萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第26話 「マザファプールでカメラ盗難!」

2009年02月03日 | 自転車の旅「インドを走る!」
マザファプールへは涼しくなった夕暮れ、なんとか着く。「ウェアーイズホテル!」とがなっているとジープの後ろに乗った、白い布をハリマオ風に巻きつけ、上下紫色の一見ハッピーそうな人が身振り手振りで教えてくれた。

ホテルの名はアルパナ。シングル7ルピー(約200円)。疲れているので明日もここに居そうだ。モティハリよりはでかい街だが、観光地ではないので食べ物はヒンディばかりだ。西洋風なのはトーストオムレツぐらいだが旨くない。やっと喰う。着いてから、5、6本はコークやファンタを飲む。この味ばかりは世界共通のようだ。

夜、早めに床に着くが、送電事情が悪いのか時々ファンが止る。汗が吹き出て目が覚める。しばらくするとファンが回るので眠れる。一晩でこれが何回か繰り返される。眠るのも大変である。この宿にもカヤは常備されていた。20RSも出して買った重たいカヤを持って歩くことは無かったようだ。なんてこったい!


1980年4月17日(木)晴れ

今日は休息日とする。昼寝をしたり、たまった旅行記をつけたりしてヒマをつぶす。もっぱらコークの類を飲みだめしていた。10本は飲んだろう。ダマンの下りの途中で会った日本人曰く「暑さに勝つには水と塩を多めに取って汗をかくことだ」というありがたい忠告を実践したおかげで気分の方も大分よくなった。

田舎のどぶ水を薄めたような飲み水よりは、マザファプールの水は旨い。ただ、食べられる物がトースト&オムレットのみなので飽きてしまう。泊まっているホテルのよりもすぐ横の屋台のような店の方が味といい、値段といい、安くてうまい。ちょくちょくここに来る。あまたのインド人にどっから来て何処へ行くのかを説明せねばならないのは苦痛だが。

昨晩も会った学生の若者、今日もここで会う。彼、19歳なり。食事の後、家へ来いという。面白そうなのでついててゆく。彼の自転車のトップチューブに腰かける、インド式乗り方で連れて行ってもらう。慣れぬ乗り方でしんどかった。彼の家は結構大きく、庭先で彼の父や兄らしき人と近所の人々で何か話をしていた。

そこへ行って座に加わる。可愛い彼の妹や弟が遠巻きに不思議な顔で私を覗いている。話しはいつもの通り、サイクリングのことやインドと日本の違いなどを話題にした。帰りは彼が宿まで送ってくれた。道々、若者らしく映画のことや女性について話をしていた。明日は早く起きて、出発だ。早めに寝た。


1980年4月18日(金)晴れ

ああ、この日の旅行記をつけるのはなんと辛いことか。事の起こりはこうである。朝、五時。眠い身体をなんとか起こしてトイレへ行く。鍵は朝も早いし人気もないから、めんどうなのでロックせずに共同トイレにゆく。向こうにちらっと人影をみるが、さして気にせず、トイレへ入る。

ベランダに足音が聞こえ、だれかがトイレを待っているのかと思い、早目に出るが、誰も居ない。部屋の前まで行くと、ちゃんと〆たはずのドアが少し開いている。ハテ?これはやられたかと、慌ててドアを開け、フロントバッグを調べる。

カメラが無い!財布が無い!周りをよく見るがやはりない!
しまったァ!やられた!

部屋に鍵をしてから、ホテル内を捜索する。玄関まで駆け下りたが、まだドアは閉まっている。してみると二階のベランダから飛び降りでもしない限り、犯人は内部に居る。と思っていると一人のスーツケースを持ったこぎれいなカッコのインド人、ボーイに玄関のドアを開けるように交渉している。彼、急ぐようにして出てゆく。

後で思えばあやつが犯人だったかも知れぬ。余り綺麗な恰好をしていたので、気の動転していた私はつい見逃してしまったが、バッグを改めさせてもらえばよかった。クソ!

それから私の騒ぎで人々が起き出し事情を話し、いろいろ探してもらうが見つからず。ともかくも、ポリスオフィスに行くことにする。カメラは盗難保険に入っているが、盗まれた場合、警察の証明書が必要になる。最低限、なんとしてもこれだけはもらっておかないと。

ポリスオフィスはリキシャで1RSのところ。事情を話し、署のサイン入りの調書をもらう。ポリスステーションへこれを持っていけと言って詳しく書いた紙を持ってくと、こことは違う場所のポリスステシャン(現地ではステーションをステシャンと発音する)へ行けと言われる。縄張りがあるようだ。面倒だが、持ち合わせがないので一旦宿へ戻る。

財布も盗まれたので、もうインドルピーがない。わずかに70パイサ(約20円)である。これは重大な金融危機だ。最初にステートバンクへ行って換金しようと考えたが、リキシャ代も足りなくなるとまずいので、ここのマネージャーらしき人に後で返すから、ポリスステシャンまでのリキシャ代だけでも貸してくれとたのんだ。大した金額ではないので簡単に貸してくれると思いきやさにあらず。「何故、おまえはポリスへ行くのか」と聞いてくる。

このマネージャーには、まだ、私のカメラが盗まれた事件が伝わっていないと思い、事情を話す。と、このインド人曰く「このホテルはセーフティだ。おまえはどこか他の場所で失くしたに違いない。このホテルは10年間一度も盗難などは無かった。」私、「ノーノーノー。カメラは自分の部屋から持ち出していない!」それでもこのクソ野郎は自分のホテルを信じてか「絶対、他の場所でおまえが失くした。」といい張る。

さすがの私もこれには腹が煮えくり返る思いがした。いくらインド人が自分に自信を持った固定概念の塊のような国民性であるにしろ、これはないだろう!おまえのホテルで客のカメラが少なくとも紛失したのであるぞ。何がアナザプレースだ。バカヤロー!

以後このクソオヤジとは一言も口をきかず、目も合わせなかった。

仕方ないので最初に70パイサもって銀行へ換金に行った。リキシャ代は50パイサだった。ギリギリセーフ!ついに持金20パイサ(約6円)となる。インドでもっとも私が金を持っていなかった瞬間である。直後に百ドル換金。急に大金持ちとなる。すっかり、懐が豊かになって気も落ち着いた。やはり、地獄の沙汰も金次第である。

ポリスステシャンへ行って、事情を話し、また、別の調書を取る。終わって、茶をもらう。先のオフィスでも茶をもらった。インドのこういうところはいいのだが。ホテルに帰って、部屋で本を読んでいると、いきなり二人のポリスマン登場。ちょっとびっくりする。検証しにきた由。いろいろな人に話しを聞いて帰る。

腹減ったので例のオムレットトーストを食べに行く。(結局、ここに2日半いて食べたのはこのオムレットトーストのみで、実に七食もこれを食った)。それから、街をぶらつき焼トーモロコシ(一本15円)を齧りながら、サンダルを買う。(毎日酷暑の中を走るのでクツよりもサンダルの方がいいと判断。)

サンダルはカカトで止めることのできる奴を何軒か回った後、450円で買う。シューズを売ろうと試みたが、紐が切れていると相手にしてくれないようだ。夕刻、ホテルに戻ると、オーナーとポリスマンが来て、「君の換金した800ルピーを見せてくれ」と言われる。私を疑っているようである。部屋へ連れて行き見せる。換金番号801とUS$のNOを控えてゆく。

あまり、悔しがっていても仕方ないし、野球でもそうだが、一つのエラーを気にしていると次にもまたエラーをしてしまうものである。迷いはふっきってしまうに越したことはない。ベッドにもぐり込んで寝ることにする。

それにしても、カメラの中にはダマン峠で撮ったヒマラヤのフィルムが入ったままだった。せめてフィルムだけでも置いてけよ。チキショー!

     <つづく>


<盗まれたカメラNikonFE。この日より、写真なしの旅となる。実際はダマン峠以降から写真はない。>

※「インドを走る!」について
コメント (2)
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