長は、松方幸次郎ほどの目利きができず、「絵画は高ければ高いほど上昇率が大きい(本当はボラティリティが大きいだけ)」と思い込んで会社が赤字になっても、ゴッホゴッホと買い続けて、結局ほとんど失うことになった。


3990fe28.jpg話を上野から再び神戸の町に戻してみる。南京町。日本三大チャイナタウンの一つといっても、長崎は小さいので、神戸対横浜になるのだが、神戸の南京町はずいぶん狭い。おおざっぱにいうと、まっ直ぐな通り一本に若干の小骨がついている程度である。横浜中華街は線ではなく面で拡がっているので広く、中華料理店も多い。華僑の数は横浜より神戸の方が多いらしいのだが、神戸は職住分離しているためだ。

神戸と横浜。中華街で感じた差は、人口密度。神戸は店が密集していて、さらに道いっぱい人があふれる。横浜は普通の中華料理店が立ち並ぶが、神戸では約半数はテイクアウトの店のようだ。そして、狭い路上で立ち止まって食べる。途中の広場のベンチで食べる。どうみてもアジアだ。元町も三宮もそうだが、神戸は、「アジア共通、夜の騒然」ということだ。

そして一日の終わりは、例の三種類の電車でそれぞれの家に帰るわけだ。