萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

WBC第2ラウンド初戦、キューバに完勝!

2009年03月17日 | 野球

<松坂好投!>

昨日はWBCキューバ戦を早朝5時前に起きて最初からTV観戦。断酒の日々は早寝・早起きの日々でもあり、5時前に起きるのになんの苦労もない。むしろ、普段通りの起床だ。4時45分からテレビをつけたのだがこれは失敗だった。TBSが繰り返し同じCMを流しやがる。見ていて腹が立つほどだった。

早めに観ていてよかったのは、日本とキューバの国歌が聴けたことだ。おごそかで悲壮感さえ漂う「君が代」と比べると、キューバのそれはなんと陽気で軽快なことか。マーチのようであった。小生は大事な試合に臨む大和魂を鼓舞する歌として「君が代」は好きだ。日本人によく似合ってると思っている。それと同じようにキューバの人たちはあの国歌こそ、キューバを表しているものだと思っているのだろう。


さて、WBCキューバ戦。韓国戦より、安心して見ていられた。確かにキューバの選手たち個々の身体能力は素晴らしいものがある。しかしながら、組織野球としては、甲子園野球を徹底的に経験している日本人達の敵ではない、という気がした。バッドスイングはもの凄いのだが、バッドコントロールはイマイチ。また、次打者やチームバッティングを心がけるというよりも、自分の打席で自分がどう力を出せるかで終始している。

この点、チームに対する個人のプレッシャーは日本にくらべれば少ないだろう。ただ、あのバッティングではMLBでもハイクラスにいる松坂を打ち崩すのは難しい。ましてや、昨日のようにデキがいい時にはなおさらである。

松坂はあきらかに日本ラウンドの時よりも良かった。力んでおらず、リラックスして投げていた。その分、ボールの切れもコントロールもよかった。6イニング投げて、「5安打散発、無失点、8奪三振、無四球」の好投が何よりの証拠だ。特に、松坂の“無四球”というのはめずらしい。キューバ打線が完全に抑えこまれたのも当然である。

打撃陣も序盤こそ走塁ミスなどでチャンスを潰したが、なんとか、しぶとく加点していったのがよかった。豪腕チャップマンは自滅の感があるが、早めにマウンドから引きずり降ろしたのが功を奏した。

「投手陣が抑え、打撃陣がしぶとく加点」

当たり前のことではあるが、これが日本の勝ちパターンであり、トーナメント戦の勝ち方でもある。

但し、昨日の試合でも一歩間違えれば、大苦戦した可能性はある。相手のミスにうまくつけ込めたからいいが、裏目に出れば日本ラウンドの決勝戦のように1点がとれずに負けることもある。点差ほど実力差は無いということだ。優勝までは気の抜けない試合が続くだろう。

明日は三度目の韓国戦である。日本時間18日正午、試合開始だ。一回の表裏の攻防戦は昼休みに観ることができるかもしれないが、あとは観れないだろう。午後一から会議なので、得意のネット裏観戦(自分のデスクでインターネットで試合経過をチェックすること)もできない。

もっとも、観ている方も重苦しくなる韓国戦である。結果だけを知る方が心臓にはいいかもしれない。
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大宮アルディージャ、今期初勝利!

2009年03月16日 | 大宮アルディージャ&サッカー

<今年の大宮は新戦力が活躍している。“33”新井もそのひとりだ。>

昨日の広島戦。大宮の自宅でBS-iでTV観戦。広島のホームということもあって、終始サンフレッチェに攻め込まれた展開であったが、少ないチャンスを活かし、3-2で逆転勝ち。今期の初勝利で勝点3をあげ、まだ二節であるが4位に浮上。胸のすく勝ち方でした。


今年の大宮は新戦力がいい。2得点をあげた元クロアチア代表マトはもとより、FWの新戦力藤田、石原、市川、“大宮”はえぬきの18歳新井などの動きが非常にいい。同点のカウンターも藤田からのパスを市川が落ち着いて流しこんだゴールであった。あの“落着き”は昨年までなかったような気がする。彼等はJ1の経験が無いというが、のびのびいきいきとプレイしている。“J1経験者”というのは、なんなんだろうと思ってしまう。

しかしながら、昨年J2で圧倒的な強さで勝ち上がってきた広島が有利に試合を運んでいたにも関わらず、結果的には逆転負けしたのは、J2とJ1の違いであったろう。広島の詰めの甘さが大宮の逆転に繋がったようだ。

大宮もこれで満足することなく(当然していないと思うが)、次節から、昨年までは出来なかった連勝街道を突っ走って欲しい。
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インドカレーの話(その2)「天竺屋」

2009年03月15日 | 酒食・グルメ?

<写真はイメージ。天竺屋のものではありません。>

そもそも「天竺屋」という店を知ったのは「ビッグコミック・オリジナル」だったと思うが、『非常に美味しい店であるが、店主の意向で地図は掲載できない。最寄の駅は西武池袋線の「東長崎」。あとは勝手に探すべし。』というような記事が載っていて、興味を持った。そして、友人を誘って探し当てたのは、1996年のやはりこの時期、3月8日だった。

以下は当時の日記から。

*******************************

Fri 8, Mar

昨晩、かねてより行きたいと思っていたインドカレー店の「天竺屋」へ行って来た。テーブルは5つ、カウンターが4?程度の小さい店だ。マスターは髯(髭?鬚?何でこんなに漢字があるの?生えかたで違うのか?)を蓄えた大柄な人。猫好きらしく、その店を発見した時に玄関で黒猫に餌をくれていた。また、店内にも何枚か猫の写真が貼ってあった。

注文したのは「マハラジャグリル」1450円也。ビールとすっきりとして呑みやすい赤ワインをちびちびやりながら待つこと20分。キタキタ。大きめの皿にカレー風味のバターライス。その上に「本日のCurry(この日はVegetable Curry)」(本格的なカレーを「カレー」と書くと安っぽくなる。社員食堂のカレーと同じレベルに見えてしまうので、「Curry」と記すことにする。)がかけてある。その横にシシカバブ一本、シシカバブとバターライスに橋を架けるようにタンドリーチキン(紅くない)。Curryの横にミニサラダ。

そしてなんと、さらにその上に、全体の半分を覆い隠すようにプーリー(チャパティを油で揚げて膨らませたもの)が乗せてある。ワインのおかわりをして、食べはじめる。まずは、シシカバブだ。香辛料が効いたあっさり味。噛み締めていくと滋味が出てくる。いい味である。続いて地鶏のタンドリーを一口。臭くなく、身がしまっているが柔らかく、食べた瞬間から豊穣でいて、どこかすっきりとした味が口内に広がる。とてつもなく旨い。絶品である。

いままで食べたタンドリーチキンの中ではもちろん一番。Curryもちょっと日本風(ライスはインディカ米ではなかった)だが、美味しかった。プーリーは味は良いのだが、もう少しカラっと揚げてあるとなおよかった。

だがしかし、これだけ、盛沢山で1450円という値段は驚異である。よって、本日の店は★★★★★である。(^o^)

*******************************

と、絶賛している。マスターは髭を生やした大柄な人で、なんでもインドで料理の修業をしてきて、日本で開業したという。“日本人の舌に合うインド料理”を目指し、それが、ほぼ完璧に仕上がっていた。

すっかり、この店が気に入った小生は何度か足を運んだ。タイ在住のドラゴン氏とも行ったことがある。氏も口を極めて褒めていた。マスターもまだ若いし、Curryを楽しめる頼もしい店を探し当てたもんだと己の幸運を喜んでいた。

ところがある日のこと。「東長崎に旨いカレーを食わすところがあるぜ。」と友人を誘って行ったみたが、「都合により本日閉店」の張紙がドアに貼ってある。「ついてないなぁ」とその日はあきらめた。その後も幾たびか「今日は開いているのではないか」と期待して足を運ぶのだが、いつも“閉店”であった。

やがて、ドラゴン氏から一報。「ネット情報によると天竺屋のマスターは交通事故で亡くなったらしい。」という。なんと。そんな不幸があったのか。あんなに一所懸命で腕のいいマスターが・・・。まだ、食べていないメニューが沢山あったのに・・・。

以後、2009年の今に至るまで、インド料理は結構食べ歩いているが、天竺屋ほどの旨さと感動を与えてくれる店は、まだ無い。
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インドカレーの話(その1)

2009年03月14日 | 酒食・グルメ?

<仙台の会社から一番近いインド料理店のランチ>

毎年、この季節になるとインド料理店のカレーが食べたくなる。28年前、二ヶ月半インド・ネパールを自転車旅行したのが、この時期だったためかもしれない。で、昨日の昼休み。仙台の事業所から一番近いインド料理店をネットで探し、一座のモンを3人連れて行ってみた。写真のランチに飲み物がついて、1050円。まあまあ、美味しかった。今度は夜来てみようと思った。

インドに行ってる時は毎日三食カレーばかりを食べていたので嫌になったものであるが、日本に帰ってきてしばらくすると、日本式カレーに飽き足らず、本格的インドカレーを求めるようになった。

1981年。会社に入ったばかりの頃は東京は九段下にあった「アジャンタ」によく通った。(アジャンタは今は四谷の日テレのそばに引っ越した。)その他にも、都内を中心に何店かに通った。タイなどに行っても何食かはインド料理店を探して入った。

日本のインド料理店でのパンはナンが主流であるが、小生が旅した北インド地区ではチャパティばかりであった影響か、今でもふっくらとしたナンよりも、ひらべったくて固めのチャパティの方が小生は好きである。チャパティを油で揚げて膨らませたプーリーがあれば、なおいい。カレーは辛いのを選ぶなら「チキンカリー」、懐かしいのはインドでよく食べた(田舎の茶店にはこれしかなかった)ジャガイモとグリンピースのベジタブルカリーだ。これ等のカリースープに熱々のプーリーを千切って浸けて食べるのが、ことのほか旨い。

「チキンカリー」「ベジタブルカリー」「プーリー」の基本(小生が勝手に決めている基本)がしっかりとしている店がいい店だと思っている。小生が満足したのは九段下時代のアジャンタ。四谷に移ってからは味が落ちた気がする。(あくまでも主観です。)

地元インドの味とは違うのだが、日本人の舌に絶妙に合う、インド料理店が西武池袋線の東長崎駅から徒歩10分ぐらいの所にあった。その名を「天竺屋」という。「世の中にこんなに旨いインド料理があったのか」と目から鱗のお店であった。なんどか足を運んだが、ある時ドアに「都合により閉店」の張り紙が貼ってあった。さらに、なんどか足を運ぶも「天竺屋」は二度と開くことはなかった。

(この話、明日に続けます。)
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「インドを走る!」の目次

2009年03月13日 | 自転車の旅「インドを走る!」
◇「インドを走る!」とは

1980年の2月下旬から5月初旬にかけての「インド・ネパール自転車の旅」を綴ったものです。28年前の旅行記を基にコツコツ復元しています。この作業をしていると、非常に懐かしい思い出が蘇るとともに、若返った気もして、小生の密かな楽しみのひとつになっています。2007年1月30日のブログ立ち上げ以来、力を入れているカテゴリーであり、思い入れもひとしおです。この度、記事の整理と読みやすさを目的に目次を作ってみました。ご活用いただければ幸いです。

         2009年3月13日    望ノ萬蔵(もうの まんぞう)


~~~~~~~~~~(目次)~~~~~~~~~~~

※読みたい記事をクリックして下さい。

連載開始+第1~4話
第5話「アグラ」
第6話「トラブル その1」
第7話「トラブル その2」
第8話「カンプール」
第9話「カンプールからラクノーへ」
第10話「一難去ってまた一難」
第11話「大和撫子」
第12話「国境の町」
第13話「フンケーの友」
第14話「仏陀の生誕地を訪ねて」
付録1「社内報14話の掲載を終えて」
第15話「バイラワからタンセンへ」
付録2「インドを走る!part2 のネタ」
第16話「タンセンからポカラへ」
付録3「関連地図」
第17話「ポカラ(その1)」
第18話「ポカラ(その2)」
第19話「ポカラ~カトマンドゥ」
第20話「カトマンドゥ」
付録4「関連地図(その2)」
第21話「ダマン峠へ ~単独行開始~」
第22話「ダマン峠にて(その1)」
第23話「ダマン峠にて(その2)~ドイツのサイクリストに会う~」
第24話「再びインドへ」
第25話「マザファプールへ ~バテる!~」
第26話「マザファプールでカメラ盗難!」
第27話「パトナへ」
第28話「パトナにて」
第29話「ラジギール」
第30話「ラジギールの日本寺(その1)」
第31話「ラジギールの日本寺(その2)」
第32話「ブッダガヤ」
第33話「ガヤからパトナ 鉄道の旅」
第34話「パトナで帰国の準備」
第35話「さらば、ヒンドスタン!」
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Wednesday Morning 5A.M.

2009年03月12日 | 健康、ダイエット

<11日午前5時24分撮影。「水曜の朝、午前3時」というサイモン&ガーファンクルのデビュー曲を思い出した。>

水曜の朝、午前5時。仙台の部屋からみる東の空が神々しく見えた。

断酒して二週間たった。恐らく、社会人になってからは呑まずに過ごした最長不倒期間だ。この断酒で感じたこと、思ったことがいくつかある。

その1:心身ともにクリア。

 眠りが深い為かもしれない。睡眠時間は変わっていないのだが、「よく寝たぁ」という、寝応え(?)がある。また、寝つきも早い。これは夜ばかりではない。昼間ウトウトする場合でも眠りが深い。この前、仙台から札幌へ飛ぶ時、飛行機に搭乗後すぐ睡魔が襲ってきたのでウトウトとした。ふと、気がつくと機はもう雲の上を飛んでいる。離陸の際の衝撃音や揺れに一切気がつかなかった。ある意味、スキだらけということで恐いといえば恐い。と、まぁそれぐらいだから、心身ともに呑んだくれている時よりはすっきりしている。

その2:カネを使わない。

 小生の生活パターンというか金銭の出し入れパターンは出張にかかる費用はカード決済にしておいて、会社で清算して現金をもらい、それで用を足している。いままでは、派手な遊びをしているわけではないが、居酒屋いったり、スナックいったり、適当に後輩たちにご馳走したりで、収支はそれなりにバランスを保っていた。

ところが、ここ二週間、呑みに行かないので現金がだぶつき気味だ。酒以外にさして金のかかる趣味がないので、当然と言えば当然である。また、二次会にも行かない(誘われない)ので、その分金を使わないし、遅くなることもないので、無駄なタクシー代も使わない。

その3:無駄な時間が減った。

なんのかんのといっても、やはり、札幌のもうのまんぞう氏が言うとおり、「呑んでる時間と酔ってる時間は無駄である」。ま、楽しい人や気の合った人とのひと時ならば、それはもちろん許せるのであるが、つまらん人や気をつかわねばならない人との、呑み時間は無駄以外の何物でもない。そして、呑んだ後の酔ってる時間も確かに無駄だ。これは下手をすると翌日まで持ち越してしまう。

その4:食べ物がおいしい。

宴会で呑まないと、出てくる料理が最後まで味わえる。これは、意外なメリットであった。呑むと途中から味が分からなくなるし、場合によっては何を食ったか覚えていないこともある。いや、その方が多い。これも、カネと時間を費やした割りには胃腸に負担をかけるばかりで無駄な行為である。また、呑まない分、絶対的カロリーが不足するのか、食欲もある。舌や消化器官をはじめとした内臓も荒れていないので、摂った食べ物は大変美味しく感じる。

その5:一日断食が楽

 一日断食日はいままで、“固形物を食べない”“酒を呑まない”の二つを我慢しなければならなかったのが、ひとつ我慢すればいいので、実行が随分楽になった。


総じて、断酒をすると輪郭のはっきりした生活ができる、という結論だ。

では、断酒のデメリットってなんだろう。

「呑めないことへのストレス」これは多少ある。ここで呑んだら、さぞかし旨かろうと思うときは確かにある。それを我慢する時に多少のストレスが生じる。この程度でその他に今のところデメリットは浮かばない。だとしたら、喪が開けても、酒との付き合い方を考え直さねばならないようだ。

断酒については、気づいたこと、感じたことをおいおい記事にする予定です。

おまけ

Wednesday Morning 3 A.M.
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2009年Jリーグ 大宮アルディージャ発進!

2009年03月11日 | 大宮アルディージャ&サッカー


WBCにかまけていたと言うわけではないが、大宮アルディージャの2009年度も始まっている。先週日曜日、対清水戦、0-0のスコアレスドローで幕を開けた。昨年の開幕メンバーで残っているのは4人(江角、富田、波戸、藤本)のみ。新加入の藤田、市川の2トップにルーキー新井(大宮ユース出身18歳)など若い血が入っている。

試合は観に行けなかったが、TV埼玉の録画でチェックしたかぎり、この新加入の若武者たちの動きはよかった。心なしか藤本も生き生きとプレーしていた。今までの“大宮”は「守備重視で得点力の無いチーム」というイメージがあったが、若武者たちの動きを見ている限り、やってくれそうな気配はある。スコアこそ無得点であったが、2~3点入ってもおかしく無い展開であった。(贔屓目です!)

これで、ケガで出遅れている、キャプテン小林(慶)、デニス・マルケス、パク・ウォンジェが加わったら・・・。と思うと今年は多いに期待を持てる。また、張外龍新監督の面魂も頼もしい。

次節広島戦を注目したい。

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WBC、日本、韓国に惜敗!野球は恐いね。

2009年03月10日 | 野球

<四番金泰均のタイムリーツーベースはサード村田のわずか右を抜けた。>

わずか2日前に同じカードで14点も取ったチームが昨日は1点も取れない。これだから、野球は恐い。日本は岩隈、韓国は左腕のエース奉重根の先発。M君の情報によると「奉重根」の名は伊藤博文を暗殺して、韓国では英雄視されている「安重根」からとっているという。いわばアンチジャパンの申し子的投手である。その不敵な面構えにその執念は表れていた。試合は最初から前回とはうって変わって息詰まる投手戦。岩隈は3回までパーフェクトピッチング。奉重根も3回まで1安打で日本打線を抑え込む。

均衡は4回表に破れた。岩隈が一番李をあっさりと四球で出してしまう。続く二番鄭がセンター前ヒットで無死1、2塁のチャンスを作られる。三番金賢洙を三振に打ち取るも、四番金泰均にサード村田の右を抜くレフト線二塁打で先制点を許す。結局、この一点が決勝点となる。

金泰均(かわいい顔と大きな体から“金太郎”と呼びたい)は第一打席、岩隈に徹底的にインコースを攻められ凡退した。彼はチャンスで迎えた4回表のこの打席は迷わずインコースに的を絞っていた。初球のインコースのボールを待ってましたとばかりに開き気味で捉えた。当たりはファールになったが、インコースを意識していたことは間違いない。続く二球目も岩隈・城島のバッテリーはインコースを攻める。キム太郎はこの球を見逃さず、三塁線を破るタイムリーを放つ。結果論ではあるが、好打者に対しあまりにも“攻め”が単純だった気がする。

「失点1ぐらいは投手の責任ではない」という人もいるが、それは長いペナントレースを見据えた場合にはそうであろうが、トーナメント戦ではその考えは甘い。なぜなら、その一点で試合に負けてしまうからである。その点、韓国投手陣はよく頑張った。奉重根、鄭現旭、柳賢振、林昌勇の四人の投手の前に日本打撃陣はいいところ無く、零封されてしまった。

源平合戦に例えると、日本は平家の公達、韓国は源氏の坂東武者だ。顔つきとハングリー精神で負けている。思わぬ大量点で有利に立たないと都の公達は坂東武者には勝てないようだ。

敗因はまだある。前に日本は“戦術”、つまり現場の選手の技量に頼りすぎている、というようなことを書いたが、そのいい例が、使用球の問題だ。日本のボールはMLBで使っているボール(=WBCのボール)とは違う。その違いに日本の選手達は戸惑っている、ということを解説者たちがよく口にする。突然、制球を乱してファーボールを出したり、微妙な変化球がコントロールできないなどと論じている。もし、4回表の岩隈の先頭打者を歩かせた場面やキム太郎のタイムリーの微妙に甘いボールがその所為だとしたら・・・。

解決策として誰もが考えるのが、日本のプロ野球でも普段からMLBと同じボールを使用球にすればいい、ということだ。そのボールに慣れ親しんでいるのとそうでないのとでは雲泥の差である。当然のことだと思うが、日本プロ野球界はそれをしない。短期間の間にMLBのボールに慣れてくれろ、と選手の技量に頼るのみである。

WBCやオリンピックで、必ず勝たなくてはならない使命を負わせながら、肝心のボールが普段使い慣れて無いものであれば、ギリギリの試合展開になった時にその影響は大きいだろう。小生が日本側に“戦略性”が欠けていると思う一例である。

ちなみに韓国のプロ野球ではMLBと同じボールを使用しているという。韓国の投手陣はボールの違いに悩むことなく、投球に専念できる。この差は非常に大きい。昨日のような息き詰る投手戦では日本にとって大きなハンデとなったに違いない。

ま、昨日すんなり日本が勝って、慢心して米国に渡ってから泣くよりは、褌締めなおして出陣してくれたようなので、その方がいい結果が出ると思う。平家の公達らしく華麗に連覇を遂げて欲しいものだ。
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インドを走る!part2 第27話 「パトナへ」

2009年03月09日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<パトナまでの行程。パトナ直前の大河がガンガ(ガンジス川)>

1980年4月19日(土)晴れ

(カメラを盗まれた為)重い気持ちを引きずるようにして、早朝出発。パトナへと向かう。朝も早いので、空気はなんとなくすがすがしいが、心は晴れず。まったくもって、無駄以外の何物でもない一日遅れで、マザファプールの街を後にした。朝食は摂らず、道々の茶店でチャイなどを飲みつぎ、午前中を走りきる。ハジプールまでは一本道なのであるが、なかなか着かず。さては道を間違えたか、と不安がよぎるが無事着いた。どうも、疲れているらしい。

この街にはコークがあった。何本か飲んで、オムレツを喰う。スイカも食べてみる。一切れ十パイサ(約3円)。味は日本のと同じだが、いくらか淡白で種がでかい。二倍ぐらいはあった。

暑い盛り、パトナ行きの汽船の船着場に着く。ここからは船でガンガ(ガンジス川)を渡る。エメラルド色に流れるガンガに古風な造りの汽船が浮かんでいる。珍しいので、早めに乗り込み、石炭をスコップで釜に放り込む作業などを眺める。「カメラがあったらなぁ」と悔やむ。川幅もこの辺りまでくるとかなり広い。船賃は人と自転車あわせて3ルピー(90円)と安い。船は二階建て。すぐそばに茶店があって、乗客の何人かはそこで出発まで待っている。

ところが、この汽船。ポーッと汽笛が鳴ったかと思うとすぐハシケを離れてしまう。(ハシケと言っても竹作りの非常に粗末なもの)茶店からあわてて飛び出てきた人の10人くらいが、乗れずに川岸で喚きながら困り顔。乗ってる人たちは笑って見ている。

結局、一度ハシケを離れた汽船がまた戻って喚いていた人たちを乗せる。何をやってるんだか。ボーっと汽笛を鳴らしてからしばらく待って、他に客がいないのを確かめてから、ハシケを離れればいいのに。日本の常識ではそうなのだが、この国はまったく何を考えているのかよくわからん。

汽船は川をゆっくりとすべっていく。デッキからガンガを眺めていると映画「砲艦サンパブロ」を思い出す。スティーブ・マックイーン扮する主人公ホルマンが砲艦サンパブロの乗組員になって中国との紛争に巻き込まれていく映画である。この砲艦が、揚子江だったと思うが、大川を航行する、あのシーンによく似ているのだ。

対岸ではガンガで水遊びをしている子供達と牛。洗濯をするサリーを纏った婦人たちなど。なかなか趣のある風景がそこかしこにある。ここでもまた悔やむ「ああ、カメラがあったらなぁ」と。二、三分の油断のために私はこれから、何度、何日、悔やまねばならないのか。

パトナへ着く。ここはインド北東部に位置するビハール州の州都である。結構な賑わいだ。とりあえず、ステシャン(駅のこと)を目指して走った。船中で人に船着場から駅までどのくらいあるかと聞いたら、10キロと言う。ばかに遠いなと思って、着いてから街の人に聞くと今度は12キロという。そんなにあるのか、と思って走ったが、何のことはない、1~2キロであった。いい加減なことを自信をもって言いい切る人種なので気をつけにゃあかん。

二三軒ホテルをたらいまわしにされたあげく、見つけたホテルは、出来立てというより、まだ、造りかけの建物であった。建物としては完成していないが泊まれる部屋はあるので、商売を優先しているらしい。これも、日本では考えられないことだ。宿代24ルピー(約720円)なり。

夕方、チャイニーズレストランへ行くかたわらブラブラと散歩してみる。パトナの中心と思えるところに広大な広場があり、そこで、若者達がサッカーをしている。どこかのチームらしく、ちゃんとコーチがいて紅白戦みたいなものをやっている。結構マジで技術の水準も高いと見た。周りにオジサン連中の観客とフットボールのマネごとをしている子供達がいるのは日本でもよくみる光景である。

試合が終わり、PKの練習を始めたが、これがどうも先ほどの試合の水準からすると決まらない。ボールがみな上へ行く。コーチも転がして端をねらえと指導していた。何にしてもスポーツというのはいいものだ。ここでもカメラがあったらと思うがもう気にしないことにした。野球でもひとつのエラーをくよくよしていると、次のエラーに繋がる。ここは、きっぱりとあきらめるが肝心だ。

チャイニーズレストランに行く。チョーメンが非常にうまい。日本で言うなら「かたやきソバ」であるが、味・質ともここのが上だ。ヌードルスープ(約ラーメン)はメンがグニグニであまりうまくなし。スープはうまかった。明日からはここでしっかりと栄養補給だ。久々に満足な食事をして、宿に戻って寝る。

(つづく)

※「インドを走る!」について

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WBC、日本、韓国に圧勝!

2009年03月08日 | 野球

<6回表、止めの止め。城島のツーランが飛び出す!>

昨日は札幌での社用が若干早めに終わったのと、天候に不安もあったので、そそくさと千歳空港まで行き、できるだけ早い便に変更して羽田まで帰ってきた。大宮の家には19時前に着いた。そのおかげで、WBCも最初からTV観戦できた。


日本時間19時過ぎ、非常に重苦しい中で戦いの火蓋は切って落とされた。先攻は日本。相手投手は北京五輪で押さえ込まれた左腕「金広鉉」。

だが、しかし・・・。

不振であったイチローがいきなりライト前ヒットで出ると、続く中島もセンター前に綺麗に運ぶ。青木の積極果敢な打球は金投手の足元をかすめて内野を抜ける。二塁ランナー俊足イチロー、なんなくホームイン。あっという間の先制点で日本のベンチもスタンドも大喜び。しかも、まだ無死一塁二塁だ。

ところが、続く四番村田、五番小笠原が連続三振でツーアウト。このまま、一点止まりで終わると韓国に勢いが移ってしまうと心配するが、やってくれました。左投手に強いということでスタメン起用されていた内川が三塁線を破るツーベース。一塁ランナー青木も一気にホームイン。これで3-0とした。この内川の二点タイムリーは韓国にはかなり効いたパンチだったと思う。原監督の采配はズバリ的中した。

一回裏韓国の攻撃は制球に苦しむ松坂からランナー一人おいて4番金泰均がレフトスタンド看板に当たる特大ホームラン。ノースリーからの甘い高めの「打ってください」と言わんばかりの失投であった。これであっというまに一点差。3-2と迫られる。さすがは宿敵韓国、一筋縄ではいかぬ。

嫌な予感を払拭してくれたのは、2回表のイチローと村田であった。城島ヒット、岩村四球で無死一二塁の場面でイチロー。誰もが予想していなかったセーフティバンド。見事成功して無死満塁。中島四球押し出しで4-2。青木の内野ゴロダブルプレー崩れの間に岩村ホームインで5-2。またもや三点差とする。

尚も一死一三塁。押せ押せである。打席に立つは、一回表、同様のチャンスで三振を喫した四番村田。この場面は犠牲フライでいい場面だ。その分力まずにすんだのだろう。ファールで粘った挙句、レフトスタンドギリギリに入るスリーランホームラン。一挙に8-2と突き放す。勝敗はこの一発でほぼ決まった。

この後も日本の攻撃陣は手を緩めず、3回以外は毎回得点。ついには城島の2ランも飛び出して、大量リード。投げては3回以降韓国打線を無安打に抑える投手リレー。結局、前代未聞の14-2の歴史的大勝で韓国を7回コールドで降し、アメリカ行きの切符を手にした。

勝因は牽引役のイチローの活躍と中島、青木、内川といった巧打俊足の選手達の働きが、4番村田に余裕の打席を与え、3リーランにつながったことにあると思う。あの一発は打球を見てもわかるが、ホームランを狙っていたのではない、犠牲フライがたまたま伸びてスタンドインした当たりだ。そういう意味では村田もまた“つなぎ”に徹していたといえる。

また、ラインナップ後半に控えし、福留、城島、岩村のメジャートリオも頼もしい。一番イチローまで入れるとメジャーリーガーが4人揃う。この打線が機能するかぎり、日本選抜は大丈夫であろう。今日の試合で点にからまなかったのは唯一小笠原だけであったが、彼のことであるから明日以降頑張ってくれると信じる。

ま、なんにしても心配は“杞憂”であったようだ。

めでたし、めでたし。
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ノンアルコールの札幌の夜

2009年03月07日 | 酒食・グルメ?

<札幌時計台>

まだ、社用で札幌にいる。昨日は午後になって大風が吹き出し、飛行機が予定通り飛ぶのか心配であったが、K池氏一行は無事帰ったようだ。今朝の札幌は朝から雪。非常にいやな予感がしている。小生は帰れるのだろうか。早めに判断して、電車で帰るなり、函館から帰るなりした方がいいかも。

さて、昨晩の会食の話。ご一緒する方が今は都内に住んでいるが、札幌勤務が長かった、ということもあり、場所はその方にお任せしていた。その方が選んだのは、ちょっとこじんまりとした牡蠣専門店の店であった。

食べたものは厚岸産の「生牡蠣」、ガーリックやスパイスの効いた「洋風焼き牡蠣」「シーザースサラダ」北海道らしく「じゃがバター焼き」「ガーリックソーセージ」、「茄子と特性ベーコンのピザ」つきだしに「オイスタークリームシュチュー」などなど。

なかなか美味しい料理でありました。ご一緒した方はワイン好きでもあり、ボトルでオーダーして、たっぷりと呑みたいようであったが、小生が「喪中につき、アルコールを断っています」と断り、同行のT地方座長は「ワインは呑めんです」と言った為、グラスワインで我慢させてしまった。気の毒なことをした。

小生の飲み物は最初「ウーロン茶」。小さいグラスに氷が沢山入っているのですぐ飲んでしまう。次に「グレープフルーツジュース」余り甘くなくておいしかったが、量は少ない。オカワリをたのむ。後は水を二杯もらっただけで、約二時間過ごした。

料理が美味しかったのと、そんなに「呑めや、歌えや」の雰囲気の場所ではなかったので、それほど“呑めない”というのが気にならなかった。ガーリックとスパイスの効いた焼き牡蠣を食べた時には、さすがに、

「ここでワインが呑めたらいいだろうなぁ」

とチラっと横目でワイングラスを盗み見たが・・・。

まぁ、なんとかなる!というのが今日の印象であった。よかったのは、ノンアルコールの方が、最初から最後まで料理をしっかりと味わえるということだ。酔うにしたがって五感の感覚は鈍るのだから、考えてみれば当然である。

また、気を使ってくれて、二次会に誘われずにすんだこと。これは結構いいかも。夜の時間が有効に使える。小生は10時にはホテルに戻って、本読んだり、メールやブログをチェックしたりと余裕の時間を過ごせた。通常だと二次会、場合によっては三次会まで参加して、ホテルに戻ってバタンQのパターンである。それはそれで楽しい時もあるのだが、こんな夜もあっていい。

“もう、呑まんぞ!”

なんとか行けそうな手ごたえをつかんだのだった。
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仙台から札幌へ

2009年03月06日 | 日々の記録

<浅草寺五重塔>

今日は仙台から札幌へ出張。千歳地区の本日の天候はまずまずであるが、明日は雪が降るという。小生は今日一泊して明日の夕方帰る予定。少々不安が残るが、自称イエティ(雪男)の“K池氏”が、本日日帰りで羽田に帰るというので、まずはは大丈夫とふんでいる。

札幌では1ヶ月前に一緒に東京見物(浅草、両国)した、お得意様の何人かとも会う予定である。札幌の“もうのまんぞう氏”とも会う。実は、1ヶ月前、東京見物に来た晩の会食でビールをすすめるとあっさりと呑んだので拍子抜けした。しかしながら、久しぶりとみえて、実に旨そうに呑んでいたのが印象的だった。「こういうハレの集まりの時は呑むのだ」というような言い訳をしていたが、あの後、また断酒を続けているのだろうか。続けていれば、今は小生も断酒の身。“酒は無駄だ”話に花が咲くかもしれない。

そういえば、今晩と明日の昼に会食がある。周りが酒を呑むのに、自分は呑まずに過ごす、という体験は3年前に一度あったが、それ以来だ。昼の酒は断り易いが、夜は怪訝な顔をされるだろう。要はウーロン茶や麦茶でも場を盛り上げればいいのだ。相手さえ酔ってしまえば、こっちが酔ってようが、酔ってまいがさして気にならないだろう。要は場をしらけさせないことだ。

と、朝のうちから作戦を立てておいて、いざ出陣なのだ。
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奥州の歴史を知る!「炎立つ」

2009年03月05日 | おすすめモノ
炎立つ〈壱〉北の埋み火 (講談社文庫)
高橋 克彦
講談社

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昨年7月に仕事で仙台赴任以来、東北の歴史に興味を持ち始めた。中学や高校で習ってはいたが、小生の頭の中の東北史は極めて漠然としたもので、ただ断片的に“藤原三代”とか“義経終焉の地”、“伊達政宗”、もっと下って“奥の細道”“百虎隊”。など、TVでドラマ化される史実を繋がり無く知るにとどまっていた。

仙台に赴任して多くの東北の方にお話を聞いたり、地域の話を聞くに及んで、上のような程度の認識ではいささか心もとないと思い、東北の歴史を知ろうと一念発起。ただ、難しい本を読んでる暇はないので、面白い小説はないかと、探し当てたのが高橋克彦氏の著作である。数多くの日本の文学賞を総ナメしている著者の名前は存じ上げていたが、不勉強にもいまだ、読んだことはなかった。

今回紹介する「炎立つ」は講談社文庫から全五巻で出ている。1990年代にNHK大河ドラマでも取りあげられたので、その名を知っている人は多いと思う。この物語は西暦で言うなら、1040年頃から1189年までの約150年間。日本史でいえば、平安末期から鎌倉勃興の時代にあたる。主人公は“奥州藤原氏”。学校で習った“藤原三代”に前後一代づつ付け加えた“藤原五代”の物語である。

特に、藤原三代の初代清衡の父藤原経清(つねきよ)にスポットが当てられている。この主人公の生き様を通して、陸奥の一大勢力であった安倍一族と内裏(朝廷)との対立、“安倍”を征する為に派遣された“源氏”との戦いが、描かれている。

小生としてはうろ覚えの歴史“前九年・後三年の役”や頼朝や義経の曽祖父にあたる“八幡太郎義家”の活躍などが、ドラマチックにしかも分かりやすく、描かれている。

やがて、紆余曲折の末(読んでいない人の為に、詳細は省く)経清の子、清丸が藤原清衡となって、奥州藤原氏の繁栄の礎を気づくが、奥州の平和も束の間。経清から数えて五代目にあたる泰衡の時代に再び平泉は戦火に巻き込まれる。源義経を匿った罪を問われ、頼朝によって滅ぼされてしまうのだ。

一貫して“陸奥”からみた歴史観であるところが新鮮で面白かった。また、“点”としてしてしか知らなかった歴史や人物を“線”で繋げてくれた。亘理(わたり)、名取、多賀城など小生が住む仙台近郊の地名も出てくるし、北上川(当時は日高見川といったらしい)沿いの安倍一族の砦や、平泉の歴史にも改めて興味をもった。義家ではないが、春が来て雪が溶けたら、それらの地に繰り出してみたい。

“陸奥”に興味をお持ちの方は是非。また、平泉や源氏の成り立ち、貴族政治の終焉などに興味をお持ちの方にもおすすめ。

ますます、“陸奥”が好きになってしまう一冊です。
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仙台に戻ってきた

2009年03月04日 | 日々の記録

<蔵王の樹氷。人が雪だらけになっているようにも見える。>

朝、7時22分の大宮発「はやて」で仙台に戻る。昨晩は首都圏地方も雪が舞っていたが、ほどなく止んだ。今朝起きたら、雪景色が見られるかと思ったが、あまかった。「はやて」で北に向かっていると、白河の関を越えたあたりからは一面の雪景色となる。綺麗なので車窓からの眺めを撮ろうとカバンに手を伸ばし、カメラを探すが見つからず。

しまった!

大宮の家においてきてしまった。しばらくは大宮の家に戻らない。明日は盛岡、週末は北海道なのに、カメラ無しとは。トホホホ。ブロガーとしては致命的忘れ物だ。こんな時のために、デジカメは他に2機持っているのであるが、全部大宮にある。万事休すだ。幸い、前に撮ったSDカードを数枚携帯していた。ここ数日は、そこから写真を引っ張り出さねばならない。上の「蔵王の樹氷」も1月下旬に撮ったものだ。

9時に仙台の事業所について、10時半から15時半まで打合せ。夕方、お得意様に商談に行って帰ってきて、会議資料作成で20時過ぎまで会社にいた。小生にしてはよく働いた一日である。仕事場から家までは二キロほどなので、定食屋で食事して、家に帰ってきたのは21時。職住接近のありがたさである。これが、都内勤務だと、20時まで仕事してから食事して帰ると22時は過ぎる。シラフで満員電車に乗れるか!ってんで、呑んだら最後、零時は回って午前様。

もっとも、今は喪中につき断酒している。これで6日目だ。禁断症状というのは無いが、時々ふと呑みたくなることはある。しばし、うっちゃっておくとその気はそれる。が、4月初旬まではまだひと月もある。今週末から来週末にかけて、“会食”とやらが、3回はある。意地でも呑むわけにはいかない。目下、それをどう乗り切るか思案中である。
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駅弁、荒浜名物「ハラコめし」

2009年03月03日 | 酒食・グルメ?


この前、仙台から大宮への新幹線内で久々に駅弁を食べた。駅弁屋の店頭でアレコレ迷ったあげく、ひと月程前、亘理(わたり)の荒浜の店で季節外れで食べれなかった「ハラコめし弁当」をチョイスした。しかしながら、荒浜の店では9~12月の季節料理であったから、この弁当も季節外れであるに違いない。

ただ、明らかに、温かい定食の方が旨い「とんかつ弁当」だの「牛タン弁当」や、今一、フォーカスがあまい「幕の内弁当」などよりは格段に食べてみたい弁当に映ったのだ。

ま、腹も減っていたし、手頃なので買ってみた。座席に座ってテーブルを倒し、さっそく開いてみると、なかなかどうして旨そうである。特にイクラの艶がいい。一口食べると味もいい。鮭は甘辛く煮てあるのだが、これが少々ポソポソしている。この辺りが、旬でないのかも知れぬ。

いずれにしても、今年の9月過ぎたら、また、荒浜に出かけねばなるまい。
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