萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第19話 「ポカラ~カトマンドゥ」

2008年01月18日 | 自転車の旅「インドを走る!」

<この旅で一番気に入っているスナップ。子供達に小生と同じように腕を組ませようとしたが、意図が通じたのは三分の一ほど。確か、ポカラを出て一日目のことだったと思う。>


カトマンドゥに行けば「日本料理店」がある。

この言葉は我々をどれだけ奮い立たせたか。この一ヶ月半、田舎道では朝昼晩三食とも土地のカリーを食い続けてきた。大きめな街ではチャイナがあり、そしてポカラにはましなウエスタンはあった。しかし、「日本料理」にはついぞありつけなかった。一度、「YAKIMESI」なるメニューがあった店があり、試しに頼んでみたが、酸っぱいオジヤのようなのが出てきた。腹は空いていたのに、とても喰えたものではなかった。

ポカラにいた日本人からの情報だと、カトマンドゥの日本料理店で美味しいのは「串藤」と「ラーラ」だと教わった。カトマンドゥに早く着いて思う存分味わいたい、というのが我々の切なる願いであった。

我々にとっての「日本料理」は三蔵法師の「経典」、ポパイの「ホウレン草」に匹敵する行動の原動力であった。

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M君、はやめに起きていた由。私も目覚める。時に六時半なり。今日はカトマンドゥに向けて発つ。さっそく、自転車に荷をくくりつける。M君、昨日買った、カジュラホの彫刻を形どった男女交合像を、宿の若妻に見せる。彼女、クスクス笑いながら恥ずかしそうにする。M君、ユー アンド ユア ハズバンド というと周りの子供達もクスクス笑う。面白し。若夫婦の写真を撮る。人が数人集まってくると若妻照れて、小屋の中に隠れる。微笑まし。




ポカラをようやく発つ。天気、晴れてはいたが、それほどよくなし。ポカラの街を出るとすぐ下り。気分爽快。五日ぶりのサイクリング、まずは快調な滑り出し。二人とも冗談を言いながら走ったが、だんだん暑くなってアップダウンを繰り返す嫌な道になるにつれ口数は少なくなる。

大きめの街で昼休止。買っておいた缶詰とそこで買ったパイナップルの缶詰を食う。元気が出る。この店にいた人、自信満々の早口の英語で「飯は食わぬか。オムレツあるぞ。」という感じでしゃべりまくる。ネパリにしては随分インド的な人だと思っていると、正真正銘のデリーから来たインドのマップ商人だった。なるほど。

その人曰く、ここから先は、プレイン(平坦)だ!と豪語する。いくら、いい加減なインド人でもマップを商っている人が言うのだから間違いなかろうと、“楽勝”の気分で行くと、なんのことはない。標高差300mぐらいのちゃんとした峠があった。あのインド商人の発言はインド人の特徴のひとつだ。ようするに、他人の身になって考える、という思考がないのだ。おそらく、クルマでしかこの道を通ったことがないに違いない。クルマでは平坦に見えても、自転車ではそうはいかない。M君と二人でブーブー文句を言う。

その峠から、下って着いた町がダムリ。宿があり、そこに泊まる。そこでカトマンドゥの日本料理店「串藤」で働いていたという人に会う。「串藤では何が旨いか」と聞くと「TENPURA」「SUKIYAKI」などの答えが返ってくる。いいねぇ。ぞくぞくするね。早く喰いてぇ。が、串藤までは、まだ遠い。

夜、二人でとりとめもない、何度も話したようなことを話しながらやがて寝る。蚊なし。

翌日、八時ごろ宿を出る。終日、わりと楽な行程であったが、休み休み行く。この日は、七十五キロ走って、ガンジャリとかいう村落にたどり着くが、ここには宿がない。

しかし、運のいいことに清水建設の仕事で来ている日本人の谷口さんという人に出会え、彼のネパールの友人の部屋に泊めてもらえることになった。

夜、その人と三人プラス子供で、川の方へ散歩に行く。蛍がとても綺麗であった。日本のよりもいくらか小さめだが、光が強く、星が地上に降りてきたような美しさがあった。そこの子供達、日本人との交わりがある所為か「ニッポン」ときれいに発音したり、「日本は最初に太陽が昇る国だ」「国旗が太陽をかたちどっている」など日本通であった。

ポカラを出て三日目の朝。この日は64キロ、カトマンドゥまで。いよいよ、今晩は日本料理にありつける。自ずと力も入るし、先へ先へと急ぎ気味になる。カトマンドゥでサイクリングを終えるM君にとっては、ラストランになる。

カトマンドゥの手前の26キロ地点のナウビセまでは、登りもあまりなく、順調に進む。しかし、ちょうど暑い盛りであったのでバテた。M君も私も口数少なし。やっと辿り着いたナウビセで冷たいファンタオレンジを立て続けに二本づつ飲む。これで息を吹き返す。

休むといつもながら、どこからともなく子供が来る。十歳ぐらいの女の子が幼子をたくみに腰と肩をつかって抱きながら、寄ってくる。可愛い子なり。M君、ビスケットを一枚やろうとすると、その娘、家の方を振り返って、マミーの顔をうかがって、少し躊躇した後、手を出す。

さて、これからがゴンゴン登りの十数キロだ。はて、いかなる行程か?不安を抱えて、いざ出発!

と、そこへ以前にも会ったことのあるカリフォルニアの夫婦あらわる。彼曰く、「ここから先はダート(地道)だ!」

(我々)ガーン!

それはないよ、ここまできて。最後の最後の試練であるか。しかたなし。ヨロヨロと登る。ディレーラーの調子が悪いが、休み休み何とか登る。

峠の途中で休憩したおり、10頭ばかりのヤギの群れが我々の2~3m下にいた。面白半分に石を投げると、ビックリしたヤギたちが、一斉に逃げる。気がつかなかったがヤギ飼いのオジサンがそばにいた。急に逃げていくヤギをみて、オジサンは慌てふためいて「チェロ、チェロ」かなんか言って追い回していた。何気なく投げた石が、オジサンに余計な仕事をさせてしまった。悪いことをした。

それにしても、道がひどい。ポカラとカトマンドゥを結んでいる道なら、日本で言えば東海道にあたる大動脈だ。もう少し、なんとかならないものか。もちろん、ダンプ、バスなどの交通量も多いから、道の痛みも激しいのだろう。所々工事はしていたが。

よろよろと、やっと、峠に着く。とりあえず、安堵。次第に「ついに、ここまで来た」という達成感が湧いてきた。感動ひとしおなり。E君もおればどんなによかったか。カトマンドゥ盆地が見渡せる。振り返ると、今登ってきた谷が見える。地形的に言えば、群馬県側から登った碓氷峠と軽井沢の関係が、この峠とカトマンドゥの関係だ。登りがきつくて、下りは少ない。

しばしの休憩の後、下る。市街地までは階段状の下りにて面白し。想像していたよりもカトマンドゥは大きな都市だった。

つづく

※「インドを走る!」について


コメント (6)
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