萬蔵庵―“知的アスリート”を目指すも挫折多き日々―

野球、自転車の旅、山、酒、健康法などを徒然に記載

のんびりいこうぜ

2009年07月31日 | 日々の記録


どうも、ここのところツキに見放されている感じがする。札幌に行けば、人身事故でJRが止まり、1時間40分足止めを食らう。どちらかというと、“晴れ男”であったが、行くところ行くところ雨が多い。三連休の道東も散々だったし、皆既日食の日も曇っていた。野球の試合に出るため、大宮まで出かけていったが、雨で中止で徒労に終わる。岩手山も二度登ろうと企てたが、何れも荒天で断念。

この前北関東に出張に行った時も天候が荒れていて、館林では竜巻が起きた。もっとも、館林は竜巻が起きる3時間前に通過していたから、まだ、若干のツキは残っていたのかもしれない。

ま、いずれにしても、あくせくしても始まらない。こんな時はのんびりかまえていた方がよさそうだ。やがて、ツキは戻ってくるだろう。

そうなのだ。ツキのなかった7月も今日で終わる。明日からは“月(ツキ)”が変わるのだ。8月は小生の誕生月でもある。きっと、梅雨もあけ、暑い夏がやってくる。燃える夏がやってくるのだ。
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断酒三日目

2009年07月30日 | 健康、ダイエット


一昨日から断酒をはじめて今日で三日目である。何事も三日続くと一週間はもつ、と思っている。今回は一週間の断酒であるから、今日を乗り越えれば、まず、酒に手を出すことはあるまい。と思う。

日記にしてもジョギングにしても禁煙にしても、昔から小生の場合は三日が第一関門であった。三日もてば一週間もち、一週間もてば3週間はもつ。3週間もてば1ヶ月はもち、1ヶ月もてば3ヶ月はもつ。

とやっていくとキリが無いのであるが、とにかく、最初の三日は大事である。

若い頃と違って、そういう経験を沢山積んできた為か、三日の辛抱というのは比較的楽にできるようになった。できそうも無いことにはチャレンジしない、というズルさを身につけたとも言えるが・・・。

とにかく、今は一週間の断酒をはじめて三日目の夜である。仙台の止まり木に帰ってきているので、今から呑みに出ることはまずない。冷蔵庫に日本酒は冷えているが、それに手をだすこともあるまい。

いま、炊飯器で飯を炊いている。これが、できたら、ハムエッグを作って一膳か二善食べて、早々に寝てしまうつもりだ。

それが一番いいのだ。


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梅雨明けはどうなったんだろう

2009年07月29日 | 健康、ダイエット

<あじさい>

7月もあと残すところ2日だというのに、仙台地区の天気は相変わらずはっきりしない。関東地方も全国に先駆けてとっくに「梅雨明け宣言」したのに、ぐずついている。なんだったんだろうねあの宣言は。

いずれにしても、いいかげんすっきりと晴れて欲しい。夏らしくカーッとした日差しの中で暑い、暑いといいながら季節感を味わいたいものだ。

夏と言えば、高校野球の各県代表校が決まってきた。埼玉県代表は本日決勝戦が行なわれ聖望学園が埼玉栄に3-2で勝ち、甲子園行きの切符を手に入れた。宮城県は明日、東北と仙台育英で決勝戦が行なわれる。順当な勝ち残りのようだ。8月の本戦が待ち遠しい。今夏はどんなドラマが待っているだろうか。

今年の盆休みは亡母の新盆の為、何処にも出かけずに大宮の家にいる時間が多いので甲子園の野球をたっぷりと観ることになるだろう。ま、たまにはいいもんだ。

天気の所為にして、身体を動かしていないので、あらゆるズボンのウエストがきつくなってきた。薄着の夏にやばい状態である。

ということでもないのだが、母の四十九日の期間に長期断酒を行った時、今後も、一週間ぐらいの断酒をたまに実施するのもいいかもしれないと思った。その時に「父の命日の一週間前から断酒して父の命日明けに解禁」というルールを作った。

父の命日は8月3日なので一週間前の昨日から断酒期間に入った。本日は本年29回目の一日断食日でもある。この「週間断酒」をしっかりと実行し、体重落として、体調整えて。梅雨が明けたら、自転車に、野球に、山登りに、

GO!GO!GO!

と行きたいもんだ。
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エゾシカとエゾオオカミ

2009年07月28日 | その他旅行

<人に慣れているのか、近づいても逃げない>


<何頭かで群れていることもある>

この前、知床半島に行った折、エゾシカが道路の端に出てきて新緑の草を食べているのに出合った。この辺りでは珍しい光景ではなく、何箇所かで見かけることが出来た。毛並みがよく、可愛らしい。天気が良くないにもかかわらず、観光客達はクルマからおりて写真を撮っていた。動物園以外でこれだけ大きな野生動物を見られることは滅多にないので無理もない。

但し、このエゾシカ。道東、特にこの知床半島では繁殖しすぎて、植物や樹皮を食べあらしてしまうので、森林が維持できなくなっているという。世界自然遺産に指定された“知床”に、原生林の森がなくなってしまってはしゃれにならない。

そこでエゾシカ駆除ということで、ハンター達を集めてエゾシカ狩りをしているのだが、これが、また、余り捗っていないそうだ。総勢150名ものハンターが2週間近くかかって、70頭ぐらいしか仕留められないのだという。しかも、その内半数近くは回収できずに、ヒグマのエサになっているという。

そもそも、何故エゾシカが繁殖をほしいままにしているかというと、天敵であったエゾオオカミが絶滅したからだそうだ。明治になって、道東の開拓が進むにつれ、エゾシカの肉や毛皮が開拓民にとって必要になり乱獲され、エゾシカが激減してしまう。エサを減らされたエゾオオカミは、やむを得ず、人間達が飼っていた家畜を襲うようになった。

これに怒った人間達は毒を仕込んだ生肉を罠にしかけるなどして、エゾオオカミ駆除を徹底的に行なった。これがため、エゾオオカミは1900年ごろ絶滅してしまったという。

時は流れ、現在。人間の手にあまるエゾシカを駆除するためと観光目的で、樺太や千島列島に棲んでいるエゾオオカミたちを北海道に連れてきて復活させよう、という計画が浮上してきているそうだ。

人間の欲望に運命を左右される獣達が哀れに思った。しかし、考えて見れば、人間はエゾシカやエゾオオカミにしたことと同じようなことを他の人間、民族にも行なっている。

エゾオオカミは絶滅しても、人類の歴史に“争いごと”が絶えたことはない。
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北関東から仙台へ

2009年07月27日 | 日々の記録

<帰り道はずっと雨だった>

夕方、茨城県での座用を済ませ、仙台にクルマで戻ってきた。調度、夕立というか、梅雨前線というか、雨が降り出した。かなりの豪雨で雷も鳴り響く。西日本を痛めつけた雨雲が関東にやってきた感じだ。実際、午前中通ってきた館林では竜巻が起きて、けが人が出たとラジオで報じていた。

早く、関東を抜け出さねばと思い、先を急いだ。それでも、雨のためか下の道は混んでいて、宇都宮インターから東北道に乗ったのは五時半すぎだった。そこから、仙台までずっと雨。高速道路も80キロ規制だった。段々と日が落ち暗くなると、闇と雨とで運転はしずらい。というか、視界がすこぶる悪くなる。それでも、平気でぶっ飛ばしていく奴が結構いる。危険極まりない。何を考えているのやら。

二時間半で仙台着と思っていたのが、たっぷりと三時間かかってしまった。夜の雨の高速道路は恐いネ。ま、なんにしても、無事9時前には仙台の“止まり木”に戻れて、酒と飯にありつけた。今夜はハヨ寝よっと。
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新盆供養と墓参り

2009年07月26日 | 日々の記録


本日は亡母の新盆供養の為、札幌から来た兄と妹夫婦と小生の四人でお寺に行ってきた。帰りに墓参も済ませてきた。久々に晴れ渡り、夏らしい蒸し暑い一日であった。母が亡くなって5ヶ月経った。早いものである。小生の方は相変わらずのドタバタ出張で落ち着かない日々を過している。兄も8月から仕事が変わるそうだ。札幌を離れることはないので、まずは一安心なのだそうだ。

懸案だった、庭の草むしりもようやくできた。但し、庭木が伸び放題ですごいことになっている。3月の彼岸の時に叔父達が「今度、俺達が来て庭木の剪定をやってやる」と言っていたのでアテにしていたのだが、一向に来ない。従来は業者にたのんで剪定してもらっていたのだが、「やってやる」というのでそのままにしておいたのだ。

庭木は雨と夏の日差しでモリモリと枝を伸ばし、ワサワサと葉を繁らせている。ただでさえ狭い庭を占領して、ジャングル化している。もう、小生などの手に負える状態ではなくなった。母がいたら、さぞ嘆いたろう。もっとも、母がいたら、自分の弟達に連絡して、剪定させたに違いない。

叔父さん達に電話するか。業者に電話するか。仙台に逃げるか。いずれかを選択しなければならない。
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「仙台→大宮」クルマで移動。土日は安上がり。

2009年07月25日 | 日々の記録

<埼玉県内の東北道上り線。土曜の午後2時頃。高速代1000円なのに、空いている。>

休み明けに北関東地区をクルマで巡回するため、本日、仙台からクルマで大宮に移動してきた。約330キロを途中二度ほど休憩して、ドアトゥドアで3時間40分だ。

新幹線「はやて」だと仙台~大宮間は1時間15分であるが、「新幹線に乗るまでと降りて自宅に行くまでの時間」と「乗り遅れないように早めに行く時間」をプラスすると2時間40分ぐらいの所要時間になる。しかしながら、それでも新幹線利用の方が1時間速い。本読んだり、酒呑んだり、寝たりもできる。

但し、土日に移動すると費用はクルマ利用の方が安い。高速代1000円が効きますナ。リッター10キロ、ガソリン代1ℓ125円として、

33ℓ×125円=4125円。高速代足して5125円だ。

新幹線利用だと前後の交通機関代を含めると10500円はかかる。半分以下の費用で済んでしまう。但し、通常の高速代だとトントンぐらいにはなる。しかし、この「高速代土日1000円」というのは不足分は税金でまかなわれているのだそうだ。クルマを持たない、乗らない人の税金も湯水の如く使われているのである。

普段、クルマはあまり利用しない小生であるが、あまりにシャクなので、たまに土日に高速道路を利用するようにしている。
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呑み処徘徊 第二十回 「しらかば」

2009年07月24日 | 呑み処徘徊

<釧路の町によく似合う風情の店構えだ>


その店は野生のラッコ「くぅちゃん」で一時話題になった釧路川にかかる幣舞橋(ぬさまいばし)から徒歩数分のところにあった。入り口に店名の白樺の木が飾りとして施されている。15人ぐらいは座れる大ぶりのコの字型のカウンターがあり、右奥に小上がりある。ハキハキとした熟年のお姐さん達が取り仕切る活気のある店だ。

夕方6時過ぎにドラゴン氏と二人で入ったのであるが、カウンターは既に客でふさがっていた。なかなか人気のある店のようだ。奥の小上がりの席に通された。ここのお通しが変わっている。「牡蠣豆腐」といって、だし汁の中に豆腐と牡蠣が入っている。風味がよく、酒のアテにもってこいだ。肴は刺し盛の他に、この店の名物「エゾシカ焼き」と「ときしらず(鮭)」「アスパラ焼き」などを頼んで、まずは生ビールで乾杯。日本酒は地元釧路の酒「福司(ふくつかさ)」をもらう。


<左から「ときしらず」「エゾシカ焼き」「アスパラ焼き」>

どの肴も新鮮で美味しかった。「エゾシカ焼き」は硬めの肉で野趣あふるる感じがした。三串あって、それぞれ、塩、味噌、醤油で味付けしてある。お姐さんの話では、最近、道内では鹿が増えているので、食用として売り出しているそうだ。そういえば、道々「蝦夷鹿バーガー」だの「エゾシカカレー」などの看板をよく見かけた。

また、釧路は霧が有名だと言う。霧以上雨以下の状態を「ジリ」と呼ぶのだそうだ。後で知ったのだが、このジリは釧路湿原にとってはとても重要で、ジリがなくなると、湿原は乾燥してしまうらしい。

途中、4人組の客が来たので我々はカウンターの方に席を移された。もっとも、こっちの方が落ち着く。座った席の目の前に美味しそうな「おでん」鍋があった。もうツマミは十分だったので、頼まなかったが、未練が残った。この次来たら、絶対「おでん」から入ろうと思ったのだった。

二時間もいたろうか。いい気分になったところで、ゴアイソした。最後にデザートと称して冷えたミニトマトが出てきた。これが、甘くて、香りがいい。作り方なのか。土壌や気候なのか。本州で食べるモノとは別物であった。

外に出ると、街は閑散としている。人影もまばらである。角を曲がって驚いた。客待ちのタクシーが列を作って並んでいる。物すごい数だ。とても、これだけの数を満足させる需要は無いと思うのだが・・・。

以下は余談。

ドラゴン氏とはこの日に釧路で落ち合ったのであるが、氏は「釧路生まれ」である。もっとも、2歳までしかいなかったので何も覚えてはいないそうだ。ただ、氏はしきりに「ウミネコの鳴く町はいい」を連発していた。釧路の街には海が近いのでウミネコが沢山いる。ウミネコの鳴き声が彼の子守唄だったのではないか、と想像した。
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『皆既日食』で思ったこと

2009年07月23日 | 日々の記録

<「読売新聞」7月23日朝刊から>

昨日の午前中は都内にいた。天気は曇りで日食を見ることはできなかった。曇りなら曇りでもっと薄暗くなるのかと思っていたが、それすらも、よく分からなかった。南の島の「悪石島」の人たちも同じく曇っていたようだが、そこはさすがに“皆既”日食だ。真昼間なのに闇に包まれ非常に神秘的だった、とコメントしていた。

現代のように何月何日何時に何所で皆既日食が観えます、という情報が無かった時代は、

 真昼間に太陽が突然黒くなって、真っ暗になってしまう。

という現象は余程人間たちを驚かしたに違いない。夜の闇は当然であるが、昼の闇とは何事か。陽の光がなければ農作物は育たない。大飢饉の前触れに違いない。そうでなくとも、何かとてつもない天変地異の前触れであることは間違いない。天は怒っておられるのだ。と、さぞかし恐怖したことだろう。

どういう計算によるものか、日本の古代史上で二年連続(紀元247~8年)日本列島で皆既日食が見られたという説かある。その年は卑弥呼が死んだ年でもあるらしい。日本のアマテラス信仰は皆既日食と無縁ではないことを思い合わすと、天照大神のモデルは卑弥呼ではないか、という説を裏付ることになる。

仮に「天照大神=卑弥呼」だったとすると、卑弥呼が君臨した邪馬台国が何所にあったのかも、この247~8年の皆既日食を観ることができたエリアを特定できれば、有力な証拠になるのではないか。大和地方か北九州地方か。昨日でもそうだったが、“皆既”と“部分”ではそのインパクトが全然違うのだ。“皆既”が観られた地域のいずこかに邪馬台国はあったのだ、と思った。


もうひとつ。考えてしまったことがある。

太陽の大きさは月の400倍であるという。ところが、地球から太陽までの距離も月までの400倍ある。その為、地球から見たら、太陽も月も同じ大きさに見えるのだという。

これは単なる偶然なのであろうか。太陽がもっと大きかったり、近かったりすると、地球の生命体にとんでもない影響を与えると思うので勘弁願いたいが、月の大きさと距離というのはもっと違っていてもよかったのではないか。

そして、地球からの見え方が月の方が大きければ、頻繁に広い範囲で皆既日食が観られたろうが、その代わり、ダイヤモンドリングは観ることができなかったかもしれない。神秘性においてイマイチとなったに違いない。

また、月の方が小さく見えたなら、皆既日食というのはありえず、せいぜいが太陽のど真ん中に月が来た時に“目玉日食”などと呼ばれてもてはやされた程度であったろうと想像する。とても、昼間から大地を闇にする力はなかったろう。

いずれにしても、アマテラス信仰なるものは成立しなかったのではないか。日本の歴史も微妙に違ったものになったかもしれない。

それにしても、月に対する太陽はなぜ大きさと距離が400倍で地球から同じ大きさに見えるのだろうか。こんな、偶然は考えれば考えるほど、不思議に思える。もしかしたら、大宇宙における「生命の宿る星」の必須条件であったのかもしれない、などど思ってしまう。

今度、皆既日食が日本で観られるのは2035年9月だそうだ。26年後、小生、生きていれば78歳である。海外なら2010年7月11日にイースター島で観ることができるそうだ。

長生きするか、金かけて、早くみるか。

どっちにしても、一度は観てみたいものだ。
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釧路駅 和商市場の「勝手どんぶり」

2009年07月22日 | 酒食・グルメ?

釧路駅から歩いて数分のところにある「和商市場」。北の海で獲れた蟹、魚、貝、昆布等々、また、それらを加工したあまたの“食”が所狭しと並んでいる。それらを土産に買うのももちろんいいが、ここの名物はなんと言っても「勝手どんぶり」だ。

売られている旬の魚や貝を少しづつご飯にのせて、勝手(自分流)に豪華丼を作って、楽しむという趣向だ。新鮮な上に安上がりなので人気がある。小生もさっそく挑戦。まずはどんぶりご飯「中」を選んで、「勝手どんぶりコーナー」(下の写真)に行く。


<いろんな海の幸が小分けされている。目移りがしてしばし落ち着かないのだ。>

どんぶりをお姐さんに渡して、盛付けしてもらう。ひとつひとつに値札が付いているので安心だ。たらこ100円、いくら150円、ぶどうエビ350円というふうに。お姐さんのおすすめと自分の好みと財布とちょっぴり健康のことなどを考え合わせながら、選ぶのが楽しい。

小生は、迷ったあげく「ひらめ」「いしもち」「ししゃも(刺身)」「タイ」「いくら」「うに」「たらこ」を選んだ。これを盛り付けたのが下の写真だ。


<ご飯をいれて1250円の「豪華どんぶり」の出来上がりだ!>

どうです。旨そうでしょう。いやホント。これは旨かった。「ししゃも」や「ひらめ」のもちっとした感触もご飯に合うし、「うに」や「いくら」も新鮮で風味がよい。クルマの運転をしなければならないので酒が呑めなかったのが残念だった。

通になると、市場で500円ぐらいの「いくらの瓶詰め」や800円ぐらいの「うに」を買ってきて、ご飯に盛り付けて食べるらしい。これだと、1000円でお釣りが来る。通常、2000円ぐらいする「いくら丼」や「うに丼」の半値で食べられる。

どうせ山に登れないんだったら、ずーっと釧路に連泊しておくという選択肢もあったな、といまさら思うが後の祭りである。

釧路はいいとこでした。
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三連休総括

2009年07月21日 | その他旅行

<阿寒湖と雄阿寒岳。三連休はまったく「アカンデー!」>

15日に札幌に移動してきた。人身事故で北広島駅手前で1時間40分の足止めを食らった。思えばこの時から、ツキには見放されていたのかもしれない。16、17日は仕事で18日からの3連休はそのまま道東にいた。「北海道には梅雨がない」というので、この時期を選んで、阿寒岳、羅臼岳、斜里岳をあわよくば全部、悪くても二座は登ろう、と勇んできたのだが、一座も征服できずに終わってしまった。とにかく、天候に恵まれなかった。

16日に起きたトムラウシでの夏山史上最悪の遭難事故を目の前にして、風雨の中を決行する気にはなれなかった。ま、命あっての物種ということで今回は“下見”のつもりで、同行のドラゴン氏とクルマで普通の旅をしてきた。行程は以下の通り。

18日・・・釧路を出て阿寒湖~羅臼~知床峠~岩尾別温泉「地の涯ホテル」

19日・・・ホテル~ウトロ~知床峠~羅臼~野付半島~斜里~清里「緑清荘」

20日・・・清里~斜里~網走~サロマ湖~網走~女満別空港⇒羽田

というコースである。二泊とも、次の朝が奇跡的に晴れたらと思って、朝食は弁当にしてもらっておいたのだが・・・。

記事になるような面白いコトやトコは、

◇釧路、居酒屋「しらかば」

◇釧路、和商市場の「勝手丼」

◇知床の鹿。(ヒグマには会わなかった)

◇狭き道の野付半島。国後は見えず。

◇サロマ湖、「ところ遺跡」

などか。

いずれにしても、今度来る時は「靴跡」か「轍」を刻みに来る。


追伸・・・クルマ移動の呑み食い道中で、すっかり体重が増えてしまった。かなりヤバイのだ
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斜里~女満別空港

2009年07月20日 | 日々の記録
結局、今日も朝からの風雨で登山断念。百名山の一座も極めずに帰路へ着くことに。思うに山の神様が甘い考えの小生を戒めたのだと思う。

仕方が無いので同行のドラゴン氏と共にサロマ湖方面の観光をしてから女満別空港を目指す。今回の旅のツキのなさをしっかりと反省してから、今後の旅の在り方について対策、改善をしていかねばならない。

いかにトムラウシの惨事のあととはいえ、もう少し根性を見せても良かったのではないか。それが出来なかったのは体力に自信がなかったからだと思う。

いいかげん、アスリートらしくストィックな日々を過ごさにゃあかんと思ったのだった。
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知床~斜里

2009年07月19日 | 日々の記録
昨日の晩、知床に入った。岩尾別温泉の「地の涯ホテル」だ。通信機器が一切使用出来ず、ブログへの投稿がかなわず。さすが、地の涯である。

今朝から、羅臼岳に登ろうと思って来たのであるが、あいにくの雨で断念。トムラウシの遭難事故の後なので行動は慎重にならざるを得ない。斜里町の清里までクルマで移動して来た。明日、天気が良ければ斜里岳を登るつもり。
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札幌~釧路

2009年07月17日 | 日々の記録

<札幌から釧路へ移動中の車窓から。新緑と空の青さが眩しい>

昨日午後、札幌から釧路へクルマで移動してきた。ドライバーは地方座長のT氏だ。鹿が飛び出しそうなところが多く、運転は慎重だ。北海道の原生林はまだ新緑で、陽の光にキラキラと眩しい。空の青さも本州で見るより、ずっと澄んでいて綺麗だ。“手つかずの自然”の中を延々と5時間走って釧路に辿り着いた。

札幌も涼しかったが、釧路は肌寒い感じだ。それでもこの日はまだましで前日は雨が降っていて、床暖房にストーブも炊いたという。首都圏が30℃超えの猛暑だというのに・・・。

やはり、日本列島は長い。

ここで、地元座員C氏が合流。ホテルにチェックインして、まずは呑もうということになり、C氏のなじみの居酒屋へ。釧路は今は秋刀魚が旬だという。さっそく、刺身と塩焼きをもらう。また、ツブ貝と鯨と平目の刺身ももらう。これら海の幸を肴に、まずは生ビールで乾杯だ。秋刀魚は脂がのっていて大変よろしい。またたくまにビールを呑み終えた小生は地元釧路の酒「福司」をたのむ。この酒もさっぱりとしていて脂ののった秋刀魚によくあう。

焼き鳥もここの名物らしく、とても美味しかった。途中で芋焼酎を入れたが、小生以外の2人も大酒呑みなのであっという間に1本空いた。もう1本同じものを入れ、二時間半ほど呑む。したたかに酔った。宿に戻って、なんとか浴衣に着替えたが、そのままバタンQ。
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盛岡上空

2009年07月16日 | 日々の記録

<雲間から盛岡市街が見える。中央の川が北上川だ。>

昨日午後、仙台空港から千歳に飛んだ。関東地方は梅雨が明けたらしいが、東北はまだまだ雲が多い。それでも雲間から北上盆地だけは見渡せた。北上川が細くて長い蛇のようにうねっている。上流で大雨でも降ったのか、川の色は茶色だ。

目を凝らして川を追っていくと大きな街並みが見えてくる。左から雫石川が合わさっている。盛岡だ。今年の五月に北上川沿いの道を自転車で走ったので、空から眺めても「ああ、あの辺りは結構上り下りの多いところだった」とか「道が狭いのにクルマが多かった」などと思い起こせる。

もう少しすれば、岩手山が見えるはずだと小さな窓から凝視したが、雄大なその姿は頂上から裾野まで、そこには何も無いかのようにすっかりと厚い雲に覆われてしまっていた。

やがて、雲は下界をすべて覆い尽くした。
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