芦屋霊園とゴッホの関係

2006-07-03 00:00:34 | 市民A
59638b13.jpg先日、ユーハイム一家の墓標を探しに芦屋霊園に行ったのだが、その他の話題。まずは、ゴッホの「ひまわり」から。

ゴッホは12枚の「ひまわり」を残したといわれる(「13枚目が存在する」というのが藤原伊織「ひまわりの祝祭」のテーマだが、それはあくまでも小説)。現在の所在地は以下。(5枚目のひまわりのことがよくわからないこともあり、藤原伊織とは違う意味で別のひまわりがあるのではないか?と考えている人間も一人いる)

 1.ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)
 2.メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
 3.ベルン美術館
 4.クレラー・ミュラー美術館(オッテルロー)
 5.?
 6.個人蔵
 7.焼失
 8.ノイエ・ビナコテーク美術館(ミュンヘン)
 9.ナショナルギャラリー(ロンドン)
 10.損保ジャパン美術館(東京)
 11.フィラデルフィア美術館
 12.ファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)

12点は、1887年から1889年にわたって描かれたのであるが、ゴッホは現物を見なければ絵を描けないという特殊な能力(というかイメージを頭に残せないという欠陥というか)を抱えていた。そして、ひまわりの切り花は日持ちが短い。12枚全部が本物のひまわりを見て描いたのではなく、何枚かは直接ひまわりを見て描いたのだが、何枚かは自分で描いたひまわりの絵画をみながら描き直している。どれがオリジナルでどれがコピー描きなのかは知っているのだが、書かないことにする。本業で営業停止になったりして可哀想な会社の美術館にあるからだ。

そして、このリストの7枚目のひまわりは、背景色がロイヤルブルーという某国のサッカーのユニフォームのように深い闇の色である。6枚目のひまわりが、現在「個人蔵」となっているのと同様に、7枚目のひまわりも個人蔵だった。日本国芦屋市打出在住の貿易商である山本顧彌太が所有していたのだが、終戦まであと9日という昭和20年8月6日の阪神大空襲で焼失してしまった。山本氏自身は難を逃れ、戦後、自伝の中で、「居間の壁に埋め込んでいたので持ち出せなかった。銀行の地下金庫に預けてもらうように再三依頼していたが、断られていた」という意味のことを書く。もちろん真偽不明だ。

芦屋に行ったら、焼失現場を確認しようかとも思っていたのだが、その前に霊園に寄った時に、「大空襲の慰霊碑」と「戦災犠牲者の墓地」を見ると、ひまわりの現場なんかどうでもいい、という気持ちになっってしまった。

59638b13.jpg慰霊碑は霊園に入り、右側に数分進むと一角を仕切られたスペースにある。高さ2メートル横4メートル程の石碑に犠牲者の氏名が刻まれている。よく見ると、犠牲者の名前は”あいうえお順”に並んでいるのだが、同姓が何人も連なっていて、一家で犠牲になられた方が多いことが偲ばれる。そして女性の比率が多いというのは、終戦直前には男性の多くは「どこか遠くにいた」ということだろう。3月10日の東京大空襲以来、本土空襲は波状攻撃を受けていて、6月頃からは、ほぼ連日、日本の大都市のどこかが焼夷弾を浴びていた。敗戦の時期を先延ばしして犠牲者を増やした結果となる。

8月6日、芦屋での犠牲者は91人ということだ。その他3回の空襲を合わせ、139人が犠牲となったそうだ。しかし、石碑に刻まれたのは、出資した遺族会の方に限定されていて、数えれば、95人である。そして、遺族会は戦後60年の昨年、解散している。

芦屋市が大空襲の記録をまとめた文書の中に、慰霊碑左から2列目、上から9番目から12番目までに刻まれている金児光子さん、美恵さん、哲也君、美抄子さんの4人についての記載<戦争が人間を変えた>があった。


ところで、慰霊碑の右側にある縦型の石碑には、「あの苦しかった、又悲しかった戦争体験は、決して風化させてはなりません」と刻まれているのだが、この言葉には違和感を感じる人もいるのではないだろうか。抽象的過ぎるし、主語や目的語があいまいだ。本来の意味は、「無理な戦争などを始めて、負け始めると、敗北宣言をする時期を逸しがちで苦しい生活になるので、その苦しい生活を忘れないことによって、負け戦に突入しないようにしよう」ということなのだろうか。侵略戦争そのものがいけない、というのではなく自分たちが苦しむから戦争はダメといっているように聞こえてしまう。まあ、そう考えがちなのだろうが。

そして、現代の芦屋は大富豪の都市に変貌している。その話題は次回。

追記:ゴッホのひまわりについて、もっと調べてみたいこともあるので、中期的課題ということに・・
要点は、
1.ゴッホは12枚ひまわりの絵を描こうと思っていた。
2.ひまわりがテーマの一つであるような絵は何枚もある。
3.確認されている12枚のひまわり単独絵画は5枚がパリ、7枚がアルルで書かれた。
4.ただし、5枚目はちょっと感じが違うので、ゴッホのいう12枚の内数なのだろうか?
5.もし、5枚目が違うならば、もう一枚書いたのではないだろうか。
6.6枚目のひまわりは、個人蔵とされるが、米国という説と欧州という説がある。
7.7枚目の焼失されたとされるひまわりは、本当に焼けたのだろうか?

それと、「12」という数字には悪魔性がある。日本に現存する天守閣は12。結局、全部見に行った・・