萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

この雨、うらめしいゾ。

2007年09月30日 | 日々の記録


朝方目が覚めると雨音がする。すぐ止むだろうと思っていたが、そのままずっと降る。本日は甥の高校野球秋季大会の試合があった。予選トーナメントを勝ち抜いて来ていたので楽しみにしていたが、雨天中止、明日順延になってしまった。明日では観にいけぬ。

どうも、今年はスポーツ観戦に縁がない。仕事とホームゲーム開催日が重なるのでアルディージャの試合もほとんど行っていない。巨人戦は春に一度行ったが、つまらない試合内容と「韓流スターおっかけご婦人デー」のようなイベントをやる東京ドームの経営方針に疑問を持ってからは足を運んでいない。

純粋に野球を楽しもうとすると高校野球は面白い。そこそこ実力のあるチーム同士だと観ていて飽きないし、プロよりテンポがいい分見やすい。まして、身内のものが出場してればなおさら興奮する。スコアブックと双眼鏡とデジカメは必携。もちろんビール、日本酒などをの興奮剤もかかせない、などと楽しみにしていたのに・・・。そういう意味で今日の雨は恨めしい。

夕方は新宿で友人達と酒を呑む。こっちの方は雨天決行だ。槍が降って来たらわからないが、雨ぐらいではまず、中止にはならない。ということでこれから、雨の中を出かけるところ。呑みすぎには注意しましょ。
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大宮アルディージャ横浜Mから勝ち点3!

2007年09月29日 | 大宮アルディージャ&サッカー


本日も仕事。アルディージャのホームページを盗み見ながらの応援体制。後半立て続けに得点したようだ。2-0で上位の横浜マリノスから勝ち点3をもぎ取った。「横浜MはJ1ではリーグ戦で大宮に勝ったことがない」ということだが、その記録をまた更新したことになる。いやーよかったね。出口が見えてきた気がします。

MLBはボストンが東地区の優勝を決めた。12年ぶり6度目だそうだ。ヤンキースの地区10連覇を阻止した。先発投手は松坂で8回を2失点に抑えて15勝目を上げた。日本人の1年目としては最多勝利数を記録。松坂の1年目は32試合15勝12敗、防御率4・40。204回3分の2を投げ、201奪三振だった。

アリーグのプレイオフの組み合わせも決まった。ヤンキース対インディアンス、ボストン対エンゼルスだ。5試合制(3戦先勝で勝ち抜け)で10月初旬から始まる。会社を休みたくなる日が続く。

巨人も中日が阪神に負けて、マジック2が点灯。俄然、有利な展開に。ここに来てご贔屓チームに陽が当ってきた。皆、そのままの調子で“決戦の月”10月に突入してくれ。頼みますよ。
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食欲の秋。方々、呑みすぎにはご用心。

2007年09月28日 | 日々の記録


一昨日の晩のこと。会社に来客があったので、近くの中華料理屋で会食。9時過ぎには終了。同僚のT、M氏と二次会に行こうということになり、池袋へ。移動中の電車でM氏は吊り皮で懸垂を披露。客があまり乗っていなくて幸いだった。M氏とは初めて呑むが、結構なお調子者、いや酔っ払ってからだから、お銚子者だ。

6月にT氏と来たスナックに行く。ウイスキーはボトル代が高いので焼酎を入れる。ところが、ワイワイやっている内に短時間でボトルを一本半空けてしまう。0時まで呑んで、さすがに最終が心配になったので小生は帰る。

池袋駅まで小走りで行く。この時点ではまだ心身ともしっかりしていたようだ。最終かどうかはわからないが、川越行きの埼京線に乗れた。赤羽では座席も空いて座われた。が、これがいけなかった。

駅に降りて階段を上り、出口に向かう。いつもと景色が違うので、西口に降りたかと思ったが、駅前が妙に暗い。周囲を見回してびっくり。駅名が書かれているプレートには「川越」とある。プレートの表記が間違っているはずは無い。完璧に乗り越して終点まで来ていたのだ。景色が違うわけだ。

無駄と知りつつ、念の為、駅員に大宮行きの便の有無を問う。「ありません」の答えが返ってくる。安ホテルに泊るか、いくらかかるかわからんタクシーで帰るか。こうなったら、まずは落ち着こうということで何故か松屋の牛丼を食う。

結局、タクシーで帰った方が何かと“得”と結論を出す。金額的には大損なのだが人間、何事も“あきらめ”と“切替”が大切だ。トリッキーな動きは二次災害に繋がる。もっともオーソドックスな手を打つのが肝心だ。予想費用は一万円。

タクシーに乗って、大宮の小生宅の所在地を告げると、運ちゃんは嬉しそうに応対する。小生のような酒にだらしない奴が彼らの生活を支えているのだ。なにかいい事をしている気分になってきた。そういえば天下分け目の巨人中日戦だったことをふと思い出して聞いてみる。

「巨人勝ちました?」
「勝ったよ。逆転勝ちだ。初回4点とられたんだけどね。」
「やったね。これで有利になりましたね。いや~よかった。」

ふさいでいた気分がさらに上向く。一万円は覚悟していたが、6500円ですんだ。そらみろ、得したじゃないか。と自分に言い聞かす。

家に着いたのは午前2時。パソコン立ち上げてメールなどをチェックしたが、そのまま椅子で寝てしまう。気がつくと朝の5時。会社に行かねば、という意思だけで身体が動きだす。

今夜も呑み会が予定されている・・・。
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ヤンキース、プレーオフ進出!

2007年09月27日 | 野球


ヤンキースが13年連続プレイオフ進出を決めた。一時はどうなることかと思ったが、決まってみれば“やっぱり”だ。松井をはじめとした打撃陣、ジーター、Aロッド、アブレイユ、ポサーダ、デーモン、カノーの活躍も、クレメンス、王、ムッシーナ、ペティート、ヒューズの先発陣、クローザーのリベラ、そして怪童チェンバレンの活躍も、まだ、しばらくは観られる。こうなると、「今年こそは、ワールドシリーズ優勝を」と思ってしまうが、何度と無く泣かされているので、その瞬間が訪れるのをじっくり待とう。まずはプレイオフ出場決定をお祝いしたい。

プロ野球では巨人がいい感じになってきた。こっちも“クライマックスシリーズ”出場は既に決めているが、やっぱりペナントレース優勝を勝ち取って欲しい。残り二試合を確実に勝ち、後は中日の成り行きを待つ展開であるが、結構有利なポジションにある。阪神が自滅してくれたのが大きいが。

こうなってくると、心配のタネは「大宮アルディージャ」だ。もがけばもがくほど、“自動降格圏内”という蟻地獄に引きずりこまれて行くようで、痛々しい。ブログなどで拝見する熱心な大宮サポ達の気持を考えると小生のような俄かファンがめったなことは言えないが、あせらず、一歩一歩確実に這い上がるしか、蟻地獄から抜け出す法はないと思う。

ただ、ただ頑張ってくれ、と祈るしかない。
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中秋の名月

2007年09月26日 | 日々の記録

<ホントはもっといい月。水墨画のようでもあるが・・・>

昨晩、帰宅途中、最寄の駅から住宅街を縫うようにして歩いていると、家を出て空を見上げている人がいる。小生もつられてふと見上げると、見事な月が出ている。ゆっくりと流れる雲間から煌々と月が出ている。いい月だが満月ではない。とりあえず、デジカメに収めるが、手取りではうまくは撮れない。

今年の“中秋の名月”は何時だろう?などと思いつつ、家に帰った。ニュースを見ていると今日が中秋の名月だと言っている。えっ、満月でなくてもいいのか。と少々驚く。調べてみると、中秋の名月とは旧暦八月十五日のことで“十五夜”ともいう。十五夜=満月と思っていたが、年によってズレがあり、必ずしも満月とは限らないそうだ。“名月”であったか。なるほど、空を見あげている人がいたわけだ。

ニュースでは各局とも福田新内閣の陣容について報道していた。自ら「背水の陣内閣」と称した新内閣。再任者が結構多かったのはいわゆる“身体検査”をする時間が無かった為、という報道もあった。今朝の日経新聞では国会議事堂の斜め下から月を写した写真を掲載し、「国会の闇を照らす月明かり」というような見出しがついていた。さすがにうまいこと言う、と感心した。
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八百姫大明神の松が・・・

2007年09月25日 | 散歩

<今年3月にはまだ松があった>


<昨日、通りかかると松が無い>


<祠の裏に輪切りの松が・・・>

昨日、近所を散歩していると以前このブログでも紹介した「八百姫大明神」の松が無くなっていた。よく見ると、幹の真ん中あたりから上が切り落とされている。頂にはブリキでできた、帽子のようなものが被されている。痛んだ部分を切って、再生させる処置をしたのだろう。以前に「鉄腕ダッシュ」でダッシュ村の老いた桜に同じような処置をしていたのを観たことがある。祠の裏に回ると無残にも切り取った部分の輪切りがあった。

伝承としては八百歳生きた八百比丘尼が植えた松、ということのなので、恐るべき生命力がありそうだが、実はこの松は昭和23年に植えかえられたものだ。以下、以前ネットで見つけた記事を再度引用する。

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中山道の東側の(さいたま市北区)東大成町と植竹町とのちょうど境に八百姫大明神が祀られている。お堂の中には、嘉永7年(1854年)に再建されたといわれる「八百姫大明神」の石碑がある。八百姫とは、名前の通り八百歳まで生きたといわれる八百比丘尼のことである。
現在、管理している岩橋さんの話によると、もともと八百姫大明神のある周辺は雑木林で、岩橋さんが引っ越してきた昭和8年頃は丘になっていたそうだ。
そして、この丘の頂きに八百姫の松があったが枯れてしまったため、昭和23年12月2日その松を切って岩橋さんが現在の八百姫大明神の近くに新たに植えたそうである。切った松は、当時2000円で売れたという。

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昭和23年(1948年)に枯れていた松を再生したとある。してみると、その松はもっと以前から生えていたことになる。今回も枯れずに再生できるだろうか。八百姫大明神の息のかかった松なら、大丈夫だろう。大明神の腕の見せどころだ。


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三浦半島に行ってきた

2007年09月24日 | 酒食・グルメ?


日本に帰ってきているドラゴン氏が三浦半島の「松輪のサバ」が喰いたいというので、美味しい物に目が無い“謎の上海娘”菲々も誘って、三人で行って来た。西の関サバ、東の松輪サバというぐらい有名なのだそうだが、不勉強の小生は知らなかった。大宮から品川まで1時間。品川で京浜急行の快特に乗り換え約1時間。計二時間で三崎口駅に着く。

品川からはボックス席に座り、缶ビールで乾杯。ドラゴン氏持参のタイのナッツと沖縄の「ありが糖」という甘い菓子がアテだ。小生は缶ビールの後、缶入りの「大関」の生酒もいただく。ちょっとした“旅”の気分で程よく酔いも回ったころ目的地の三崎口駅に着く。ここから、タクシーで20分程で目指す店に到着。“大将”は70代で漁船に乗っていた精悍な感じの人だ。店の名もその船の名前をそのままつけた。

まずは生ビールで乾杯。“大将”のおすすめも交え、「松輪〆サバ」「金目の卵のワイン蒸し」「金目の卵の辛子明太」「金目のなめろう」「金目の冷しゃぶ」などで熱燗を呑む。松輪の〆サバは肉が厚くて、脂が乗っていて言うだけのことはあった。「ワイン蒸し」や「なめろう」なども酒の肴にピッタリ。ついつい呑みすぎた。店を出た後は岬をぶらぶら酔い覚ましに散歩する。

店を出たばかりは都内の居酒屋で二次会だ、などと気勢をあげていたのだが、品川に戻ってきてもまだ、胃の中も血中のアルコール濃度も一杯で、とてももう一軒行く気はしない。また次回、ということで解散した。夜7時には家に戻る。三浦半島もそんなに遠くはない。
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秋の大会、覇者に惜敗。

2007年09月23日 | 野球


会社のチームの秋のトーナメント3回戦。相手は春の大会の優勝チーム。サッカーで言えば、日本代表がブラジル代表に挑むのに似る。我らの実力の試されるところだ。

先発投手は若手のTの予定であったが、試合前の練習で肩に違和感が・・・。急遽中継ぎに予定していた秘密兵器左腕Sが先発で登板。これが当たって、好投。覇者相手にいい試合をする。4回まで0対0。がっぷりよつの好ゲーム。5回裏にタイムリーで1点取られ、6回には捕手後逸でさらに1点。7回表、最終回2点のビハインド。誰か塁に出れば小生に回ってくるはずが三者凡退。万事休す。0-2で負ける。

相手は出場約百チームの春の大会で頂点に立ったところ。それを考えるといい試合であったが、我が打線は完全に相手投手に抑えられた。14三振を喫す。7イニングであるから、全部で21アウト。その内の3分の2の14アウトが三振であった。相手の左腕がいかにいい投手でもこの成績では一生勝てん。

ちなみに小生の今日の打撃成績は1-0。1犠打。三振なし。14奪三振の餌食にはならなかった。ま、王者相手ということを考えれば皆、よく戦った。頂点チームの実力も目の当りに出来たし、ゲッツーも取った。小生もサードで守備機会は3回あったが、無事こなす。

覇者相手の好試合、結構楽しめました。
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ネイティブ・アメリカンの語り物

2007年09月22日 | おすすめモノ
一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史
ポーラ アンダーウッド,Paula Underwood,星川 淳
翔泳社

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ヤンキースの“怪童”ジョバ・チェンバレンがネイティブアメリカンの血を引いている、ということで思い出した本である。

 イロコイ族の系譜をひく女性ポーラ・アンダーウッドが、一万年間語り継がれた一族の大いなる旅路を一冊の本にまとめたものだそうだ。原題は「THE WALKING PEOPLE」というそうだが、この方がこの本の内容に合っていると思う。

※以下『』内、本文引用部分。

15世紀末にコロンブスが大西洋のハテに大陸を発見した。以降、この大陸にはヨーロッパの人間が大挙してやってきて占領し「アメリカ大陸」という名前をつけて自分達のものにした。しかし、それ以前からのこの大陸には先住者がいた。彼らを「インディアン」とか「ネイティブアメリカン」と呼んでいるが、そもそもこの呼び名も占領した側の言葉だ。

先住者たちはこの大陸を「亀の島」と呼んでいたそうだ。『これは北米大陸をはるか上空から眺めた時、北極海の氷の中へ頭を隠した亀の形に見えるところから』つけた名前だそうだ。世界地図か地球儀ををひっぱり出して見てみればわかるが、確かに亀に見える。ちなみに南米大陸は「魚の島」と名づけられていたそうだ。なんという能力だろうか。海岸線を歩き、高い山から眺め、それらを総合して想像してつけたのだろうか。それとも彼らの先祖は別の星から、宇宙船に乗っててやって来たのか。ユーラシア大陸のことは「大いなる島」と呼んでいたようだ。

彼らは「大いなる島」から、ベーリング海峡が辛うじて陸続きであった時代に歩いて「亀の島」に渡って来た。人種的には我々日本人と同じモンゴロイドだそうだ。

この一族はまた、「コミュニケーション ピープル」といっていいぐらい皆でよく話し合う民だ。会話の手法や技術は現代人よりも優れている。そして、今行なうことが、常に彼らの子孫にとっていいことなのかを議論している。『子どもたちの子どもたちの子どもたちに想いを馳せ、彼らが最後に歩く土地を心にかければこそ、一族が楽な生活に別れを告げる』ということが頻繁に行なわれたようだ。今は“楽”でも子孫にとって害がありそうなら、その生活を捨てて、新たな土地を探す。この繰り返しが、結果的に「大いなる島」から「亀の島」までの果てしない距離を1万年もかけて移動していくことになったようだ。

“自分達さえよければそれでいい”という現代の風潮になにかと考えさせられる一冊である。単行本で545ページと結構厚い本だが、イロコイ族の粘り強さに比べれば、読み抜くのは屁の河童。秋の夜長に是非。ジョバ・チェンバレンを見る目も変わるかもしれません。
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秋めいては来たが・・・

2007年09月21日 | 日々の記録


秋めいては来たが、まだまだざんしょ(残暑)。

冗談はともかく暑いですナ。今日も空はすっかり秋のようなのだが、朝から蒸し暑い。日差しもまだまだじりじりする。駅まで歩くと大汗だ。天変地異の前触れではないかとふと脳裏をよぎる。

海の向こうの大リーグではヤンキースがついに首位ボストンに1.5差まで迫った。最大で15ゲームぐらいは差があったのに、ここにきてあれよあれよの猛追だ。“ひょっとしたら”があるかもしれない。松井も復調してきたし、この一週間目が離せなくなった。

訃報であるが、長嶋亜希子さんが亡くなった。今週の「週刊文春」で詳報をみた。膠原病だったそうだ。中学を卒業して単身渡米。向こうで大学まで出て4ヶ国語に堪能で、将来の夢は外交官、という才媛だった。東京オリンピックで当時球界のスーパースター長嶋茂雄と知り合う。明るい才媛に長嶋氏が一目ぼれ、押しの一手で1ヶ月後に婚約、3ヵ月後に結婚、という電撃技だ。せっかちなミスターらしい、と文春には書いてあった。当時彼女はまだ21歳。それから、スーパースターの生活を支え続け42年。一茂、三奈を含む二男二女を育て上げた。“長島の奥さん”というイメージしかなかったが、“凄い”人だったと改めて思う。ご冥福を祈ります。
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浅間山大噴火の時の美談

2007年09月20日 | 日々の記録

<浅間山、鬼押し出し>

この前の社内旅行で鬼押し出しに行く途中、バスガイドさんが鎌原(かんばら)観音堂を通り過ぎる時に、車内でガイドしてくれた。

「天明3年(1783年)夏に浅間山が大噴火し、溶岩が流れ出て鎌原村を襲いました。500人の村人が亡くなり、観音堂に逃げた93名だけが生き残りました。観音堂の階段は現在、地上に出ているのは15段ですが、昭和54年に発掘調査をしたところ、50段あることがわかりました。また、発掘の時に女性の遺体二つが発見されました。これは、嫁が姑を負ぶって逃げる途中に溶岩につかまってしまったと言われています。この嫁は自分だけが逃げていれば、助かったのに姑を負ぶっていたために命を落としてしまいました。」

という、エピソードを語ってくれた。

これを聞いて「美談だ。けなげな嫁がいたもんだ。」と感心したが、200年後に発見された女性の2遺体が“嫁と姑”だとどうしてわかったのか?疑問に思った。

そこで家に帰ってからネットで調べてみた。ウィキペディアの記述は以下の通り。

**********************************
浅間山噴火と観音堂

天明3年(1783年)7月8日、火口より13Kmにある鎌原村は、浅間山の大爆発による火砕流に襲われ、壊滅。この際、火砕流に気づき、階段を上り観音堂まで避難できた僅か93名のみが助かった。この災害では当時の村の人口が600人程であり、477名もの人命が失われた。

昭和54年の観音堂周辺の発掘調査の結果、石段は50段あることが判明、現在の地上部分は15段であり、その少し下で女性2名の遺体が発見された。

また、下流の吾妻川では、川原から観音堂(旧延命寺)の石標も発見された。

村がまるごと飲み込まれたことから、東洋のポンペイと呼ばれ、その様子は隣接した郷土資料館に展示してある。

現在、火山災害から命を救った観音堂は厄除け信仰の対象となっている。  
**********************************

女性2名の遺体発見は事実のようだが、“嫁と姑”ではない。他のネットで以下の内容の記事をみつけた。

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 1979年夏、地中に埋もれた階段の発掘調査が行われた。パワーショベルで5m掘り進むと、階段の延長が現れた。そしてそこには2体の女性の遺体が横たわっていた。一方は若い女性で、他方は年老いた女性だという。骨の鑑定から親子らしいということがわかった。1783年夏、迫り来る若い女性が母を背負って熱泥流から逃れようと観音堂の階段を上がろうとしたところ、間に合わずに飲み込まれてしまったようだ。
**********************************

この記事では「骨の鑑定から親子らしいということがわかった」と書いており、どうやら実の親子のようだ。“実の母と娘”ではニュース性が薄いと思った村の実力者が“嫁と姑”として話しを面白くしたのかもしれない。犬が人を噛んだのではニュースにならぬが人が犬を噛めばニュースになる、という類か。

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ヤンキース、アルディージャ、ジャイアンツ

2007年09月19日 | 野球

<松井24号ソロ>

ご贔屓の近況チェック。

まずはヤンキース。松井が40日ぶりにホームランを放った。8月の後半から調子が落ちていた。9月の打率は1割前半の成績。それでもトーリ監督は松井を5番で使い続けてくれる。信頼の厚い証拠か。今日の24号ソロをきっかけに、調子を上げて残り12試合を悔いなく戦って欲しい。

ヤンキースもなんとか、プレイオフには出れそうだ。今日ボストンが負けたので、差は3.5となり、地区優勝の芽も出てきたが、さすがに無理か。ワイルドカードはデトロイトに3差つけた。確実に手にして欲しい。

ヤンキースといえば、最近、松井の次に気になるのが、ジョバ・チェンバレン。さすがに、彼ぐらいの逸材だと日本のメディアも放っておけないようだ。三週ほど前になるが、「週刊文春」の松井のコラムでも取り上げられていた。

それによると彼の父親はネイティブアメリカン、つまりインディアンの血が流れているそうだ。父親は身体が不自由にもかかわらず、男手ひとつでジョバを育て上げた。キャッチボールも右手だけで教えたという。その父を見て育ったジョバは「人間できないことはない」と思いながら成長したという。それくらいであるから、親孝行でも有名らしい。

9月8日のロイヤルズ戦のTV中継ではその父親が観戦に来ているシーンが映された。ジョバは2イニングなげて無失点。勝ち試合に貢献した。それまでくつろいで観戦していた父はジョバが出てくると感激で目頭が熱くなっていたようだ。そして、ジョバの活躍を観て「息子を誇りに思う。」と賞賛していた。親が子を称え、子が親を敬う。そんな親子関係に感動した。

極端な例を出して、今の日本を批判したくはないが、京都では16歳の少女が警察官である実の父親を手斧で殺害したという。こういう報道を聞くと、単純に日本の親子関係はどうなっているの、と首をかしげざるを得ない。

大宮アルディージャ。浦和戦ではあんなにいい戦いをしたのに、磐田には簡単に負けた。サッカーのことは詳しくないが、チームの好調なリズムを維持する、というのは難しいことのなだろうか。試合の度にチームが違って見える。それが、実力なのかもしれないが・・・。残り9試合“浦和戦”のリズムを思い出して頑張ってくれ。そして、晴れて大宮スタジアムに凱旋してきて欲しい。

次は巨人。阪神に二連敗。惜しい戦いをしているが結果は出ていない。今年からクライマックスシリーズというのがあるそうだから、3位までに入れば、優勝の可能性が無いわけではないが、ピリッとしない。なにか物足りない。

物足りないといえば、そもそも、ペナントレース大詰めの首位攻防戦。しかも伝統の巨人阪神戦が民放でTV中継が無い!おいおいこんなことでいいの?と思ってしまう。ヤンキース戦は毎日のようにNHKBSで観られるのに。日本プロ野球界(巨人と言い換えた方がいいのか)はとにかく、放映料を安くしてでももっと中継を増やすべきだ。このままでは“火”が消える。
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社内旅行

2007年09月18日 | 日々の記録

<鬼押し出しから見た浅間山>

16日~17日は社内旅行。草津に泊まって、“ど宴会”を実施。野球を一試合やってからバスに乗り込み、缶ビール4、ワンカップ1、チューハイ1を呑む。宿について一風呂浴びてから、宴会まで、ビールロング缶、720mlの生酒などを呑む。宴会の始まる頃には大体出来上がっていた。

乾杯で宴会が始まり、みんなに注いだり、注がれたり。メインのクイズ大会あたりから、意識が朦朧。早朝から野球一試合こなしていたこともあり、会場の端で眠ってしまう。一度起き上がったが、胡坐で座ったまま、首を垂れて寝る。おかげで翌朝起きた時に妙に首が痛い。最初は野球で痛いのかと思ったが、不自然な形で寝たのが原因であったのだ。

それでも二次会のカラオケタイムには復活を遂げる。ところが、何を歌ったかはあまり覚えていない。ワーワーやっていたのだけは記憶にある。カラオケが終わって、何人かでラーメンを食いに行こうといことになり、ホテル内のラーメンスタンドに行く。普通の醤油ラーメンが850円もする。味は覚えていないが値段だけは脳裏に焼きついた。

もう部屋で寝ようと思って、部屋に行くが開いていない。鍵を持っているのは同僚のK氏だ。K氏も結構酔っていてどこにいるかわからない。散々捜したあげく、先ほどのラーメンスタンドで発見。女子社員相手にワーワーやっている。「××さんは太ったねぇ。」などとセクハラ発言を大声でやっている。K氏がこういうハシャギ酔いをしている時はまず、翌日「覚えていない」ということになる。

K氏に「鍵ある?」と聞くと浴衣の袂を捜すが無い。「あれ、どっかにおとしたぞぉ。」ということで、皆で騒ぎながら捜す。結局、カラオケボックスに落ちていた。ようやく、部屋に戻って眠ることができた。

翌朝、起きてK氏に確認。やはり覚えていない、という。一行は朝食をすませて、9時に出発。浅間山の鬼押し出し見物に行く。空は晴れて、清々しい。空気が澄んでいるためか空の蒼さが、大宮あたりとは違う。昨日のドロドロの雰囲気の“ど宴会”とは好対照で気分のいい散策となった。

お昼は横川名物おぎのやの釜飯。ビールが呑みたくなったが、解散場所からはクルマを運転して帰るのでやめておく。帰りのバスでは、皆疲れたとみえて、寝ている人が多かった。15時半に解散。上州の高原地帯から降りてくると関東平野は異常に暑い。まだまだ残暑が厳しいぜ。
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日曜日の結果

2007年09月17日 | 野球


昨日のブログで「本日のイメージ」なるものを描いた。その“結果”を以下報告。

まず、野球の試合。春に負けた相手との「雪辱戦」は予定通り8時半に始まった。先攻は我がチーム。小生6番サードで先発。初回、2アウトから、3番ヒット。4番がエラーで出塁。5番四球。で2死満塁のチャンスをつくり、小生の打席となる。いきなり、チャンスだ。春の大会ではこういう絶好の得点機会にクリーンアップが打てずに負けた。試合後、その不満を発言した覚えがある。ここで打たないと試合後なにを言われるかわからない。

初球は切れのいいカーブでストライクを取られる。カーブの得意な投手だ。追い込まれると厄介。次のストライクを打たねば。と思っていたところに外角低めにストレートがきた。素直にバットが出、一二塁間を突破。ボールはライト前へ。これが、2点タイムリーとなって先制点を奪う。“本日のイメージ”通り、タイムリーを放った。いや、先制2点タイムリーだ。“イメージ”以上の活躍だぞ、これは。

その後一点を追加した我がチームが5回まで3-0で試合を優位に運ぶ。5回裏相手に1点を取られ、3-1。試合は長引いていたので規定により、6回の攻防で終わり。つまり、6回が最終回だ。若手エースのTが5回までなんとか相手打線を1点に抑えていたが、そろそろ交代時期とみた監督がクローザーとして小生を指名。6回表の攻撃の時にブルペンで投球練習を開始。2点差じゃきついな、と思っていると味方打線が2点追加してくれる。これで5-1。4点差あれば、楽勝だ。と思い6回裏のマウンドへ。

ところが、投げてみて気がついたが、残暑厳しき日曜日。小生も結構バテていた。いつものような制球力がなく、苦戦。1点を取られ、尚、二死一二塁。ホームランを打たれれば同点だ。改めて気合を入れなおす。2ストライクと追い込んでからタイミングを外すカーブを外角低めに投げる。バッターはこっちの期待通り、引っ掛け、ピッチャーゴロ。丁寧にファーストに送ってゲーム終了。なんとか勝った。春の雪辱を果たしたのだ。

打撃成績は2打数1安打、2打点。2四球。2盗塁。出塁率.750。本日も暑い中、ダイヤモンドを走り回った。

試合終了10:15。そそくさと着替えて、クルマでバス旅行の集合場所へ向かう。10:40には到着。11:15集合なので十分間に合った。同僚に試合の結果を聞かれる。「5-2で勝ちました。先制二点タイムリーを打ちましたよ。投げる方は最終回に1イニング、クローザーで登板しました。」といいながら、まだ冷えていない缶ビールで祝杯をあげる。アルコールはビールしかなく、ドライブインでワンカップを買って呑む。少々ウトウトとして宿到着。ひと風呂浴びて、“ど宴会”突入。いやはや、“本日のイメージ”以上の一日で、今回も余は満足、満足じゃ。


<“ど宴会”の始まる前。嵐の前の静けさか。>
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本日のイメージ・・・

2007年09月16日 | 野球


今日は午前8時半から、会社のチームの市内トーナメント戦の2回戦がある。7:20集合。応援団を迎えに行ったり、コンビニによったりを考えると6:15には家を出なければならない。相手は春の大会の準々決勝で負けたところ。前回は我がチームの4番がいなかったし、若手エースのTが肩を痛めて投げられなかった、という戦力ダウンの要素があった。本日は4番もエースも健在。しかも、今年から加入した秘密兵器、18歳の新人Sも出る。我がチームの“チェンバレン”だ。いわば、ベストメンバーでやれる。春の雪辱をはたす絶好の機会だ。

試合は10時半には終了する。その後は一泊二日の社内旅行がある。集合時間は11:15だ。バスで草津まで行くことになっている。グランドから、集合場所までは20分もあれば行ける。結構綱渡りであるが何とかなるだろう。

本日一日のイメージ。

まず、試合に勝つ。小生もタイムリーを放つなどして適当に活躍する。春の雪辱をはたし、気分上々で社内旅行のバスに乗り込む。「試合、どうでした?」と会社の仲間に聞かれる。さりげなく、「勝ったヨ」と言う。「おめでとう!」と言われ、冷えた缶ビールが差し出される。「どうもどうも」と言って祝杯をあげる。自慢話などをしながら、濃い酒にも手を出す。心地よい酔いが野球で疲れた身体に回る。後はバスに揺られて白川夜船。気がついたら草津の宿。ひと風呂浴びて“ど宴会”に突入。

とまあこんな一日になれば、いいか。

どうなるかは分からぬが、とりあえず、行ってきます。
コメント
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