萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

明日から“師走”

2007年11月30日 | 日々の記録


今日で11月も終わる。明日から12月だ。いよいよ1年間の締めくくりの月、“師走”の到来である。仕事もアフターファイブも道行く人もせわしく見えるから不思議だ。周りに流されず、冷静にマイペースで過ごしたいものだ。

ここでも何度が触れたが、年間目標のある“モノ”もいよいよ大詰めだ。以下、ざっとお浚いすると、

 ①読書。年100冊以上かつ総ページ数30,000ページ以上。
 ②一日断食。年60回以上。
 ③「旧中仙道を走る」完結。

の三つだ。あと残りジャスト一ヶ月。

①の読書は後9冊、2267ページ。251ページの本を週二冊のペースで読めばいい。これは射程距離に入った。昨日、古本屋に行って読みやすい本を数冊購入してきた。準備万端だ。早々と達成させ、来年度に向けて何冊か貯金しておきたい。

②の一日断食は昨日55回目をクリア。12月は5週ある。毎週1回づつでクリアできる。但し、12月は呑み会が多い。できれば、前倒しで先行しておきたい。年末が迫れば迫るほど難しくなる。11月同様「隙あらばラマダン(=断食)」の精神で行こう!
11月は前半、出張や呑み会などで思うようにできなかったが、後半追い込んだ。なんと、15日から29日までの2週間で5回実行するという難行を敢行したのだ。

③「旧中仙道を走る」完結。これは宿と行きの切符は手配済み。大荒れの天候でも無い限り(小雨決行)実現可能。

ということで、一応、すべてクリアする予定だ。9月に進度チェックして、ここ二ヶ月で追い込んだのが功を奏したようだ。あとはこの一ヶ月でうまく“仕上げ”ればいい。但し、不安材料が無いわけではない。公私共々忘年会が多いし、年賀状書いたり、大掃除したり、と普段の月にはしないこともやらなければならない。このあたりが“師走”といわれる所以なのだろうが・・・。
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公園散歩

2007年11月29日 | 散歩

<色づいた木の枝にとまる鳩たち>

随分寒くなった。朝、余裕がある時は、缶コーヒーを呑みながら公園のベンチに座って15分ほど本を読む。その缶コーヒーも冷たいのから温かいのに変えた。公園内のベンチはいろいろ試したが、今は池の端のベンチが気に入っている。ここから、池や空に浮かぶ雲の様子を見たり、日に日に濃くなる紅葉やそこに遊ぶ鳥などを眺めつつ、本に目を落とす。決して長い時間ではないが、至福の時である。

しかしながら、今日のように曇りで冷たい風などが吹くと、外で読む気はしない。駅前のドトールに逃げ込む。今日はココアをたのんだ。熱くて甘いが、寒い日にはいい。
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三峰神社による

2007年11月28日 | 山と温泉

<三峰神社>


<神社の裏側に立つ、ヤマトタケルの像。手が大きい。>

この前の日曜日。宿を出てから三峰神社によった。神社の生い立ちは以下Wikipediaから引用する。

***************************************

社伝によれば、景行天皇の時代、日本武尊の東征の際、碓氷峠に向かう途中に三峰山に登り、伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉册尊(イザナミのミコト)の国造りを偲んで創建したという。景行天皇の東国巡行の際に、天皇は社地を囲む白岩・妙法・雲採の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える。伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。

注)三峰山(みつみねさん)は、本来は奥秩父山塊にある妙法が岳(1332m)、白岩山(1921m)、雲取山(2017m)の三山の総称。

***************************************

とある。創健者がヤマトタケルで役小角や空海までが訪れたと言う、由緒ある神社だ。手の大きな日本武尊の銅像が印象的であった。また、その脇に「空手バカ一代」で有名な極真空手の創始者大山倍達の碑もあった。ここで山篭りの修業を何度かやったことがあるという。

上記のお歴々と比べるべくもないが、かく言う小生もここには過去二度来たことがある。1度目は小学生の4年か5年の頃の遠足だ。思えば人生初めての山登りであった。バスの中で好きなチョコレートを食べ過ぎて、歩いている最中に鼻血を出した。先生に「お前は血の気が多すぎる。」ようなことを言われた覚えがある。当時は山の登り方など知らず、仲間と争うようにして走って登った。神社にお参りした記憶はかすかにあるが、日本武尊の銅像や大山倍達の碑はむろんなかった。

二度目は信濃川上から金峰山に登り、甲武信岳、雁坂峠、雲取山などの奥秩父を西から縦走してここまできた。3泊4日の行程で時期は丁度今頃だ。単独テント縦走だった。日が短いので常にあせって行動していたことを思い出す。三峰神社まで来た時は達成感に満ちていた。

指折り数えてみると、一度目は40年前、二度目は15年前のことである。結構、生き長らえている。
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武甲山を登る-酒と温泉編

2007年11月27日 | 山と温泉

<西側から武甲山を見る>

宿に着いたらまずは一風呂浴びる。風呂は広くはないが、内風呂も露天風呂も雰囲気がいい。湯加減も熱すぎず、長く浸かっていられる。お肌もすべすべだ。内風呂の壁に「鳩の湯」の由来が書いてある。なんでも矢傷を負った武士が二羽の白い鳩に導かれるようにして、この湧いているお湯に浸かったら、たちまち傷が癒えた。と言うところから“鳩の湯”となったらしい。

風呂を出て15時半ぐらいから小宴会を始める。買ってきた酒は「冷おろし」720ml1本。日本酒1升、十割そば焼酎1本、ワイン赤1本である。肴はイクラ醤油漬け、生ハム、ポテトサラダ、缶詰、ミックスナッツ。まずは宿の冷蔵庫のビールで乾杯。風呂で温まった身体の芯に冷たいビールが流れ込んでゆく。ノドがゴクゴク鳴る。至福の一瞬だ。次は「冷おろし」だが、これは瞬く間になくなる。お次は一升ビンへ手がのびるが、これはさすがになかなか無くならない。

早朝4時から起きて、運転したり、山登ったりしたので酔いの回りが早い。夕食は17時半からで部屋に運んでくれるという。その間、酔い覚ましにと思って風呂に行くが、余計に酔いが回ってしまう。

その結果17時半の食卓に並んだメニューの記憶がはなはだあやしい。中央に大きな鍋があって、肉は鹿だった。さしみはあった。岩魚かなんかの塩焼きと茶碗むしもあった。仕上げにご飯を食べたかどうかは定かではない。

食後にもう一度風呂に行って、戻ってきてから、十割そば焼酎を水で割って呑んだのは覚えている。その時、学生時代の先輩から電話がかかってきたのも記憶がある。いつ寝たかはまったく覚えていない。目が覚めたのは朝の4時。また風呂に行って、湯上りにビールを呑む。

昨晩、何時に寝たか?思い出せない。携帯電話の履歴をみると先輩からの電話が「19:43」とある。多分、その後すぐ寝た。してみると20時には寝てしまったのだ。遅くまで起きていたように思っていたが・・・。4時に起きても8時間は寝たことになる。道理で起きれたわけだ。それにしても、宿が用意したキチンとした“夕餉”を満足に味わえずに、気がついたら朝の4時、というのはなんとも情けない話だ。

この宿は朝飯もしっかりしていて、食後にコーヒーを入れてくれる。風呂もいい。また、来よう。(ちゃんと夕食を食べるために。)

10時にチェックアウトして三峰神社にお参りして帰る。


<「鳩の湯」の玄関>
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武甲山に登る-その2

2007年11月26日 | 山と温泉

<武甲山頂上から北側を覗く。白い部分が採掘場。>

 久々の山行である。当初は百名山のひとつである両神山を計画していた。しかしながら、メンバーの内の2名がそんなに長く歩く自信は無い、というので往復3時間程度の武甲山にした。かつては北アルプスをテント縦走した仲間であるが、膝に爆弾をかかえてしまったのではやむなし。近頃は“山”よりも“酒と温泉”がメインになりつつある。年をとったらとったで楽しみようはある、ということだ。

武甲山は石灰岩を露天掘りできる日本でも有数の採掘場で、山の北側は大きく削り取られている。子供の頃、天気のいい日には家の二階や高いところから、富士山や秩父連山が見えた。当時、富士山以外で識別できたのは武甲山だけであった。堂々とした台形のシルエットが目印だった。今は大宮辺りから識別するのは難しくなった。北側斜面が削り取られたので東からみると特徴のない薄っぺらな山に見えてしまうのだ。標高自体も30メートルほど低くなったそうだ。

「武甲山」の名はずっと武蔵と甲斐の国の間にあるためと思っていたが、違った。「日本武尊が東征の際、自らの甲(かぶと)をこの山の岩室に奉納した」という伝説に由来するらしい。またひとつ利口になった。

楽に登れる山と言っても、駐車場から頂上まで1時間半はかかる。ずっと登りっぱなしなのでいい運動にはなった。紅葉もまだまだ見頃で気分は上々。頂上から、北側を覗くと露天掘りの採掘現場が見える。豪快に掘り進めているショベルカーも見える。時々、発破をかけているのか「ドドーン」という地響きが聞こえる。その向こうに秩父市街が望める。古来より信仰の山だったが石灰岩で出来ていたが為に、切り崩されている。人間の生活の為の犠牲になってくれている。こういう“カタチ”の山もあるのだと感慨を覚えた。

下りは1時間ほど。丁度昼時であったので秩父名物の「蕎麦」でも食おうと思ったが、どこの店も一杯で並んでいる。荒川そば道場というところでやっとありつけた。例によってスーパーで宿で呑む酒とツマミを買出し、2時45分には今日の宿「鳩の湯」に入った。

(つづく)
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紅葉の思い出

2007年11月25日 | 日々の記録


紅葉のおすすめは?と聞かれて、経験上真っ先に思い浮かぶのは北アルプスの涸沢。標高2300m地点で10月初旬が見ごろだ。次に子供の頃から何回か行った日光のいろは坂。ここは10月下旬が見ごろ。

涸沢もいろは坂も行きさえすればそこそこ平均より上の紅葉を楽しめるが、小生が一番きれいだと思ったのは、大弛峠。学生時代。サイクリングでこの山梨県と長野県の県境の峠に挑戦した。国内でも難所で有名な峠である。

季節は10月中旬であったか。その年の夏は非常に暑い夏であった。夏の日差しが強い時は紅葉が濃い。木々が真紅ともいえるほど真っ赤に染まっており、この世のものとは思えないほど見事であった。後にも先にもあれほど見事な紅葉に出会ったことはない。

もう一度行きたいと思いつつ30年が経過している。
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武甲山に登る-その1

2007年11月24日 | 山と温泉

<いつもの仲間と登りだす>

23~24日の連休でいつもの山仲間四人と久々「山と温泉」を味わってきた。山は秩父の武甲山。温泉は奥秩父「鳩の湯」だ。

24日16時ごろ帰宅した。山と温泉の話を書こうとしたが、大宮アルディージャがFC東京に2-1で勝った。広島は川崎に0-3で負けたので、12月1日の最終節は余程のことが無い限り、降格圏内からは脱出できる。大宮が負け、広島が勝って勝ち点がならんでも得失点差が11点ある。野球ならありえる点差であるが、サッカーの場合はまず無い。

このめでたい朗報を耳にしたら居ても立ってもいられない。これから、大宮の街に繰り出すことにした。したがって、山と温泉の話は後日詳細します。
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通勤路の公園

2007年11月23日 | 散歩


 昨日のブログで通勤電車の不愉快さを書いた。通勤で“イライラ”させられ、会社に行ってまた“イライラ”と、とかくにこの世は住みにくい。朝の出だしから、これでは一日中、面白くない。少なくとも通勤のイライラは忘れてから会社に入りたいものだ。

小生の場合は最終降車駅から30分ほどかけて、歩いて会社に行くことで“切り替え”ている。歩くコースにいつもの公園がある。大きな池があり、鬱蒼とした林があり、鳥が住み、花も咲く。「東京砂漠」のオアシスだ。この公園を通り抜けることで、通勤電車で受けた不愉快さを払拭している。

今の時期は葉が色づき始めて、見る目を楽しませてくれる。朝の陽光に照らし出される、黄や緑、もみじの赤が、じつに鮮やかだ。寒さにじっと動かぬ鴨やのそのそと歩く太った猫などを眺めながら公園を歩く。もっとここに居たいといつも思う。ベンチに座って焼酎のお湯割りをすすりながら、本でも読めたらこんなに幸せなことはない。

かといって、休みの日に来るのでは興ざめである。いつか、会社をサボってここでのんびり過ごしたい。せめて午前中だけでも。
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通勤電車考

2007年11月22日 | 日々の記録


都内への電車通勤を苦痛と考える勤め人、学生は首都圏で何百万人といることだろう。鮨詰めの車内はもとより、他人の行動が不愉快なことが多い。i-Podなどのイヤフォンから漏れるジャガジャガ音。曲がはっきりわかるぐらい大きな音を漏らすアンチャンもいる。狭いのに強引にスペースを作って新聞を読むオッサン。手提げやらカバンを2~3個ぶら下げて、電車が揺れるたびに人の足にぶつけようが、お構いなしのオバハン。聞くに耐えない内容と言葉使いでペチャクチャしゃべり続ける女子校生。人にぶつかっておいて「スイマセン」の一言も言わずに行ってしまう、青白い学生。

書けばきりが無い。気にしなければいいのだろうが、どうしても気になってしまう奴が片道だけで3人や4人は必ずいる。下手に注意などしたら、ナイフで刺されたり、傘の先で目を突かれたり、女性ならば「この人痴漢です!」などと騒がれたりするのではないかと思い、黙ってしまう。

<以下に記載した文章は実際の事実と新聞記事が違う、ということを指摘されましたので割愛しました。不愉快な思いをさせてしまった方に深くお詫び申し上げます。>
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秋深し、今年も残すところ6週間

2007年11月21日 | 日々の記録

<秋深し。大宮公園の銀杏も見事。>

 昨日、昼食を終えて考えた。このまま札幌から羽田に帰り、まっすぐ家に帰って夕食を食べずに寝てしまい、明日の夕方まで食べなければ、一日断食が成立する。そして明後日も一日断食とすれば、今週中に二回カウントできて53回目をマークできる。

来週も2度実施予定なので、うまく行けば11月末時点で55回をクリアし12月を迎えられる。ここまでくれば年末の呑み会シーズンをたくみに切り抜けながら、5回の実施で年間目標60回は達成できる。


そういえば9月のブログで年間計画のあるモノに対し進度チェックをした。

 ①読書。年100冊以上かつ総ページ数30,000ページ以上。
 ②一日断食。年60回以上。
 ③「旧中仙道を走る」完結。

の三つだ。

その時点で一番危なかったのは「読書」。後はなんとかなりそうだ、というようなことを書いた。約2ヶ月経過してみると、結局どれも危うくなってきた。むしろ、一番達成に近いのが「読書」になった。平均280ページの本を12冊で達成だ。6週間あるので週2冊のペースでクリアだ。9月「11冊、3146ページ」、10月「11冊、3170ページ」という追込みで何とかメドが立った。

断食計画は上記のようにかなり際どくなった。今週来週がカギになる。

「旧中仙道を走る」は連休でしかできないので結局これが一番難しくなってしまった。思ったよりも「野球」が勝ち進んでしまった、というのが原因だ。もっとも“嬉しい誤算”ではある。今後のスケジュールを睨むと年内ワンチャンスしかない。一応、宿と行きの切符は抑えた。後はその時に断りきれない仕事やら遊びが、入らないことを祈るばかりだ。

今年も残すところ後6週間。2008年を気分よく迎えるためにもやらねばなるまい。

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雪の街札幌

2007年11月20日 | 日々の記録

<ホテルの部屋から札幌の街をみる>

一昨日の晩から社用で札幌に来ている。一昨日の日曜日の午後、気温20℃の大宮で野球をしてから、夕方の便で札幌に入ったのだが、こっちは氷点下の世界。昨日は最高気温が-1℃というこの秋(?)一番の冷え込みであったそうな。地元の人たちも「寒い、寒い」を連発していたぐらいだ。

今朝は早めに目が覚めた。中ノ島公園あたりまで散歩にでも行くかと思い、カーテンを開けてびっくり雪景色。雪が空からこんこんと降りしきる。時おり風に舞って、いかにも寒そうだ。もちろん、散歩は諦めた。

8時ぐらいからは雨に変わって昼過ぎには晴れ間も見える。午後になって社用を終え、帰り支度。思えば今回の札幌では、毛がにを食うでもなし、有名なラーメン屋に並ぶでもなし。純粋に仕事にだけ来た様な出張であった。これがホントの“社用”なのだろうが・・・。

夕方の便で羽田に帰ってきた。こちらも天気はいいが、外を歩く時はコートを着ててもいいぐらいの気温だ。

冬がもう、そこまで来ている。
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焼きそば

2007年11月19日 | 酒食・グルメ?


 チャーハン(炒飯)と言う日本語があるのだから、焼きそばはチャーメン(炒麺)と呼ぶ方が本場中国には近い。なぜ「焼きそば」なのだろうか。そういえば子供の頃チャーハンのことを友達の祖母は「焼きめし」と言っていた。いつの頃からか「焼きめし」は「チャーハン」と呼ばれるようになったが、焼きそばの方はチャーメンと言い改められることなく、そのまま定着したようだ。

「焼きそば」は手頃で飽きないメニューなので、休日の昼などに簡単につくる。市販の「ソースの素付き焼きそば」だと甘すぎていまいちなので自分で工夫する。

<用意するもの>(以下は1人前の分量)

・焼きそば用蒸し麺1(袋から出してほぐしておく)
・キャベツ1~2枚
・ウインナー2~3本(3~4mmぐらいの輪切りにする)
・焼き海苔
・特製ソース(ウスターソース、オイスターソース、醤油、
       ナンプラー各大さじ1/2を混ぜ合わせておく)
・サラダ油大さじ1
・胡椒
・酒1/4カップ。

<作り方>

 熱したフライパンにサラダ油を入れ、輪切りにしたウインナーを、胡椒をふって軽く焼き目をつけ、手で千切ったキャベツを入れて炒める。キャベツがしんなりしたところで麺を投入。酒を入れて全体を炒める。2分ほど炒めて酒がとんだところで特製ソースを投入、全体を混ぜ合わせて火を止め、皿に盛り付ける。細かく千切った焼き海苔をかけて出来上がり。

トーストしたパンなどと一緒に食べる。ビールや酒のつまみにも合うし、一食分の食事にもなる。
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市内トーナメント決勝戦、優勝ならず!

2007年11月18日 | 野球


本日、秋の野球大会決勝戦。惜しくも1-3で負け、優勝旗を手にすることはできなかった。決勝に出てくるだけあって、まとまりのあるいいチームであったが、勝てない相手ではなかった。

左腕Kが立ち上がり、四球と牽制暴投などで自滅。早くも二回で3失点。3回からは右腕Kが登板。彼がきちっと7回まで抑えたので、試合になった。我がチームは相手投手を打ち崩せず、得点は1点のみ。

小生も3打数0安打。相手のエラーで塁にはでたが、いいとこなし。相手投手はストレートと同じ速さのカーブが武器だ。タイミングを外され凡打を繰り返してしまった。

これで2007年度の公式戦はすべて終了。後練習試合を1つ残すのみとなった。いずれ、2007年度野球総括をやらねばならい。

今日はこれから、夕方の便で札幌へ移動。趣味に仕事に忙しい日々が続く。

追伸・・・大宮対甲府は0-0の引き分け。広島も神戸と引き分けた模様。ってことはまだ降格圏外をキープしているということだ。頑張れアルディージャ!

もう行かないとやばい!


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秋の大宮公園散歩

2007年11月17日 | 散歩

<桜の紅葉>

 今日は朝から寒い。絶対気温が低いのか。この間までの陽気で身体が寒さに慣れていないのか。大宮公園に散策に出かけたのはいいが、しんしんと冷える。一杯引っ掛けないと歩く気もせん。ともかくも、公園の近くのお気に入りの蕎麦屋の暖簾をくぐる。(ほんとはここが目的)

カウンターに座って、とりあえず、生ビールと焼き味噌をたのむ。ひとごこちついて、「天たね盛り合わせ」と〆張鶴のぬる燗。少しおいて芋焼酎の蕎麦湯割り。最後に「せいろ」で〆る。小生の隣に座っていた同年輩の男性が、

「かなりの蕎麦通ですね。」

と話しかけてくる。

「いえいえ、とんでもない。」

と手をふるも、恥ずかしくなったので、店の人に「ゴアイソ」と言って立ち上がる。勘定すませて出がけに「お先に」とさっきの御仁に会釈する。

「いや~粋な食べ方ですね。参考にさせていただきます。」

と挨拶を返してくる。

店を出て思う。長年蕎麦を食ってきたが、褒められたのは初めてだ。しかも“粋”ときた。蕎麦好きにとっては最高位の褒め言葉である。こうなると小生のどこが粋だったのかが気になる。注文した肴や酒の内容だろうか。蕎麦のすすり方だったか。それとも立ち居振る舞いを含んだ全てに対してか。引き返して聞く勇気もないので、一応喜んでおこうと決めて、公園の紅葉を見に行った。

大宮公園もあちこち色づいている。桜の林も赤や黄の落ち葉が絨毯のように敷き詰められていて、秋らしい風情を漂わせている。池には鴨に混じって白いカモメが十羽以上いた。こんな内陸まで飛んでくることがあるのだろうか。帰って調べるとユリカモメであった。カモメ類ではかなり内陸に入る種だそうだ。また、人からの給餌にもなれるとある。

一杯引っ掛けたので寒さもやわらぎ、まことに気分がよい。蕎麦屋では褒められたし。

“粋”な散策ができました。

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ダイエット半生史

2007年11月16日 | 健康、ダイエット


小生のダイエット史というか体重の変遷を暴露すると、高校時代は野球部で日夜身体を鍛えていたし、走りこみが好きだったので、骨太体型ではあるが体重は67kgぐらいであった。(身長は171cm)

大学時代はサイクリング部。長期ロードに出ればそれなりに痩せたが、通常は特に運動するわけでもなく、酒の味を覚えたこともあり、75kg~77kgぐらいだった。(インドを走った期間は70kgぐらいに落ちていた。)

入社後は野球部には入ったが基本的には日々の運動はせず、酒ばかり呑む日々を続けたお陰でたちまち80kgの大台に乗り、最大で86kgまで増えた。

関西に転勤になった30歳の時に一念発起。一日3~4箱吸っていたタバコを止め、トライアスロンに出場すべくトレーニングを開始。半年で16kg痩せて70kgに。ダイエット成功に見えたが半年後は77kgまでリバウンド。さらに1年後には2年間続けていた禁煙も御破算。再びヘビースモーカーに。

東京に戻ってきて、めでてぇ、めでてぇと呑み歩くうちにまたも80kg台に浮上。それでも92年10月7日には禁煙を敢行。以降本日まで15年と1ヶ月禁煙は続いている。

ハーフマラソンやフルマラソンにエントリーした時はジョギングなどをして75kgぐらいまでは落とすのだが、ジョギングを止めるとすぐ戻る。体育会系なので「痩せる」=「運動」に固執し、運動している時は痩せるが、やめると戻るを繰り返していた。

そして2005年1月にある本に出会う。「奇跡が起こる半日断食」だ。この本を読んでから小生の生活は一変した。まず、それまでしっかり食べていた朝飯を抜き、一日二食主義とし、週に一回は一日断食をやり出した。まず、体内に入るカロリーを制限することを日常にしてしまおうという作戦に変えたのだ。

これは見事に成功して半年で83kgあった体重が瞬間的にではあるが67kgまで落ちた。高校の野球部時代の体重に戻ったのだ。但し、現在はそこから5~6kg戻って73kg前後である。この3年間、毎朝、早起きしてジョギングなどをせずともこの体重は維持できている。

もっとも、一日一万歩歩くようにはしている。これにしても、毎朝特別にやることではなく、日常生活の中で行なえるにとどめているので“苦”ではない。

今考えているのは、土日にもう少しアスリート的なスポーツを取り入れ、体重を再び60kg台に落とすことである。今年は野球の試合と社用でかなり休みが潰れてしまったので、登山や自転車の旅に回す時間がなかった。その辺を調整してアスリート系の遊びをとりいれたい、と思っている。

※関連ブログ記事⇒やせる秘訣は「入るを制して出ずるを促す」
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