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萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

インドを走る!part2 第24話「再びインドへ」

2008年06月03日 | 自転車の旅「インドを走る!」


さてヒマラヤ山脈を背に下り始める。なるほど、大変な峠である。九十九折の急勾配の下りが続き、道も悪い。中々、平なところに着かなかった。大体下りきったあたりで十二時になる。(ウェルナーやループ氏と別れを惜しんでいたので出発が遅れてしまっていた。)

その集落で食堂を見つけ昼食をとっていると、バスが着き、日本人が一人降りてきて、コンチワと話しかけてくる。同じテーブルで食事をしながら、話す。彼氏、運ばれてきた料理をスプーンも使わず、ネパリやインド人同様、手で美味しそうに口に運ぶ。旅行者かと思ったが、さにあらず。八年もネパールにいるのだという。ポカラから、少し山に入ったところでトレッキングの為の宿をやっているそうな。道理でネパリ料理を慣れた手つきで食べられるわけだ。

インドはもう真夏で相当暑いと言う。これからもどんどん気温が上がる。日中は日陰で40度、日向なら60度にはなるだろうと言っていた。慢性疲労のサイクリストにはきついお言葉であった。水と塩分を意識的に多めにとって汗を沢山出すようにするといい、という忠告もしてくれた。

二時ごろになってまた、下りだすが暑い、暑い。ビルガンジまで行こうと思ったが、その手前60キロぐらいに意外と大きな町「ヘタウダ」というのがあったので、そこを本日の宿泊地とした。

かなり暑いので慣れる為に、ここ二、三日は5、60キロづつ走ろうと考えた。早朝5時前に出て、昼には目的地に着くという見当で走るのがベストだと思う。早めについて昼寝をするくらいが丁度いい。明日はいよいよ二度目の国境越えである。

翌早朝、五時前。ラクソール(インド側の国境の町)目指して宿を出る。ネパール側の国境の町ビルガンジまで後20キロというところで懐かしくも漢字で「自家用」と書いてあるライトバンが私の側に横付けしてきて、運転手が言う。「日本人?」。「ハイ」と言わずに咄嗟に「イエス」と答えてしまったのは、我ながら可笑しかった。顔つきといい、話し方といい、俳優の松山省二のような人であった。ラクソールよりもビルガンジの方がいいホテルがあると教えてくれた。

ビルガンジに着いて、一番きれいなホテルは一部屋40ルピーと高額。隣の15ルピーのホテルにした。食事だけはきれいなホテルの方へ行く。カウンターの上に「米子がいな祭」と日本語で書かれた提灯があって、それを眺めていると、「着いた?」とどこからか日本語が聞こえる。振り返ると先ほどの松山省二氏が二人のネパール人とともに食事をしている。

彼曰く、「ここはターミナルだからうるさいよ。これからインドじゃ大変だね。特にラクソールなんてのはキチガイだ。」という。あまり、インド人をよく思っていないらしい。ダマンで会った40歳ぐらいのドイツ人もそうだったが、仕事でネパールに来ている外人というのはインド人を毛嫌いしているようだ。ノーデリカシーが神経質な人々に受け入れられないのだろうか?

ドイツ人曰く「ビルガンジ イズ ノット・ソー・ナイス!ライク インディアン!」

省二氏曰く「ビルガンジったって、80%はインド人だからねぇー」

とくる。

ホテルの召使の子供、パイサ、パイサとうるさい。人が寝ているというのにドアをガンガン叩き、何事かと思うとマッチを貸せとか、金をくれとか。なるほど、ノーデリカシーもはなはだしい。

夕食は又、昼に入ったレストランですます。スプリングロール(春巻き)が馬鹿でかい。スウィート&サワー(酢豚)が甘すぎる。しかし、おいしかった。水も冷蔵庫からもってきたようでうまかったし、これなら気合も入る。明日も朝は早い。モスキートネット(蚊帳)で安眠する。

翌早朝、飯も食わずに出発。例のレストランが6時からなので、中途半端ということで止む終えず出る。二度目の国境越えであるが、何と言うこともなく通過。迫力なし。キチガイラクソールも特にどうと言うことなく抜ける。一路モティハリに向けて走る、走る、走る。

冷やしたコーラを売ってるような大きな村落はなく、水分補給は温かいチャイばかりとなる。この方が身体にはいいのだろうが、気温が高くなるとスカッとさわやかコカ・コーラを呑みたくなる。子供の頃からTVCMで摺り込まれている所為か。

8時を回るともう暑い。10時になるともう走るのが辛くなる暑さだ。12時から15時の真昼間はとても走れたものではない。

11時ごろモティハリに入る。ここは思っていたよりも大きな街並みであった。しかし、中々ホテルは見つからず、暑い盛りを行ったり、来たり、人に聞きながら探す。街の中心にあるホテルはよりによって、二軒とも改築中。ウロウロしていると、この街の名士らしい人が、手招きで私を呼びとめ、まあ、休めとばかりに、店に入れてくれる。カステラと水が出てきた。この水が冷蔵庫から取り出したらしく、冷たくてとても旨かった。大きなグラスに二杯飲んだ。生き返った心地がした。いつもながら、名士の人と言うのは太っ腹で面倒見がよい。

結局、たらいまわしされたあげく、街郊外のパレンダーホテルというところに泊まることになった。街外れとあって、ここにはコーラもなにもない。

このホテルで一息したのち、タバコを買いに出るがろくなタバコがない。さすがに街外れである。しかし、まわりの雰囲気が街中と違って静かで落ち着ける。もっとも、この犯罪的暑さがなければの話だが。足首のあたりに異常な熱を感じる。

半裸のキコリがこの暑いのに木を削っていた。しかし、こういう人は例外である。三千年もこの地に住むインド人さえ、この時間は大体グタッとしているのだ。

タバコ屋がならぶ広い通りは並木道になっていて、一応は涼しそうな風情であるが、体感気温は依然として暑い。「日中は日陰でも40度」。一昨日会った日本人の言う通りだ、と思った。また、日中はヘタに窓などをあけたりすると、涼しい風は入らず、熱風が吹き込んできて逆効果。まったく大変なところである。

夕方まで昼寝をして、今日までの蓄積疲労をいくらかでも取る。夕食はろくなものがないのでトーストとチャイですます。早くパトナあたりへ行って、うまいもんが喰いたいと切望する。ここのホテルも蚊帳完備。明日のマザファプールまでの85kmの行程に備え、早めに寝る。

つづく
※「インドを走る!」について
コメント (2)
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