萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

平成二十年 大晦日

2008年12月31日 | 日々の記録


 今年もいよいよ大詰め。年賀状、大掃除らしきものは一応済ませたし、お昼には好物の「鴨汁そば」も年越し蕎麦として食べてきた。後は大宮の街に繰り出して2008年締めの一杯をやって終了だ。年が明けるようなら、そのまま氷川神社にお参りして来ようかとも思っているが、とにかく混んでるから、避けた方が無難かも知れん。毎年二日の早朝に行くことにしている。その方が空いていてお札なんかも、落ち着いて買えるのだ。

今年を振り返ってみると、なんといっても七月の仙台転勤が小生の生活を大きく変えた。とにかく、下期の六ヶ月間は仕事の守備範囲(北日本全域)を飛び回るので多忙であった。昔から知らない土地を見て回るのは好きな方なので苦にはならないが、時に疲れがたまってるな、と思うこともあった。大抵は呑み過ぎなのだが・・・。

また、飛び回ることは不規則な生活を強いられるので、コツコツと積み上げていく趣味や生活には向かないことがわかった。年間100冊の読書も今年は達成できなかったし、一日断食も年60回を割ってしまった。自転車に乗るのも、たまに行く自転車の旅以外は乗れなくなったし。自然、体重も増えてきてしまった。この辺りが来年度の生活面の大きな課題となる。

ま、何にしても、仕事のおかげで多くの仲間と語り合えたし、生活も成り立った。おまけに趣味的な面も大いに堪能できた。ありがたいことです。この一年間、お世話になった人々、おおいに呑んでくれた人達、(大半はこのブログを見ていない人の方が多いが・・・)大変お世話になりました。来年も宜しくお願いします。

ブログを見てくれたお方、来年もよろしくお願いします。そして、皆様もよいお年をお迎えください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

師走

2008年12月30日 | 日々の記録


いよいよ今年も大詰め。今日の大宮は気候も穏やかで過ごしやすい一日であった。年賀状と大掃除と思ったが、明るい内は年賀状でほぼ時間を使い果たした。毎年、もっと早めにやろう、と思うのだが、いつも切羽詰らないと出来ない。ま、そういうものなのかもしれないが。

写真は仙台の光のページェント。27日の晩、これが見納めと何枚か撮ったのだが、ピントがまあまあなのは上の一枚のみだった。難しいね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大宮へ

2008年12月29日 | 日々の記録
年末、呑んだくれの日々を続けてきたが、ようやく大宮の家に帰れる。帰れば大掃除、年賀状書き、地元仲間との飲み会が待っている。もう、呑めねえぞ、と思っても誘われれば、ついの世界だ。男は辛いね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津若松へ

2008年12月28日 | 日々の記録
今日から休みに入った。八連休だ。仙台から直接大宮に帰るのも芸が無い。ということで、本日は会津は芦ノ牧温泉へと向かっている。タイから帰って来ているドラゴン氏、呑み同志S二郎氏が合流する予定だ。三人で温泉忘年会と洒落込もうというわけだ。

会津若松でドラゴン氏と合流してまず一献。宿でS二郎氏が加わって、本格的忘年会となる。頂き物だが720mlの純米吟醸酒とツマミにソーセージを持参している。

温泉。酒。温泉。酒。温泉。酒。

という感じで、最後は気を失うようにして寝ることになるだろう。食卓に何が並んでいたか忘れないように写真を撮っておくことを忘れないようにしよう!

会津若松行きの鈍行に乗って携帯電話から書き込んでいるのだが、強風の為ノロノロと走っている。外は雪景色に加え靄混じりの吹雪でホワイトアウト状態。到着は30分ほど遅れるとのこと。そろそろ夕べの酒も抜け、腹も減ってきた。ハヨ着かんかね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008年仕事納め

2008年12月27日 | 日々の記録

<仙台のデスク。1月5日まで、この席には座らない。>

本日仕事納め。この職場(机)とも1月5日まで、しばらくお別れだ。もっとも、普段でも一週間ぐらいは留守にするのだが・・・。左のノートパソコンと右のデスクトップパソコンにはホントにお世話になった。彼等が居なければ、仕事もブログも順調には運ばなかっただろう。ノートパソコンの絵は上海は外灘(バンド)の夜景、デスクトップの絵はプラハ城である。自分の撮った写真で一番好きな絵ではないのだが、成り行き上、設定している。

右下のトレイに並ぶペン類は一年間コキき使ったものである。その間にある手帳と携帯電話は、これまた、公私にわたって活躍してくれた。本当に一年間お世話になった。来年も宜しく、といいたい。本日は、事実上14時で営業を止め、15時からは会議室でビールを呑みながら、一座のモンと一年間を談笑の内に過ごした。昨年までの座長はクルマ通勤で酒もあまり好きではなかったらしく、昼の三時からは呑んでなかったとのこと。

人が変われば文化も変わる。それが組織である。来年は座員が胸を張って歩ける、組織にしなければならぬと、肝に命じる新座長であったのだった。(ちょっと、酔ってます)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台に雪が降る

2008年12月26日 | 日々の記録

<早朝。部屋から外を眺める。>

早朝、外が騒がしい。強風が吹いているのか虎落笛がヒューヒューと喧しい。カーテンを開けて見ると、雲天で雪が舞っている。空き地やガソリンスタンドも一面雪景色だ。小生が仙台で見る“初雪”である。空き地のススキの靡くサマで風の強さも分かる。部屋は暖房が効いているので寒くは無いが、さぞや外は寒いのだろう。

しかし、これだけ降っていても道行く人を見てると傘も差さずに自転車に乗ってる人、歩いてる人が結構いる。半分はそうだ。雪の場合は傘を差さず、帽子やフードで行く人が多いようだ。

さて、会社までの2.3km。今日はどうやって行くか。クルマ(小生が使っていい社用車)は会社に置いてきてしまっている。自転車(武蔵丸)は滑りそうだし、この雪では走らせるのはどうも・・・。ま、歩くしか無さそうだ。30分もあれば着く。雪景色を楽しみながら行く事にした。

この前、山形で購入した靴底にギザギザのある革靴を履いて、マフラー、手袋、ダウンジャケットに身を包み、傘を持って出る。傘無しはさすがに勇気がいる。家を出る頃は風も止み、そう寒くは感じなかった。タダ、地面に薄っすらと積もる雪は大宮辺りに降り積もるのと違い、かなり硬い。雪というより“氷の粉”と言ったほうがいい。

思ったよりもすべることも無く(靴がいいのだと思う)、30分かからず、会社に着けた。たまには歩きもいいもんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山形~仙台

2008年12月25日 | 日々の記録
今、山形から仙台へクルマで移動中。仙台に着いたらささやかな呑み会がある。これで年末の仕事がらみの忘年会は打ち止めだ。後は仲間との呑み会が休みに入ってからあるだけだ。

今年もよく呑んだなあ。明日、あさってはゆっくりと身体を休めて年末年始に備えようと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山形の夜

2008年12月24日 | 日々の記録
今、山形にいる。世間様一般ではクリスマスイブということで賑わっているようだが、こちとら、大宮は氷川神社を中心とした八百神(やおろずのかみ)の信者としては、

そんなの関係ねぇ♪

と言ったところ。

今、ビジネスホテルの近所の居酒屋で一杯やって戻ってきて、ホテルのロビーのパソコンで書いている。明日は山形の一座のモンとお得意先に年末の挨拶をしてから仙台に戻る。仙台ではまた、呑む予定あり。

光のページェントの下では、酔った勢いで

メリー!クリスマス!

かなんか言いそうで、節操のない自分が怖い。が、日本の神々は幸いにして「寛大」である。なんでも許してくれる、と信じている。

信じるものは救われる、のだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最上川自転車散歩 第二話 「河口から清川へ」

2008年12月23日 | 自転車の旅
11月15日 土曜日

 朝、八時。酒田のビジネスホテルをチェックアウトして、ホテルの駐車場で折り畳み自転車「御免丸」の点検をすると、フロントギアの変速機が壊れている。インナーしか使えない。愛車とは名ばかりで、日頃の面倒を怠っていた罰であるか。

ま、本日の行程は最上川を遡って行くという“基本登り”なので、重いギヤはなくともナントカなる。走ってくれればそれでいい。

そんな準備をしていると、頭上から「コォー」という鳴き声が聞こえる。見上げると快晴の空に十羽ばかりの白鳥の編隊が海の方から鳥海山の方へ飛んでいく。その編隊だけかと思いきや、次々と5~10羽づつの編隊が飛んでくる。逆V字で編隊を組むもの、ロードレースのように一列縦隊で飛んでいくものなどあり、見ていて面白し。(このシーンは11月19日の「白鳥飛来」に書いた。)

旅の門出にいいものを見させてくれた。気分良く出発する。まずは市内を目指す。市内に「五郎兵衛食堂」というのがあって、ここの朝定食を食べてから出発しようと決めていた。十年前鳥海山へ山スキーに来た折、皆とここで朝定食を食べた。ご飯が多めで、しゃけ、納豆、味噌汁というごくありきたりの定食なのであるが、妙に旨かった。酒田に来たら朝飯はここだ、と思って楽しみにしていたのだが、なんと「本日休業」の札。残念、無念。白鳥飛来は吉兆ではなかったのか。


<懐かしき「五郎兵衛食堂」だったが・・・>

仕方ないので朝めし抜きで先を急ぐことにした。山居倉庫を見てから最上川河口まで行き、そこから川沿いを辿って、新庄方面へ行くつもりだ。山居倉庫はあの高名なNHK連続ドラマ「おしん」のロケ地にもなったところだ。かつての商都“酒田”を象徴する建物である。背後の欅が色づき、古色蒼然と居並ぶ倉庫は見ごたえがあった。

川が大海に達する、河口付近の景色は雄大な眺めで好きな景色のひとつである。そしてこういう場所は魚影が濃いのか、釣り人で賑わう。釣りは興味はあるが、経験はほとんどない。開高健の著作やコミックの「釣りバカ日誌」などに影響されて一時は本気で釣りをやろうと思った時期もあったが、悪魔の趣味と言われており、のめりこみそうなので、近づかないことにした。

河口から折り返して、気がついた。向かい風だ。それも結構強めだ。河口まで来るのにスピードに乗って快適に走れ、今日は「調子がいい」思っていたのだが、追い風だったのだ。

追い風の時は自分の実力と錯覚し、逆風に吹かれて初めて風の力を知る。

めげずに漕ぐ。河口から4~5キロも上ったところに、鴨たちが大挙して生息していた。羽根を休める白鳥も混じっていたが、圧倒的に鴨が多い。その勢いは最上川を埋め尽くすほどだ。豊かな川の証しなのだろう。


<山居倉庫>


<河口>


<鴨族、川を占領す>

遡上を続ける。クルマに脅かされながら走るのは嫌なので、なるべく川沿いのサイクリングロードを辿っていったのだが、こういうコースには食べ物屋がない。コンビニもない。朝めし抜きで走ってきたため、急に空腹感を覚えるも、補給先がない。「五郎兵衛食堂」での朝飯以外に補給方法を考えていなかったので、携帯食料も持っていない。水すら持っていない。自称ベテランサイクリストが聞いて呆れる、不用意さだ。

昨晩食べたオニギリの燃料はもうとっくに尽きた。段々と脚に力が入らなくなる。これで向かい風に対抗して漕ぐのは辛い。後、数キロも行けば、清川駅というのがあることを地図で知る。そこまで行けば、駅前になんかあるだろう。立ち食い蕎麦屋ぐらいはあるかもしれん。などと期待したのだが、無人駅がポツンとあるのみ。

それでも駅があるぐらいであるから、民家は多い。きっと何かあるはずだと先へ進むと、果たせるかな、駄菓子屋風の店がある。そこへ駆け込み菓子パンとチョコレートを購入。店頭でそれをむしゃむしゃと食い、なんとかハンガーノックだけは避けられた。

落ち着いたので、再び自転車に乗っていくと、清河神社というのが目に入る。覗いてみると、あの清河八郎を祀った社(やしろ)であった。そうか、この「清川」は彼の出身地であったのだ。


<清河神社と紅葉。なぜかモミジ色のフェアレディZ。>

幕末、勤皇の志士であった彼が幕府に働きかけ、将軍警護、京都守護のため、江戸界隈の浪人などを集めて浪士組を結成し、京に行ってから、反幕府の意図を明らかにした話は有名である。その意図に反対して京に残ったメンバー、芹沢鴨、近藤勇、土方歳三、沖田聡司等が後の新撰組になった話もまた有名だ。清河八郎が居なければ、近藤も土方も多摩の田舎で燻ったままだったかもしれない。

清河はこの地で生まれ、“神童”と称えられ、十八の歳で江戸に出た。幕府の学問所昌平黌に学ぶ傍ら、千葉周作の玄武館で剣を磨き免許皆伝を得、その後、清河塾を開設した。江戸市内で学問と剣術を一人で教える塾は清河塾だけだったそうだ。文武両道の人であり、この神社も「学問の神」「身体堅固の神」として祀られている。

こういう山深いところで育った人間でも幕末の動乱期にはじっとしていられなかったとみえる。なまじ才能に恵まれていたがために、江戸に出て、京に上り、諸国を巡り、やがて、動乱の渦に巻き込まれ非業の最期を遂げる。しかしながら、その勤皇が見込まれて、ここに神社ができた。不思議なことではあるが、人が“神”として祀られることは日本においては珍しいことではない。

「東郷神社」「乃木神社」「児玉神社」など、日露戦争で活躍した英雄達も皆、神社になって祀られている。一神教の国(ユダヤ、キリスト、イスラム)とは違い、おおらかで寛大な八百神(やおろずのかみ)の国だけのことはある。

文久3年(1863年)4月13日。清河は幕府の刺客「佐々木唯三郎」等六名よって江戸は麻布一ノ橋で討たれた。享年34歳。司馬遼太郎の著作によると知人宅で散々酒を振舞われて(この知人も刺客側とグルだったようだ)、帰り道に襲われた。騙まし討ちだった。最後の部分の描写を引用すると、

************************************************************

 致命傷は、佐々木の正面からの一太刀だった。右首筋の半分まで裂き、その勢いで清河の身体は左へ数歩とんで横倒しになり、半ば切れた首がだらりと土を噛んだ。

 土に、酒のかおりがむせるように匂っていたという。

************************************************************

なんとも、臨場感のある描写だ。昔、この件りを読んで、たらふく呑んで斬られると血の香りよりも酒の香りがするものなのか、と思った覚えがある。

清河神社を眺めていて、まず最初に思ったことも、この描写の部分であった。

                        (つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のんびりと仙台

2008年12月21日 | 日々の記録


本日は珍しくも仙台、しかも自分のマンション周辺で過ごした。天気はよく、風も無く、温かい一日であった。聞けば東京は19℃。こちらも日中は13~4℃はあったようだ。自転車で動き回ったのだが、よく汗をかいた。

他に目的も無いので、近所に美味しい蕎麦屋はないかと散策してみた。二軒ハシゴしたが、“もうひとつ”が一軒、“もう二つ”が一軒といったところだ。いい蕎麦屋というのは首都圏でも見つけるのは難しいので致し方ないが。

夜はこれも自宅周辺の呑み屋開拓ということで、初めての店に入ったが、ここは“もう三つ”という感じであった。ヒラメ刺、牡蠣フライ、チゲ鍋を頼んだのだが、刺身は鮮度がよくない。チゲ鍋は味がしょっぱ過ぎ。牡蠣フライはまあまあ。最後にたのんだ、オニギリはうまかった。オニギリだけ食いにくるか、と思ったぐらいだ。

平均して、仙台のこういう店の味付けはショッパイ(塩辛い)。塩や味噌を多めに使うようだ。セブンイレブンで買う弁当なども首都圏のものより、微妙にショッパイ。恐らく土地の味に合わせているのだろう。この味付けに慣らされると血圧があがりそうで怖い。

そろそろ、自炊を考えてみようかね。特に、今日のように時間がある時ぐらい自炊してもいいかもしれないと思ったのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌の“もうのまんぞう”氏と語る

2008年12月20日 | 健康、ダイエット


先週のこと。札幌巡業中に面白い人に出合った。

『ここ一ヶ月半、酒を一滴も呑んでいない。』

というのである。もともと、酒が嫌いな人なのかというとそうではなく、毎晩、晩酌していたという。休みの日には自転車で出かけて、帰りは昼間でも一杯ひっかけてから、帰ってくる、という。どちらかと言えば、小生に近い“酒呑み”であった。それぐらい、呑んでいた人が酒は“やめた”というのである。

「何故やめたのですか。」

と聞くと待ってましたとばかりに語ってくれた。

『まず、酒を呑むと物事を忘れる。話をしても、本を読んでも、翌日覚えていないことが多い。それが馬鹿馬鹿しい。呑んでる時間と酔っ払っている時間はまったくの人生の無駄であることに気がついた。何十年も酒を呑んできて、いまさら気づいた。大変な過ちだった。だから、もう呑むのはやめた。』

というのである。この人こそ、“もうのまんぞう”と言う名にふさわしい。

言われて見ればその通りだ、と小生も思った。金払って二時間も三時間も、二軒も三軒もハシゴして酒呑んで、グダまいたり、気勢を上げたりしても、翌日になって、ほとんど覚えていないことは確かに多い。それでもストレスが発散されて気分がスッキリして目覚めるなら、まだいいが、そういうことは滅多に無い。

むしろ、心の中にモヤモヤが残っていて、このモヤモヤは何だろう?などと、昨晩、言ったこと言われたことを必死で思い出し、それが、嫌なことであったことが判明し、いっそう落ち込む、なんてことの方が多い。

また、呑みすぎてどうやって帰ってきたか分からん、ということも一度や二度ではない。遠距離からタクシーを使って帰ってくることも多い。思えば、この出費も酒を呑まなければ発生しないものだ。タクシー代をケチって、酔って自転車で帰ろうものなら、途中、縁石にぶつかって転倒、打ち身に擦り傷まみれ。なんていうのも、一度や二度ではない。

挙句の果てに財布や定期入れ、ボールペンなどをどっかに紛失してしまったなどということも、これまた一度や二度ではないのだ。確かに、時間と金の大いなる無駄である。

“もうのまんぞう”氏に続けて聞いた。

「呑みたくなることはありませんか。」

『ないね。やめてみて感じたんだが、良く眠れるし、白いご飯が大変美味しい。夕飯なんぞも呑んでる時はダラダラと時間をかけて食べていたが、今はさっさと済ませて、好きなテレビを見たり、本を読んだりと、実に時間を有効に使える。今までの“アレ”はなんだったんだろうね。ホント、時間の無駄だった。』

確かに・・・。断食日などで呑まずに寝た時は眠りが深い。舌が荒れていないので味覚も鋭敏だ。前の晩に呑んだ後、ラーメンだのカレーだの食べていれば、一日胃が重いような感じがするものだが、確かにそんなことも無く、健康体を保てるのだろう。

また、聞く。

「断り切れない“宴会”の時はどうしてます?」

『ウーロン茶を飲んでる。お茶は旨いよ。十分さ。酔ってる連中に合わすことは問題ない。自分が呑んでいた時に宴会に呑まない奴がいても平気だったし、そんなに苦ではない。むしろ楽しいよ。』

うんうん。小生も一度だけ酒が呑めないのに宴会に出なくてはならない時があったが、思っていたよりもついていけた。ただ、呑んでる時はさして長くない二時間が、シラフだと異常に長く感じた覚えはある。

てなわけで、酒は呑まない方が、

 時間を有効に使える
 健康にいい
 経済的にもいい

という結論になるのであるが、タバコと違って、「百害あって一利なし」ということは無いんじゃないの。と思って、恐る恐る最後に聞いてみた。

「でも、酒にはなんかいいところがありますよね。」

『無い。それに気づいた。だから、やめたんだ。』

と札幌の“もうのまんぞう”氏はキッパリと言い切ったのだった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘年会シーズン

2008年12月19日 | 日々の記録
思えばいつの間にか、忘年会シーズンだ。昨日、今日、明日と宴会で埋まっている。月曜日も火曜日も飲み会だ。キライではないが、呑む相手によっては早く切り上げたいと思う飲み会もある。

が、小生の場合はそれは呑むまでのことだ。一旦、呑んでしまうとすぐに意気投合。二軒でも三軒でもお付き合いしてしまう。お人好しなのか、酒に意地汚いのか。

ともかくも今日も何時に帰れるか分からないので携帯電話からレポートしておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もみじ

2008年12月18日 | 散歩


本日は練馬の事業所に赴いた。久々に石神井公園散歩をしてみたが、紅葉はすっかり盛りを過ぎて、モミジなども大半は葉を落としていた。それでも、どの世にもへそ曲がりというか大器晩成というか、小生を楽しませてくれる存在はいる。まだまだ、真っ赤な葉をつけてくれていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台定禅寺通りの“光のページェント”

2008年12月17日 | 日々の記録


昨晩は久々に仙台の街に繰り出した。高名な定禅寺通りの「光のページェント」とやらを観て来た。というか、これを観ないといつもの居酒屋に行けないのだ。しかし、有名なだけあって見事なものだった。

定禅寺通りと青葉通りの延べ1.3kmのケヤキ並木に装飾された電球数は約60万個。ケヤキの本数197本。という規模である。また、勾当台(こうとうだい)公園や野外音楽堂では「光のページェント」にちなんだ催し物もいくつか用意されているという。

秋の「ジャズフェス」もそうだが、このイベントも街の実行委員会が中心になって運営している。1986年から始まり、今年で23回目だそうだ。“仙台市民”のセンスの良さと実行力というものにまたしても感心させられた。

“伊達”とはこういうことなのかもしれん。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々杜の都

2008年12月16日 | 日々の記録


朝を迎えたのは新潟市であったが、午後には大宮経由で仙台に戻ってきた。大宮で乗り換えに間があったので、近頃出来た「大勝軒」の“あつもり”でも喰おうと思って行って見る。平日の11時過ぎであったのだが、もう人が並んでいる。人気のある店のようだ。

“あつもり”だけだと少ないのかと思って、“中もり”にしたのだが、これがまちがい。量がとてつもなく多い。次から次へと飲み込み、やっと平らげる。うまいと言えばうまいが、若い人向けなのか味が濃く、量も多い。出るときは丁度正午であったのだが、近所の若い勤め人たちで列ができていた。まぎれもなく、繁盛店である。

仙台の事業所には14時ごろ着いた。今晩は客というか元部下が二人、仙台に来るので相手をしてやろうと思っている。仙台の定禅寺通りはこの時期、イルミネーションで綺麗だそうだ。そんなのを案内してから、居酒屋にでも行こうかと思っている。

連絡を待っているのだが、まだ来ない。早よ来んね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする