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<さすがはせんべいの町>
「おくのほそ道」を草加から蒲生まで歩いた。まずは日光街道沿いのせんべい屋さんに入って、せんべいを二枚買う。バリバリと齧りながら歩いていると、巨大なせんべいの看板に出くわす。道頓堀のカニ道楽の巨大なカニを見た時以来の驚きであった。途中の「札場河岸公園」には芭蕉像やNHK「坂の上の雲」で旬の正岡子規の句碑などがある。
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<芭蕉像>
芭蕉はその著「おくのほそ道」で草加に泊まったように書いているが、同行の曾良(そら)の日記には初日は粕壁(現、埼玉県春日部市)に泊まったと記されており、江戸からの距離と当時の旅人の基準で言えば粕壁まで行ったとするのが正しいようだ。
しかしながら、「おくのほそ道」では草加が出てくるので、草加市としては町興しネタとして、“芭蕉”をおおいに利用しているようだ。この公園内に「百代(ひゃくたい)橋」「矢立(やたて)橋」などを作って名所としているのをみてもわかる。
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<草加松原遊歩道>
この公園から、綾瀬川沿いに北へ「草加松原遊歩道」が整備されている。1.5キロある。散歩する人やジョギングする人も多く、市民に親しまれているようだ。もともと江戸時代から「千本松原」などと称され名所となっていたようだ。クルマに脅かされることもなく、日陰もあるので気持ちよく歩けた。
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<正岡子規の句碑>
梅を見て 野を見て行きぬ 草加まで
この句は明治27年3月24日付けの新聞「小日本」に載ったものだそうである。
「亀戸木下川に梅を観、蒲田小向井に春を探らんは大方の人に打ち任せて、我は名もなき梅を人知らぬ野辺に訪はんと同宿の虚子をそゝのかして薄曇る空に柴の戸を出づ。――」
この吟行記は、子規が高浜虚子を誘って二人で草加まで行った小旅行の記録だそうだ。千住街道を歩き、千住の市場を見て梅島村を経て草加に向うコースで小生が辿った道とほぼ一緒である。
「亀戸木下川の梅」や「鎌田小向井の春」といった名所を探るのは他の人に任せ、我々は鄙びたところの梅を観に行こうではないかと虚子を誘って根津を出たのだろう。
この年の8月に日清戦争が始まっている。世の中は殺伐とした雰囲気であったろうが、この句には伸びやかで明るい趣きがある。子規の故郷松山を歌ったものに
春や昔 十五万石の 城下かな
があるが、どことなく似た味わいがある。子規の持つ人柄なのだろうか。