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<貞山掘。思っていたより広く豊かな流れだった。>
本日は久々に自転車に乗る。仙台市の南を流れる名取川の河口付近まで下ってから、進路を南に取り、岩沼市と亘理(わたり)町の間を流れる阿武隈川河口までの往復、約70キロである。お供はこの前盗難にあったが、無事戻ってきた武蔵丸(BS製プレスティーノ インター8)である。
江戸時代初期に伊達政宗が造ったという「貞山掘」沿いに走った。“貞山”というのは政宗の贈名であり、明治の時代になってから付けられたという。江戸初期はこの名取から阿武隈までの運河は“木曳掘”と呼ばれていたとのこと。
木曳堀の主な目的は、阿武隈川と名取川の両河口を結ぶことにより、
①阿武隈川流域と仙台城下を結ぶ物資輸送路の整備
②名取平野の新田開発のための農業用排水路を確保する
ことであった。
小生が想像していた“堀”はもっと細いものであったのだが、幅40~50mはある豊かな水路であった。江戸初期から既にこの川幅があったかは定かではないが、何事も派手好みの“伊達”であるから、当時からこの広さだったと思いたい。
9時に出て阿武隈川に着いたのは11時ごろ。昼飯は亘理町の荒浜にある、元祖ハラコ飯(鮭といくらのご飯)を食べさせるという「あら浜」に入る。(これが今日の“主な目的”
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)11時半頃入ったのであるが、すでに満員に近い。ぎりぎりセーフ。ハラコ飯を頼もうとメニューを見るが、季節があるらしく、今は載っていない。9月~12月と書いてある。あちゃ~。ショック!
仕方ないので小生好物のひとつ「いくら丼」を注文した。これはこれで期待を裏切らずに旨かった。今年の9月以降にまた来ようと思って外に出る。もう、10数人並んでいる。人気のある店なのだ。
阿武隈川の河口まで行く。太平洋だ。さすがに広い。この寒いのにサーフィンをやっている若者がいた。根性だね。見習わないと。
帰りは来た道をほぼ戻ってきた。道も間違わずに順調に走る。14時には家に戻った。9時ごろはまだまだ冷たい空気であったが、昼からは自転車を漕ぐには調度いい感じであった。晴天でもあったし、気分よく走れた。
冬の仙台でも十分走れることが分かった。今後は暇を見つけて多いに走ろうと思ったのだった。
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<いくら丼。実際はもっと、黒っぽい赤であった。>
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<寒いのに元気な若者。ひょっとして、海はあったかいのかネ。>