<「読売新聞」7月23日朝刊から>
昨日の午前中は都内にいた。天気は曇りで日食を見ることはできなかった。曇りなら曇りでもっと薄暗くなるのかと思っていたが、それすらも、よく分からなかった。南の島の「悪石島」の人たちも同じく曇っていたようだが、そこはさすがに“皆既”日食だ。真昼間なのに闇に包まれ非常に神秘的だった、とコメントしていた。
現代のように何月何日何時に何所で皆既日食が観えます、という情報が無かった時代は、
真昼間に太陽が突然黒くなって、真っ暗になってしまう。
という現象は余程人間たちを驚かしたに違いない。夜の闇は当然であるが、昼の闇とは何事か。陽の光がなければ農作物は育たない。大飢饉の前触れに違いない。そうでなくとも、何かとてつもない天変地異の前触れであることは間違いない。天は怒っておられるのだ。と、さぞかし恐怖したことだろう。
どういう計算によるものか、日本の古代史上で二年連続(紀元247~8年)日本列島で皆既日食が見られたという説かある。その年は卑弥呼が死んだ年でもあるらしい。日本のアマテラス信仰は皆既日食と無縁ではないことを思い合わすと、天照大神のモデルは卑弥呼ではないか、という説を裏付ることになる。
仮に「天照大神=卑弥呼」だったとすると、卑弥呼が君臨した邪馬台国が何所にあったのかも、この247~8年の皆既日食を観ることができたエリアを特定できれば、有力な証拠になるのではないか。大和地方か北九州地方か。昨日でもそうだったが、“皆既”と“部分”ではそのインパクトが全然違うのだ。“皆既”が観られた地域のいずこかに邪馬台国はあったのだ、と思った。
もうひとつ。考えてしまったことがある。
太陽の大きさは月の400倍であるという。ところが、地球から太陽までの距離も月までの400倍ある。その為、地球から見たら、太陽も月も同じ大きさに見えるのだという。
これは単なる偶然なのであろうか。太陽がもっと大きかったり、近かったりすると、地球の生命体にとんでもない影響を与えると思うので勘弁願いたいが、月の大きさと距離というのはもっと違っていてもよかったのではないか。
そして、地球からの見え方が月の方が大きければ、頻繁に広い範囲で皆既日食が観られたろうが、その代わり、ダイヤモンドリングは観ることができなかったかもしれない。神秘性においてイマイチとなったに違いない。
また、月の方が小さく見えたなら、皆既日食というのはありえず、せいぜいが太陽のど真ん中に月が来た時に“目玉日食”などと呼ばれてもてはやされた程度であったろうと想像する。とても、昼間から大地を闇にする力はなかったろう。
いずれにしても、アマテラス信仰なるものは成立しなかったのではないか。日本の歴史も微妙に違ったものになったかもしれない。
それにしても、月に対する太陽はなぜ大きさと距離が400倍で地球から同じ大きさに見えるのだろうか。こんな、偶然は考えれば考えるほど、不思議に思える。もしかしたら、大宇宙における「生命の宿る星」の必須条件であったのかもしれない、などど思ってしまう。
今度、皆既日食が日本で観られるのは2035年9月だそうだ。26年後、小生、生きていれば78歳である。海外なら2010年7月11日にイースター島で観ることができるそうだ。
長生きするか、金かけて、早くみるか。
どっちにしても、一度は観てみたいものだ。