萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第32話「ブッダガヤ」

2010年03月02日 | 自転車の旅「インドを走る!」


1980年4月26日(土)晴れ

言わずと知れた快晴、熱風強し。朝五時半にうるさかったガキ共たちのいるツーリストバンガローNO2を出る。一路ガヤへ。涼しい内は走れたが、八時、九時と暑くなるにつれ、走る気がなくなる。

お湯のようなボトルの水を口に含む。すこぶるまずい。妙な味がする。途中、真っ黒な大きな岩を積み上げたような小山があって人目を引く。この辺りは起伏もあり、ヒンドスタン平原のように単調な景色ではないのでいいのだが、とにかく暑い、暑い、暑い。

十時から三時までは走らぬと決めていたが、最後のまとまった走り、ということで無理をしてみる。これが、見事に失敗。地獄を見る。バテた身体で灼熱の中を走ったので著しく体力が消耗し、数キロ走っては木陰を見つけて飛び込む、といった情けない走りになってしまったのだ。

その内まずい水も底をついたが、店はおろか、民家も見当たらぬ。ついに来るとこまで来たかと覚悟を決め、水を求めて数キロ走る。もう、ガヤがどうの、サイクリングがどうの、旅がどうのの話ではなくなる。生命にかかわる問題になってきた。水だ。水だ。水をくれぇ。

やっと民家を見つける。バスを待つ人たちが木陰で座っている。そこへ倒れるようにドサッと自転車を横倒しにし、パニィ、パニィと叫ぶ。(「パニィ」は「水」の意)私の勢いに驚いたのか、品のいい感じのお婆さんが一リットルは入るステンレス製の壷に水をいっぱいにして持ってきてくれる。葉っぱやら、色やらついていたが、かまわない。ゴクゴク飲む。うまし。

一息ついた後、また走る。今度は二、三キロで少し大きな村に入る。コーラを冷やしている屋台は無いかと探しながら走る。コーラは売っていなかったが、木陰に麻のベッドがおいてあるチャイ屋をみつけ、そこで休憩。ラジギールの坊さんにもらった菓子を食べて元気をつけ、木陰のベッドで昼寝をする。眠ったのと、いくらか涼しくなったおかげで体力回復。二時半、また出発。ガヤまで6キロ。一度も休まずに行ける。当然か。

ガヤ。結構大きな街。コーラ等を売ってる店も沢山ある。ホテルへ入ってすぐコーラをたのむ。部屋に持ってきてもらったのを飲む。うまし。昼間の間中、呑みたかったコーラだが、飲んでしまうとあっけない気持ちにとらわれる。期待が大きすぎたか。コーラはいくら旨くてもコーラ以上のものではないということか。

明日午前中ブッダガヤに行くことにして今日はここでのんびりする。ホテルの一階でよく冷えたコーラやファンタなどを売っている。値段は少々高いがよく冷えていてうまい。こういう店があるのは都会の証拠である。

1980年4月27日(日)晴れ

朝の涼しい内にブッダガヤへ行く。10キロの道のりである。荷物は、ナップサックひとつ。楽勝なり。道沿いには並木があって涼しい木陰を作ってくれている。ブッダガヤに近づくと例の大塔が見え出す。やっときたかという感慨はあまり起きず。着くとそこは大塔を中心にバザールや土産屋が並ぶ観光地である。坂を少し登ると色のすこぶる白い日本人と日本語を話す地元のチビが私に声をかけてくる。立ち話もなんなので、ラッシーでも飲もうということで茶店に入る。

彼は今日、カルカッタからここについたと話す。道理で色の白いわけだ。このクソ暑い時期によくこれから旅する気になると思っていたら、彼、医者の大学を出て国家試験を受け、発表までの間旅行するのだという。前にもインドへは来たらしい。私のサイクリングの話を聞いて、「へぇー。タフやなぁ」と言う発音から、彼は関西人と判断。

インド人のチビが時々巧みな日本語で口をはさむ。自転車を売れという。三年も乗ってるんだというと、それならなおさら売ればいい、という。小さい時から、金しか頭に無いガキに“愛着”という言葉は説明しても無駄だろうから取り合わぬ。それでも、あまりこれを買え、それを売れとしつこいので、変な数珠を買ってやって追っ払う。祖母にでもやろうと思った。

大塔の中へ入る。五十パイサなり。5ルピー出せば案内してやるという男あり。体よくことわる。入口のところでサンダルを脱がされる。中は土足厳禁のようだ。これといって見るものはない。ただ、菩提樹の下だけは涼しくて気持ちいい。欧米系の若い女性が一人数珠をもって拝んでいた。

涼しくて気持ちいいので寝転んでいると警備員がきてダメだと叱られる。インドにしては随分とキチンとしたところだ。蓮池というのを見に行くが、オフとあって水が無い。乾季のうちに掃除をしてしまうのだろう。

インド人じゃないから、熱で暑くなった石畳を裸足で歩くのはきつい。日陰になってるところを選んで外に出る。特に面白いことはなかった。出る前に手招きをする老人がいるのでその建物に入ると合掌をしながら、ボロボロのガーゼのような布を仏像の首にかけろというので二つの仏像にそれをかける。また、合掌してブツブツお題目を唱える。

出ようとすると、10RSよこせという。はじめドゥ(ヒンドゥ語で「2」の意)と聴こえたので2RS渡すと、違う、テンだ、ジューだ、10ルピーだ、という。何だと。勝手に人を呼び込んで、こ汚ねえガーゼを仏像にかけただけで10ルピーはねえだろ。2ルピーは取られたが、そのまま出る。

出口のところでサンダルを履き外に出ようとすると、靴番、バックシーシーと私を引きとめる。うるさいので50パイサ渡す。思うに神聖ななりをしているこの大塔内もなんのことはない。ただの観光地ではないか。それも、おもに日本人という、こういうことに金に糸目をつけずに使う人種目当ての。

日本語をしゃべる野郎も多く、それがすべて金儲けの為の日本語であって、何を売れ、これを買えとうるさい。夕方までこの地でのんびりしようと思っていたが、とてもくだらぬところなので、暑い盛りではあったが、おしてガヤへ戻る。ガヤのがまだましだ。こっちの方が余程落ち着ける。ここには真のインドの人々の生活があるからだと思う。聞きづらい日本語を使う人もいない。必要ないからだ。

嘘の多いガイドブックしかないから、真実のガイドブックを作るために努力したという「インドを歩く本」のブッダガヤの一説。「ヒンドゥー教のガヤからこのブッダガヤに来ると非常に落ち着けていい。」などと書いてある。この人は、ブッダガヤの何を見たのだろう?それとも私の感性の方がおかしいのか。

                (つづく)                

インドを走る!について
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