ジャイさんのブログで有鉛ガソリンの事がでてきて、牛込柳町を思い出しました。
調べてみると、1970年の5月にその牛込柳町交差点付近で、鉛公害が表面化したのです。そして同じ年の7月にはやはり日本で初めて光化学スモッグが発生しました。私は当時、自動車整備の専門学校に行っていたときなので、かなりショッキングな出来事だったのです。
時を同じくして、アメリカではマスキー法が可決したのですが、自動車メーカーなどの反対で実施がずるずる遅れました。しかし日本ではそのまま昭和53年規制として実施されました。当時の技術では非常に高いハードルで、規制に適合したクルマは笑っちゃうほど調子が悪く、箱根を上れないなとか、触媒が過熱して火事になるとか、悪名高きホンダCVCCとか、性能のレベルを何十年も引き戻してしまったのです。
世界中で環境問題が叫ばれている今では、そのときのメーカーの努力が実を結んで、低燃費とか信頼性の高さで日本車のクオリテイが認められているのでしょうね。
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したがって48年排ガス規制以前の旧車はハイオク仕様車を中心にバルブシートの無鉛対策が出来ていないだけに有鉛ガソリンをそのまま使用するなり、或いは低速では無鉛、高速など高負荷時には有鉛を指定する「高速有鉛」仕様というものが存在しました。
このような旧車の構造に対応しきれない石油メーカーはハイオクガソリン(当時は98オクタン)の無鉛化が遅れ、1975年1月以来レギュラー(90~91オクタン)は無鉛化するもハイオクは有鉛のまま残されました。この有鉛ハイオク、4エチル鉛による強力な爆発特性とバルブの昇降のスムーズさを逆手に取り、排ガス規制施行後も触媒付き車に給油して触媒を破損させてエグゾーストマフラーの背圧が下がるのを利用してパワーアップの手段とする者が後を絶たず、51年規制が施行されて間もない1976-77年の時点では全燃料の15%を有鉛ハイオクが占めていたともいわれ、スタンドによっては無鉛レギュラーの販売量を有鉛ハイオクが上回る事態さえありました。
こうした状況に終止符が打たれたのは1983年、有鉛ハイオクの販売量の低下に頭を悩まされた石油会社および全国のスタンドが有鉛に代わる新しい無鉛ハイオクをリリースしたことがきっかけとなりました。そして無鉛ハイオクに燃焼効率を上げるアルキレート化合物や各種内部洗浄剤が含有されて品種改良が進んだ1987年、有鉛ハイオクガソリンは歴史に幕を下ろしました。